第六十九訓 感想は適切な言葉で伝えましょう
何はともあれ――
それから程なくして、晩ご飯が出来上がった。
ローテーブルと逆さにした段ボール箱で拵えた即席の“食卓”の前に腰を下ろした藤岡が、目の前に並ぶ料理から立ち上る湯気を嗅ぐと、ミクと立花さんに向けてにこりと笑いかけた。
「やあ、これはいい香りだね。とっても美味しそうだよ」
「えへへ……ありがとうございます」
ミクは、藤岡の言葉を聞くや、嬉しそうに顔を綻ばせる。
そして、真ん中の大皿に乗っている山盛りの肉じゃがを、おたまで小皿に盛りつけながら言った。
「……正直、ホダカさんのお口に合うかどうか自信は無いんですけど……どうぞ」
「ありがとう」
ミクの手から小皿を受け取りながら、藤岡は穏やかな微笑みを浮かべる。
すると、彼の斜め向かいに座っていた立花さんが、上ずった声を上げた。
「あ、あたしも一緒に作ったんだからね! た……玉ねぎを切ったり、じゃがいもの皮を剥いたりとか!」
「そうだね。ルリちゃんにもたくさん手伝ってもらったもんね」
立花さんの声に、俺の分の肉じゃがを小皿に盛りつけていたミクは大きく頷く。
そして、盛りつけた小皿を俺に渡しながら、キッパリとした口調で言った。
「やっぱり、さっきのは訂正します。私とルリちゃんが心を込めて作ったから、絶対に美味しいはずです。さあ、どうぞ!」
「う、うん」
「そうだね。未来ちゃんの言う通りだ」
ミクの力強い言葉にたじたじとなりながら、ぎこちなく頷く俺とは対照的に、藤岡は穏やかな表情で何度も頷く。
そして、肉じゃがの小皿が全員に行き渡るのを待ってから、おもむろに両手を合わせると、俺たちの顔を見回した。
「じゃあ、食べよう。――いただきます」
「いただきまーす!」
「あ……はい、いただきます」
「……いただきます」
藤岡の声に、俺たちも三者三様の声で続く。
俺は箸を取ると、真っ先に肉じゃがに手を付けた。
箸の先で味の染みたじゃがいもと肉を摘まみ、そのまま頬張ると、醤油の香りと甘じょっぱい味が口の中いっぱいに広がる。
「……うん、美味い!」
「本当? 良かった~!」
思わず俺が上げた絶賛の声に、ミクは安堵と喜びが混じった表情を浮かべた。
俺は、存分に口の中に広がる肉じゃがの風味を堪能しながら、大きく何度も頷いてみせる。
「本当に美味いよ。スーパーの惣菜の肉じゃがなんかよりもずっと!」
「え、そんなに? さすがにそこまでは言いすぎじゃないかなぁ……?」
俺の賛辞に対し、ミクは照れくさげに答えると、自分の分の小皿から肉じゃがをひとつまみし、口に運んだ。
そして、苦笑いを浮かべながら首を傾げる。
「確かに美味しく出来たとは思うけど……さすがに、お店で売ってるものより美味しいって事は無いよ。別に、普通だと思うけど……」
「いやいや。本郷くんの言う通りだと思うよ」
懐疑的なミクの言葉をキッパリと否定したのは、藤岡だった。
彼は、もう空になった小皿に、肉じゃがのおかわりを盛りつけながら言う。
「これはお世辞でもなんでもないけど、こんなに美味しい肉じゃがを食べたのは初めてだよ。煮汁は醤油とみりんと砂糖のバランスが絶妙で、そんな甘じょっぱい汁が染みこんだじゃがいもと玉ねぎがめちゃくちゃ美味しいよ」
「そ、そうですか……?」
藤岡の絶賛の言葉に、ミクは頬を染めながら、はにかみ笑いを浮かべた。
「えへへ……そんなに褒めてもらえて、お世辞でも嬉しいです」
「そんな、お世辞なんかじゃないよ。ねえ、本郷くん?」
「え? あ、は、はい」
唐突に藤岡から話を振られた俺は、完全に虚を衝かれながら、大きく首を縦に何度も振ると、小皿からじゃがいもとにんじんと肉をまとめて摘まんで口の中に放り込み、味を確認する。
「うん、めちゃくちゃ美味いよ。なんて言うか……その……ヤバい。それと……ヤバいくらい美味い。えと、だから……パねえって感じ?」
「あはは……ありがと」
ああっ、俺のアホ!
美味しさを表す為の語彙力が圧倒的に貧弱貧弱ぅ! 見ろ、ミクがなんか複雑な顔して笑ってるじゃねえか!
俺は、心の中で自分の事を激しく罵りながら、誤魔化すようにご飯を掻っ込んだ。
藤岡は、そんな俺に苦笑しながら、今度は立花さんに尋ねる。
「……ルリはどうだい? 美味しいよね?」
「え……」
ちょうどじゃがいもを口の中に入れようとしていたところで声をかけられた立花さんは、びっくりした顔で、まるで時間停止の魔法をかけられたように一瞬動きを止め、そのままの体勢でぎこちなく頷いた。
「う……うん、美味し……あ、いや」
一瞬『美味しい』と言いかけた立花さんは、途中でハッと我に返ると、小刻みに首を横に振る。
「ま、まあ、素人が作ったにしてはまあまあじゃないかな、うん」
「なんだ、随分と厳しいな。……でも、その割りに、もう皿が空っぽみたいだけど」
「う……」
ニヤニヤしながらの藤岡の指摘に、立花さんの顔が赤くなる。
それを見たミクが、にっこりと笑いながら手を出した。
「おかわり、よそおっか?」
「……お願いします」
頬を染めながら、おずおずと小皿を差し出す立花さん。
山盛りだった肉じゃがが、見る見るうちに減っていく。
「あ……お、俺もおかわり!」
「ふふ、はいはい」
慌てて俺が差し出した空の小皿を受け取ったミクは、嬉しそうな顔で肉じゃがをすくい上げ、その様子を藤岡が優しい眼差しで見つめていた。
……なんだか、ホームドラマの家族団らんのシーンのようだ。
藤岡がお父さんで、ミクがお母さんで、俺と立花さんが……兄妹――い、いやいや!
それじゃ、ミクと藤岡が夫婦で確定しちゃうじゃないか! そ……そんな事は、たとえ想像であっても断じて認められない!
「……どうした、本郷くん? いきなりヘッドバンキングし始めたりして?」
「あ……い、いや、何でもないっす……」
嫌な想像を頭の中から追い払う為に、首を左右に大きく振ったのを藤岡に心配されながら、俺はミクの手から肉じゃががこんもりと盛られた小皿を受け取った。
――その時、
「そ、それより、ホダカッ!」
唐突に立花さんが声を上げる。
そして彼女は、藤岡の前だけに置かれた皿を指さし、目を輝かせながら言った。
「肉じゃがもいいけど、あたしの作ったハンバーグも食べてみてよ!」
「……!」
そう立花さんが言った瞬間、藤岡の眉がピクリと跳ね上がり、その表情が固まった。
「あ……ああ……」
藤岡は僅かに表情を引き攣らせながら、立花さんの指さした皿の上に乗ったものを凝視する。
俺とミクも、固唾を呑んで、彼の視線の先にあるそれに緊張の眼差しを向けた。
「「「……」」」
絶句する俺たちの視線の先にあったのは、立花さんが藤岡の為だけに作った手作りハンバーグ。
――いや、
もはや、真っ黒な暗黒物質と化した消し炭だった――。




