第九十訓 店の中で騒ぐのはやめましょう
「……じゃあ、逆に聞くけどさ」
すっかり生温くなったパピポを一気に吸い干した俺は、立花さんに問いかけた。
「そっちの方はどうだったんだよ? 俺の事、何か言ってたか、ミクの奴?」
「え?」
俺の質問を聞いた立花さんは、一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、その時の事を思い出すように視線を天井に向け、それからコクンと頷く。
「あぁ……そういえば、色々と聞かされたよ」
「え? マジでッ?」
立花さんの答えを聞いた俺は、思わず胸を高鳴らせた。
そして、座っていたカウンターチェアから尻を浮かしながら、興奮で上ずった声で訊ねた。
「で、で! ミクはなんて言ってた? 俺のこ――むぐぅ」
「興奮するな! このムッツリスケベっ!」
思わず我を忘れて身を乗り出した俺の顔を、手の平で乱暴に押し退けながら、いかにも嫌そうに声を荒げる立花さん。
大きな溜息を吐きながら、彼女は冷めた声を上げる。
「……別に、そんな大した事は言ってなかったよ。子どもの頃に一緒に遊んだ時の事とか――」
彼女はそこまで言うと、何かを思い出したようにハッとし、それから俺の顔をジト目で睨みつけた。
「そういえば……嘘じゃなかったみたいだね」
「嘘? 何が?」
「最初に会った時、アンタ言ってたでしょ。『高校生の時、ミクさんがお弁当を作ってくれてた』って」
「あぁ……あれか」
確かにあの時、北武デパートの中に入っている『ヨネダ珈琲』の中でミクと藤岡を見張っている時、そんな話をした覚えがある……。
当時の記憶を朧げに思い出してコクリと頷いた俺に、立花さんは苦笑いを浮かべる。
「ごめん。あたし、あの話は見栄を張ろうとしたアンタの作り話だと思ってたから、ミクさんの口から直に聞いて、ちょっとビックリしちゃった」
「し、失礼だなキミはッ!」
立花さんの言葉を聞いた俺は、思わず抗議の声を上げた。
「い、いくら何でも、そんな哀しい見栄を張ったりはしねーわ! つーか、どうせ嘘を吐くなら、もっとインパクトのデカい嘘を吐くって!」
「へ~、たとえば?」
「た、たとえば……?」
立花さんに訊き返された俺は、思わず言い淀む。
そして、脳内に様々な媒体……主に、OVER18なゲームや映像作品……で取り入れた『裏山けしからん幼馴染とのイチャイチャエピソード』を脳裏に思い浮かべ、それを元にした『インパクトのデカい嘘』を練ろうとしたが――頬を熱くさせながら、静かに目を伏せた。
「……ごめん。ここではちょっと言えないレベルだったわ……」
「ガッツリスケベ」
「が、ガッツリ? ムッツリじゃなくてガッツリッ?」
立花さんが吐き捨てた辛辣な一言に、俺は思わず顔を引き攣らせる。
「つ、つーか! べ、別に、今の俺が考えた事がエロい事だとは限らないだろうが!」
「そんなの、顔見れば充分だよ。いかにも『エッチな事を考えてますー』って顔してたもん、アンタ」
「なっ……何……だと……?」
「このおバカ」
どこかの死神見習いのように愕然とする俺の顔を氷のように冷たい目で一瞥した立花さんは、大きな溜息を吐こうとした様子だったが、ふとその動きを止めると、天井の方に目を向けた。
「あれ……? この曲って……」
「……曲?」
耳の横に広げた掌を当てた立花さんの呟きを聞いて、俺も首を傾げながら彼女と同じように耳を澄ませてみる。
俺の耳に聴こえてきたのは、店内のスピーカーから流れてきた、聞き覚えのあるイントロだった。
と、そこに店内放送のパーソナリティのダンディボイスが被さる。
『――さあ、ここで注目のナンバーをご紹介します。「アニソン界の超新星」八十八ケンジの歌う、大人気放送中のアニメ「ハンマーマン」のオープニングテーマ――』
『「「“TAKE-BACK”!」」』
曲名紹介の瞬間、三つの声が完全にハモった。
スピーカーから流れるパーソナリティの声と、好きな曲を耳にして、思わず口をついて出てしまった俺の声。
――そして、立花さんのめちゃくちゃテンションの上がった歓声――。
「「……え?」」
俺と立花さんは同じように驚いた声を上げて、同時に驚いた顔を見合わせた。
「立花さん……知ってるの、この曲?」
「そっちこそ、なんで知ってんの?」
俺の質問に質問で返した立花さんは、目を丸くしながら訊いてくる。
その猫のように大きな目で真っ直ぐ見つめられた俺は、どもりながら答える。
「そ、そりゃあ……俺、アニメの『ハンマーマン』にハマって、その流れでオープニングのこの曲も好きになった……って感じで……」
「あぁ、アニメからかぁ……」
俺の答えを聞いた立花さんは、あからさまにガッカリした表情を浮かべた。
「なんだ、ただのニワカかぁ」
「に、ニワカってなんだよ! つーか、八十八ケンジって、この曲がデビューじゃんか! そんなこと言ったら、全員がニワカって事になるじゃんかよ!」
「確かにね……。でも、あたしから見たらニワカだよ」
カチンときた俺の抗議を聞いた立花さんは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、立てた親指で自分の事を指さすと、自慢げに言い放つ。
「なにせ……あたしは、ヤソケンがボカロPをやってた頃からのガチファンだからね! デビューしてからヤソケンの事を知ったような人たちなんて、あたしに比べたらまだまだヒヨッコだもん!」
「ま、マジか……!」
エヘンと言わんばかりに胸を張る立花さんを前にして、俺は愕然とする……が、すぐに首を傾げた。
「スゴい……いや、別にそんなにスゴくもない? いまいち良く分からん……」
「何さ! スゴいに決まってるでしょ! デビューして、みんなの目に留まる前から、ヤソケンの才能に気付いて――」
俺に対して、ムッとした顔で反論しかけた立花さんだったが、不意にその声が途切れる。
店内に流れる『TAKE-BACK』が、二番の大サビに入っていた。
独特のラップ調の大サビ……その後に続くのは、テンションが最高潮までブチ上がる、中毒性の高いラスサビ――!
エッジの効いたエレキギターの旋律が、クライマックスに向かって、まるで階段を上るように上がっていく――!
『「「思い出そうぜTAKE-BACK! そしたら行こうぜTAKE-OFF! 無限大の大空へ向かってNOSE-UP~ッ!」」』
気が付いた時には、すっかりテンションの上がった俺と立花さんは、放送のボーカルの声に合わせ、腕を突き上げながら熱唱していた。
――と、次の瞬間、
「んんっ! エヘン! エヘンッ!」
「「あ……」」
レジの方から、いかにもわざとらしい咳払いが聞こえ、俺と立花さんは慌てて両手で口を塞ぐ。
そして、赤面しながら食べ終わったアイスのゴミを集めてゴミ箱に捨て、レジ中で、眉間に皺を寄せながら俺たちの事を睨んでいる店員さんにペコペコと頭を下げ、
「す……すみませんでした……」
「お邪魔しました~……」
そう小声で謝りながら、そそくさとコンビニから退散した。
「……」
「……」
俺と立花さんはバツ悪げに黙りこくったまま、すっかり明るくなった道を家に向かって歩いていく。
「……」
「……」
初夏とはいえ、早朝の街を吹く風は涼しくて気持ちが良かった。
……と、
「……くく」
「……あはは」
ふたりの口から、低い笑い声が漏れる。
「くふふ……ははははっ」
「うふふふ……あははは」
「「はははははは!」」
押し殺した笑い声は、だんだんと大きくなり、やがて大爆笑へと変わった。
「あははははは! 面白かったぁ~」
「ははは……なんかスッキリした……!」
――と、
俺と立花さんは互いの顔を見合わせながら、人気のない歩道の真ん中で楽しげに笑い合ったのだった。
何がそんなに楽しかったのか、自分でも良く分からなかったけど……。




