第八十一訓 他人からの賛辞は素直に受け取りましょう
「や……優しい……? 俺が?」
藤岡の言葉を聞いた俺は、思わず面喰いながら訊き返した。
そんな俺に、彼はハッキリと頷く。
「うん」
「い、いや……そんな事無いっすよ……」
即座に藤岡が肯定した事に戸惑いながら、俺は首を横に振る。
だが、藤岡は柔らかな微笑みを浮かべながら、もう一度首を縦に振った。
「いや、自分では気が付いてないのかもしれないけれど、君は優しいよ。とてもね」
「……なんで、そんなにはっきりと言い切れるんですか?」
何故かムッときて、俺は眉根に皺を寄せる。
そして、藤岡に向けて懐疑的な目を向けた。
「つうか……ぶっちゃけ、俺と藤岡さんは、まだ知り合って全然時間が経ってないっすよね? それなのに、さも俺の事が良く解ってるような言い方をされても、適当に慰められてるように感じて――」
俺は、『正直、いい気持ちはしないです』と続けようとしたが、さすがに角が立つと思い直し、途中で口を噤む。
それに対して、藤岡は「違うよ」と首を横に振ると、俺の顔を真っ直ぐに見つめながら言葉を続けた。
「別に僕は、適当に慰めようとして、君の事を『優しい』なんて言った訳じゃないよ。本当にそう思ったからさ、心からね」
「……だから、それはなんで――」
「ほら、みんなで水族館に行った時さ」
俺の問いかけを遮るように、藤岡は話を続ける。
「君は、なかなかふたりきりになれない僕たちの為に、ルリの事を引き受けてくれたじゃないか」
「あぁ……」
藤岡の言葉に、俺は先週の事を思い出した。
確かに彼の言う通りだ。
だけど、それは――、
「……別にそれは、優しいとかじゃないっすよ。単に……あの時のミクが、藤岡さんと一緒に居れなくて寂しそうだったから、何とかアイツに笑顔になってほしくて……それで――」
「でも、君は未来ちゃんの事が好きなんだろ?」
「……はい」
「それなのに、君は自分の気持ちよりも未来ちゃんの笑顔の方を優先して、自分にとっての恋敵に塩を贈るような真似をした訳だ」
そう言うと、藤岡はニコリと微笑み、優しい声で続ける。
「それは、よっぽど心が優しい人じゃないと出来ない事だと思うけどね。……正直、僕が君と同じ立場だったら、同じように出来る気がしないよ」
「……」
俺は、複雑な気持ちで黙り込んだ。
そんな俺を前に、藤岡は「それに――」と言葉を続ける。
「今日もだよ。――本郷くんは、ルリの作ったあのハンバーグを、残さず食べてくれたじゃないか」
「……へ?」
藤岡の言葉に、思わず俺はキョトンとした。
そんな俺の当惑をよそに、藤岡は苦笑を浮かべ、ぶるりと身を震わせる。
「正直……あのハンバーグは、ちょっと食べるのはきつかったよね。もちろん、ルリが一生懸命作ってくれたのは分かるんだけど……」
「ま……まあ、そっすね……」
藤岡の言葉に、あのハンバーグの強烈な味を思い出してしまった俺は、慌てて口を押さえながらぎこちなく頷く。
そんな俺を見た藤岡は、同情混じりの苦笑を浮かべながら言葉を継ぐ。
「そんなハンバーグを、君は全部食べてくれたじゃないか。食べられなかった僕の代わりに……いや、ルリの事を悲しませない為に、ね。それこそ、よっぽど優しくなければ出来ない事だよ」
「い……いや、あれは……!」
俺は、藤岡の言葉に対し、慌てて首を横に振った。
「あれは別に、立花さんを悲しませないようにって訳じゃなくて、その……せ、せっかくわざわざ作ったハンバーグを捨てちゃうのがもったいないなぁって思っただけで……」
「そうかなぁ……?」
藤岡は、俺の弁解を聞きながら、訝しげに首を傾げる。
「確かに、食材がもったいないって思う気持ちは分からないでもないけどね。それでも、少なくとも、僕には無理だったよ。まあ……あれが、ルリじゃなくて未来ちゃんが作ってくれたハンバーグだとしたら、また違うのかもしれないけどね」
「……」
苦笑している藤岡にどう返せばいいのか分からず、俺は複雑な思いを抱きながら黙っていた。
――ふと、
『ミクさんの料理を物足りなく感じてたところで、あたしがたっぷり愛情を込めて作った一番の大好物を出せば、ホダカの気持ちはグッとこっちに傾くはずだよ! うん、これで勝つる!』
俺の頭の中に、スーパーで意気込んでいた立花さんの言葉が蘇る。
そして、真剣な表情で台所に向かい、不慣れな手つきで、それでも懸命に藤岡の為の料理を作っていた彼女の顔が――。
期待で目を輝かせながら、自分が作ったハンバーグを藤岡に薦める立花さんの笑顔が――。
「……藤岡さん」
俺は、目の前で揺蕩う湯面をぼんやりと見つめたまま、低い声で藤岡に声をかけた。
そして、「何だい?」と訊き返してきた彼に向かって、静かに口を開く。
「その……藤岡さんにとって、立花さんはどんな――」
……そこまで言いかけたところで、俺の舌は止まった。
「……ルリ?」
急に話を止めた俺に、藤岡が怪訝な声で訊ねる。
「僕にとってルリが……何だい?」
「……あ、いえ!」
問いかける藤岡に、俺は慌ててかぶりを振った。
「や、やっぱり何でもないっす! き……気にしないで下さい!」
そう言うと、俺は急いで立ち上がり、手早く手拭いを腰に巻きつける。
そして、ぎこちない笑みを藤岡に向けた。
「お……俺、先に上がりますね! 何だか、ちょっとのぼせちゃったみたいっす。――じゃっ!」
そう告げた俺は、藤岡の返事を聞く事も無く、くるりと振り返って湯船を出ると、逃げるように脱衣所へと向かう。
――なんでか分からないけど、無性に胸がざわつくのを感じながら。




