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第八十五訓 簡単に人の事を信用し過ぎるのはやめましょう

 それから程なくして、俺たちは寝る事にしたのだが――。


「……まあ、気持ちは分かるんだけどさぁ」


 俺は、キッチンとリビングを隔てる壁のように横向きに並べられたテーブルやラックをジト目で見ながら、呆れ声を上げる。


「いくらなんでも警戒し過ぎっていうか何というかさ……。別にこんな大げさにバリケードなんか張らなくても……」

「全然大げさなんかじゃないよ!」


 俺の苦言に対し、ブンブンと大きく首を左右に振ったのは、水色のショートパンツタイプのルームウェアを着た立花さんだった。

 彼女は、掛け布団代わりのタオルケットを体に巻きつけながら、警戒心を剥き出しにした目で俺の事を睨む。


「男なんて、同じ部屋に女の子がいたら、すぐにパンツだけになってダイブしてくるもんなんだから! このくらいしないと安心して眠れないよ!」

「それ、どこのルパ〇三世だよ……」


 立花さんの言葉に、思わず俺は頬を引き攣らせ、背後を振り返って声をかけた。


「……なんか、男に対してとんでもない偏見を抱えてますよ、あなたの幼馴染。あなたも『そんな事無い』って、ガツンと言い返して下さいよ、藤岡さん」

「……え、僕?」


 それまで、夢中な様子で風呂場に仕掛けたカメラの液晶画面を覗いていた藤岡は、俺に話を振られてびっくりした顔をする。

 そして、俺たち男子組と女子組の間を遮るバリケードをチラリと見ると、苦笑を浮かべた。


「……まあ、警戒されるのはしょうがないよ。口でいくら言っても、完全に信用されるのは難しいしね。しかも、ルリたちは女の子だし」

「あ……! ち、違うよ!」


 藤岡の言葉を聞いた立花さんが、慌てた様子で首を激しく左右に振る。


「べ、別に、ホダカの事を信用してない訳じゃないよ! ホダカだけだったら、こんな壁作ったりしないって!」

「ってオイィィッ!」


 立花さんが口走った弁解に、俺は思わずツッコミの声を上げた。


「って事は、この大げさなバリケードは、俺だけに対してのモンだって言うんかい!」

「そうだよ。当たり前じゃん」

「そ、そんなの偏見だよ! 俺だって、ちゃんと理性を持ってるって!」

「どうだか……。だってアンタ、いかにもムッツリスケベっぽいもん」

「ぐぅ……ッ!」


 ひどい決めつけをされた俺だったが、実際にムッツリスケベなだけに言い返す事が出来ず、ただただギリギリと歯噛みして悔しがる。

 ……だが、そんな俺を気遣うように、ミクが声を上げた。


「そ、そんな事は無いよ。私は、颯大くんの事もちゃんと信じてるから」

「み……ミク……!」


 ミクの慈愛に溢れた優しい言葉に救われ、俺は思わず涙ぐむ。

 そんな俺に、ミクはニコリと笑いかけ、更に言葉を続けた。


「まあ……この前、真里さんが『颯ちゃんの部屋から色々見つけたのよ~』って教えてくれたから、颯大くんがエッチなのが好きなのは知ってるけど……それでも、颯大くんが女の子にひどい事なんて出来ないって信じてるから大丈夫だよ!」

「があああああああっ!」


 フォローしたつもりのミクの言葉に致死ダメージを受ける俺。

 ……って、息子の恥部を嬉々としてバラしてんじゃねえよ、あのババア(母さん)ッ!


「……『ひどい事なんてしない』じゃなくて『ひどい事なんて出来ない』ね……。確かに、実行には移せなさそうだよね、ヘタレっぽいし」

「ははは。そういう物を親に見つかるようなところに隠しているだなんて、まだまだだね、本郷くん」


 ミクの言葉を聞いて逆に納得する立花さんと、なぜか上から目線で謎マウントを取ってくる藤岡。

 ……もうやめて! とっくに俺のライフはゼロよ……グハァッ!


 ◆ ◆ ◆ ◆


 まあ、そんなこんながあって、徹夜する藤岡を除いた俺たちは就寝した。

 はじめは、バリケードを隔てたすぐ隣で女の子ふたりが寝ているという事実に胸が高鳴り、まんじりとも出来なかった俺だったのだが、昼間のバイトでの疲労と、その後に味わった様々な心労のおかげで、いつしか深い眠りに落ちていたようだ。

 ……だが、そんな俺の安寧な眠りは、唐突に遮られる事になった。


「…………きて。……え、起きて。起きてってば」

「……ん、んん……?」


 肩を揺すられながら、押し殺した声をかけられた俺は、微かに唸りながら重い瞼を半分だけ開ける。

 天井のシーリング照明の豆電球光がぼんやりと照らし出す部屋の中で、俺の顔を覗き込むようにしている黒い影が目に入った。


「――ッ!」


 それを認識した瞬間、俺は飛び出さんばかりに目を見開いて跳ね起きる。

 この部屋に棲んでいるという老人の幽霊が、黒い影に形を取って俺を襲いに来た――そう思ったのだ。


「わっ!」


 だが、俺が急に身を起こした事に、黒い影は驚いた様子で小さな悲鳴を上げた。

 その声に聞き覚えがある事に気付いて、少しだけ平静を取り戻した俺は、改めて黒い影に目を凝らす。


「……なんだ、立花さんか。驚かせるなよ」

「驚いたのはコッチの方だよ。いきなり動かないでよ!」


 俺の文句に、立花さんは頬を膨らませて言い返してきた。

 そんな彼女に辟易しながら、俺はキッチンの床の上に置いていたスマホを手に取り、スリープを解除する。

 明るくなった液晶画面に“03:24”という表示が浮かび、それを見た俺は思わず顔を顰めた。


「……まだ四時前じゃん。何だよ、こんな時間に人の事を起こしてさ……」

「……」


 不満たらたらな俺の言葉にも、立花さんは何も答えない。

 ただ、何やら思いつめた顔をして、身体をモジモジと動かしていた。

 そんな彼女の奇妙な様子を見た俺は、やにわに不安を覚え、恐る恐る声をかける。


「ど……どうしたの? 本当に何かあったのか?」


 そこまで口にした俺の脳裏に、ある可能性が雷のように閃いた。

 俺は、相変わらず黙りこくったままの立花さんに、微かに声を震わせながら訊ねる。


「ま……まさか、ゆ、幽霊を見た――とか? それ……それとも……金縛りに遭った……とかか?」

「……ううん」


 だが、俺の問いかけに対し、彼女は小さくかぶりを振った。

 それを見てホッとする俺だったが、ふと訝しみながら首を傾げる。


「……じゃあ、何なんだよ? こんな真夜中に――」

「あ……あのさっ!」


 少し不機嫌になった俺の言葉尻を遮った立花さんは、真っ直ぐに俺の顔を見つめた。

 その、少し頬を紅潮させた真剣な表情と、俺の顔を見据える黒目がちの大きな瞳に、俺は思わず息を呑む。

 そして、立花さんは少し躊躇を見せた後、意を決した様子で言葉を継いだ。


「その……ちょ、ちょっと……()()()()()()()()()!」

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