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第七十一訓 食べ物を粗末にするのはやめましょう

 「え……?」


 急に自分の掌から持っていた皿の重みと感触が無くなった事に一瞬遅れて気付いた立花さんが、ビックリした声を上げて目を丸くした。

 そして、消えた皿を俺が持っている事に気付くと、当惑と苛立ちと怒りが入り混じった声を上げる。


「……ちょっと! 何するの? 返して!」

「いや、ちょっと待てって!」


 立花さんが伸ばした手を避けるように、体を回転させてハンバーグの載った皿を背中で庇いながら、俺は咎めるように声を上げた。


「せっかく君が作ったハンバーグじゃん! 捨てちゃうのはもったいないよ!」

「もったいなくないもん! それ……もうハンバーグなんかじゃないし……!」


 俺の声に、キッと眉を吊り上げた立花さんは、微かに震えた声で言う。


「……ていうか……食べ物ですらなくなっちゃったし……」

「そ……そんな事無いって!」


 俺は、彼女の言葉を否定しつつ、手元の平皿をチラリと見た。

 ……確かに、ハンバーグと言うには、表面が些か焼け焦げすぎているのは確かだ。下手をすると、『ローマ時代に火山の大噴火に巻き込まれて火山灰の中に埋まった古代都市ポンペイの遺跡から発掘された』と言われても信じてしまいそうなレベルだ。

 ……と、俺が何をしようとしているのかを察した立花さんが、顔を青ざめさせた。


「ちょ……! も、もしかして、アンタ……それ食べる気っ?」

「う、うん、まあ……そうみたい……」


 俺は、立花さんの問いに対し、曖昧に頷きながら答える。

 ……正直、何でコレを食べようなんて命知らずな事をする気になったのかは、俺自身が知りたかった。

 ただ……立花さんの頬を伝う涙を目にした瞬間、なぜだか胸がカっと熱くなって、『とにかく、何とかしなきゃ!』と強く思ったんだ。

 そして、気が付いたら彼女の手から皿を奪い取っていた……。

 な……何を言ってるのか分からねーと思うだろうが、俺も何でそんな事をしたのか分からない……。

 そんなポルナ〇フ状態で混乱している俺に、立花さんは激しくかぶりを振りながら叫んだ。


「ダメだって! そ……そんなの食べたら、おなか壊しちゃうってば!」

「う……」


 彼女の鋭い声を聞いた俺は、思わず気圧されて、自分が手に持っている皿に目を落とす。

 そして、今にも『誰が生めと頼んだ!  誰が造ってくれと願った!』と、今にも某いでんしポケ〇ンのような呪詛の言葉を吐き散らし始めそうなハンバーグの成れの果てを目の当たりにして、内心思わず尻込みする……。

 (ああ……何やってんだろう、俺。ハンバーグを捨てに行った立花さんを、そのままスルーしときゃ良かった……)と、さっきの無意識下での行動を激しく後悔しつつ、俺はおずおずと口を開く。


「そ、そうだね……確かにそんな事もあるかも……しれ……」


 と、その時、

 俺の目に、大きな瞳からポロポロと涙の粒を零しながら、じっとこっちの方を見つめている立花さんの顔が映った。

 その、懸命に強がろうとしつつ破綻してしまっている彼女の泣き顔を見た瞬間、俺の心がカっと熱くなる。


(――ええい! お前は、今何を言おうとしているんだ、本郷颯大! お前はもう賽を投げちまったんだよ! 今更怖気づいていたらめちゃくちゃダセえぞ! 肚ぁくくれ!)


 自分の中のカッコつけな部分に激しく叱咤され、それに衝き動かされるように、俺の口は直前まで言おうとしていた事とはまるで逆の言葉を紡いだ。


「いやいや! 大丈夫大丈夫ッ!」


 俺は、無理やり満面の笑顔を拵えると、テーブルの上の箸を引っ掴むと、皿の上のハンバーグを一切れ摘まみ上げる。

 そして、呆気にとられた顔をしている藤岡に向かって言った。


「藤岡さん! このハンバーグ、もう食べないんだったら、代わりに俺が食べちゃいますね! いいっすよね!」

「あ……う、うん……でも……本郷くん――」

「だ……だから! 食べちゃダメだってば! あたしは別にいいから、とにかくやめなさいよ、このおバカ!」


 気遣うような藤岡の声を遮った立花さんの声は、いつも以上に乱暴で、金切り声に近い。……でもそれは、俺の事を本気で心配するが故のものなのが痛いほどに解った。

 それを感じ取った俺は、彼女に向かって微笑を向ける。


「平気だって! ひとり暮らしの貧しい食生活で鍛えられた俺の胃袋は伊達じゃねえって!」

「で、でも……これはさすがに、いくら何でも……」

「それに……おばあちゃんが言ってたんだ」

「へ?」


 唐突に俺の口から出てきた“おばあちゃん”に当惑する立花さんに、俺はドヤ顔で言い放った。


「――『食べ物を粗末にしちゃいけないよ』ってね! いっただきまーす!」


 そう叫ぶと同時に、俺は箸で摘まんだ一切れのハンバーグを、大きく開けた口の中に放り込む。


「あっ、ちょ――っ!」


 立花さんの上ずった叫び声を聞きながら、俺は口の中に含んだハンバーグを奥歯で噛みしめた。

 次の瞬間――、


 ――ジャリリリリ……ッ!


「――ンぐッ!」


 噛みしめた奥歯の奥から伝わってきた、ハンバーグにあるまじき歯ごたえと異音と味と匂いに、俺は思わず目を白黒させる。


 一番最初に感じたのは、ハンバーグとは思えない、まるで石ころを嚙んだのかと錯覚しそうな程の硬度と耳障りな雑音。

 次いで感じたのは、炭を嚙み潰したかのような強烈な焦げ臭さと苦み……!

 ――ただ、それに関しては、ある程度外見から結果が予測できていたので、何とか耐えられた。


 ……だが、その後に染み出してきた生の玉ねぎのツンとくる香りと辛味は、完全に想定外。

 どうやら、挽き肉と一緒に混ぜ込んでいた玉ねぎにしっかり火が通っておらず、半生状態だったかららしい……。


「……!」


 それでも俺は、遠ざかりかける意識を懸命に繋ぎ止めながら、口の中のハンバーグを咀嚼して飲み込むと、皿に残ったハンバーグ全部を一気に掻き込んだ。

 量が多い分、先ほど以上の凶悪さで五感に訴えかけてくる強烈極まる刺激で、やにわに意識が混濁する。

 そんな俺の脳内では、『炭化物質のジェットストリームアタックやぁ~ッ!』と、テレビのバラエティー番組でよく見る太ったタレントがドヤ顔で絶叫していたり、なぜか三体に増えた上に手足を生やした黒焦げハンバーグたちが縦一列に並び、ホバー走行で突撃してくるという奇妙奇天烈な幻覚が何度も去来した。

 その幻の中で、“黒い三連肉団子(ハンバーグ)”を敢然と迎え撃ち、三機目のハンバーグ(オルテガ)が振り下ろしたダブルスレッジハンマーをまともに食らったところで――しがないオールドタイプの俺の意識は途切れたのだった。


 ……ああ。刻が、見える――。

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