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第六十四訓 異性を振り向かせる為には胃袋を掴みましょう

 「はぁ……はぁ……」

「ぜぇ……ぜぇ……」


 スーパーの入り口で惚気るミクと藤岡の前から逃げ出し、闇雲にスーパーの中へと飛び込んだ俺と立花さんは、野菜売り場と魚コーナーを走り抜け、肉コーナーの手前くらいでようやく立ち止まり、肩を上下させながら息を整えた。

 ようやく少し呼吸が落ち着き、げっそりした顔を上げた立花さんが、俺の事を睨みつける。


「な……なんで逃げてんのさ、アンタ……」

「そ……それは、君も同じでしょうが……」

「ぐ……」


 俺の反論に口ごもった立花さんは、その頬をリスのように大きく膨らませ、憮然とした声で言った。


「だ、だって、しょうがないじゃん……。気がついたら、身体が勝手に動いちゃってたんだもん……」

「ミートゥー……」


 立花さんの言葉にコクンと頷いた俺は、傍らの壁面に大きく表示された『お肉コーナー』というポップな文字を指さし、言葉を継ぐ。


「ほら……『ミート』だけに! ……なんちゃって」

「さっぶっ!」

「……」


 ウィットに富んだジョークを聞いた瞬間、露骨に顔を顰めた立花さんが吐き捨てた、端的にして率直にして容赦の無さすぎる言葉に、俺の表情と周囲の空気が凍りつく。

 もっとも、空気の方は、俺がジョークを発した瞬間に氷点下まで凍てついた気がしないでもないが……気のせいだろう、うん。


「ご……ごほん……。と、ところでさ……」


 俺は、誤魔化すように咳払いをすると、立花さんに尋ねる。


「ど……どうしよっか……? 今から、ミクたちの所に戻る?」

「うーん……」


 俺の問いかけに、立花さんは難しい顔をして考え込んだ。


「正直……逃げ出しちゃった手前、今すぐに戻るのはちょっと……。でも、ホダカたちをふたりきりで放置してたら、もっとイチャイチャしちゃいそうだし……」

「でもさ……さすがに、こんなにたくさんの人がいたら、そこまでベタベタはしないんじゃないかな?」


 そう、立花さんの呟きに答えた俺は、周囲を指さす。

 ちょうど夕方の時間帯という事もあって、店内の通路は買い物カゴを持った子供連れのお母さんや、ショッピングカートを押すお父さんたちでいっぱいだった。


「……確かに、そうかも」


 俺に続いて周りの状況を見回した立花さんも、俺の意見に賛同して、心なしかホッとした表情を見せ、何気なく美味しそうな肉が並んだ冷蔵ショーケースに目を向けた。

 すると、彼女は「いい事考えた!」と小さく叫んで、ポンと手を叩く。


「じゃあさ、ついでに食材も買っちゃおう! あたしがホダカの為に作ってあげる晩ごはん用のさ!」

「えっ?」


 立花さんの言葉に、俺は当惑の声を上げた。


「いや……別に俺たちが買わなくても、ミクに任せとけばいいんじゃね? もう、夕食に何を作るか決めてるみたいだし」

「それは、みんな用の晩ご飯でしょ?」


 立花さんはそう言うと、目を輝かせながら首を左右に振る。


「そうじゃなくて! あたしが作るのは、ホダカだけの為のホダカ限定スペシャルメニューだよ!」

「……はいぃ?」


 立花さんの言葉の意味が解らず、思わずどこぞの特命課の警部殿のような声を上げる俺。

 そんな俺のリアクションも意に介さず、立花さんは声を弾ませながら言葉を継ぐ。


「さっき、ミクさんが言ってたでしょ? ホダカが何を好きか分からないって!」

「あ……ああ~。確かに、そんな事を言ってたような気が……」

「でも、あたしは知ってるもんね~、ホダカの一番の大好物が何かって!」


 そう言って、立花さんはドヤ顔でほくそ笑んだ。


「――だから、ミクさんが作る晩ごはんとは別に、あたしが作ってあげるの。ホダカの一番の大好物をね!」

「お、おう……」

「ミクさんの料理を物足りなく感じてたところで、あたしがたっぷり愛情を込めて作った一番の大好物を出せば、ホダカの気持ちはグッとこっちに傾くはずだよ! うん、これで勝つる! 希望の未来へレッツゴーッ!」

「そ……そう上手くいくかなぁ?」


 興奮した顔で捲し立てる立花さんに、俺は思わず言葉を挟む。


「たかが料理ひとつで、そんなに簡単に靡くんだったら苦労しないんじゃないか? あと最後、それを言うなら『希望の未来へレディ・ゴー』な――痛ぇッ!」

「うっさい! せっかくあたしがテンションアゲアゲなのに水を差すな、このネガティブ陰キャ男!」


 今度は俺の左ふくらはぎに強烈なローキックを放った立花さんが、目を吊り上げながら怒鳴った。

 そして、苦悶の表情で左脚を抱えてピョンピョンしている俺に向かって、居丈高に命じる。


「ほら! 分かったら、サッサと買い物しちゃうよ! 手伝って!」

「て……手伝えって……その、『藤岡さんの大好物』の材料を揃える為に?」

「そうだよ! 文句ある?」

「……いえ、喜んで~」


 俺は、小さく溜息を吐いてから、しぶしぶと頷いた。正直、彼女が口にした作戦は楽観が過ぎるとは思ったが、だからといって迂闊に口出しすると、今度は右ふくらはぎが犠牲になりそうだし……。

 これ以上の反論を諦めた俺は、傍らに積み上げてあった買い物カゴを手に取り、機嫌を直した様子の立花さんに尋ねる。


「……で、何を買えばいいのさ? つか、藤岡の大好物って何なの?」

「ふふふ……知りたい?」

「いや、まったく知りたくはないんだけど、知らないと何が必要なのか分からないじゃん」

「あ、そっか……」


 俺の言葉に頷いた立花さんは、ニヤリと微笑むと、勝ち誇るように言った。


「それはね……ハンバーグだよ!」

「ハンバーグ? ……意外とガキっぽ――」

「なに?」

「ナンデモナイデス」


 立花さんにギロリと睨みつけられた俺は、口から出かけた『ガキっぽい』という言葉を慌てて呑み込んだ。

 そして、白々しく冷蔵ケースの中を覗き込みながら、立花さんに訊く。


「え、えーと……ハンバーグを作るには何が必要なんだっけ?」

「え?」


 立花さんは、俺の問いかけに対し、なぜか虚を衝かれたような声を上げた。

 そして、目をしきりにパチパチと瞬かせながら、自信無さげに答える。


「そ、そう……確か、に、肉……挽き肉……かな?」

「挽き肉……豚とか牛とか合い挽きとかあるみたいだけど、どれだろ?」

「え、ええと……多分、何となく高級そうだから、牛……?」

「……じゃあ、あとは?」

「ほ、ほか?」

「ハンバーグは、肉だけで出来てる訳じゃないでしょ? たしか“つなぎ”とかも入れるって、母さんが言ってた気がするよ」

「ツ……ツナ……ギ……?」


 俺の言葉に、立花さんは目を白黒させながら、心なしか狼狽えているように見えた。

 そんな彼女の様子を訝しんだ俺は、首を傾げながら声をかける。


「……どうしたの?」

「ちょ……ちょっと待ってて!」


 彼女は声を荒げると、おもむろにスマホを取り出し、液晶画面を忙しくタッチし始めた。


「え……えーと……『ハンバーグ 作り方』……あ、『ハンバーグ 作り方 カンタン』の方がいいかな……」

「……ひょっとして」


 焦り顔でネット検索し始めた立花さんを見た俺は、嫌な予感を覚えつつ、彼女に尋ねる。


「君……ハンバーグとか作った事が無い感じ?」

「な……何さ! 文句あるッ?」


 俺の問いかけに、顔を真っ赤にしながら立花さんは声を荒げた。


「べ、別に大丈夫だって! 今は、ネットで作り方を調べれば全部分かるんだから。は、ハンバーグだってチョチョイのチョイだよッ!」

「あ……」


 立花さんの答えに、自分の嫌な予感が当たった事を悟った俺は、思わずチベットスナギツネのような顔になりつつ、静かに悟るのだった。


 ――これは、もうダメかも分からんね……。

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