第五十七訓 講義中の私語は慎みましょう
俺は、思わず耳を疑いながら、上ずった声で一文字に訊き返した。
「もちろんって……え、そんなに普通なの? マジ?」
「まあね。恥ずかしながら、拙宅はかなり古くてね。あちこちからしょっちゅう出てくるよ、G」
「ま……マジでぇッ?」
一文字の口から出た衝撃の事実に、俺は口をあんぐりと開けて愕然とする。
……だが、同時に納得も出来た。
“古い”と言えば、ウチのアパートも築四十年だから、かなり古い。古ければ古いほど幽霊が出やすいのなら、ウチのアパートも幽霊のひとりやふたりくらい居て当然なのかもしれない……。
「案外、そんなものなのか……」
……良かった。
古い家に住んでいて、心霊現象に悩まされているのは、俺だけじゃなかったんだ。
そう思えて、少しだけ気が楽になった俺は、ついでにラップ音現象の事も聞いてみる事にした。
「じゃあ……お前ん家も聞こえるのか? Gが鳴らす、あの音……」
「ああ、音ね。確かに、あれも気になるよねぇ。……と言っても、もう長い付き合いだから、ボクはすっかり慣れてしまったけど」
「な……慣れるモンなの、アレぇッ?」
一文字の発言に、再び愕然とする俺。
そんな俺の反応を面白がるように、鼻の穴を大きく広げながら、一文字は頷いた。
「だって、気にしてたら眠れないもの。それに、アレはただうるさいだけで、実害は無いしね」
「ま、まあ……確かに」
俺は、一文字の言葉に、目から鱗が落ちるような感覚を覚える。
確かに、一文字の言う通りだ。確かにラップ音はうるさいけれど、それだけだ。
気にしなければ、どうという事は無い! ……という事か。
心なしか、俺の横に座ってドヤ顔している一文字が立派に見える……気がする。
と――その時、
「……そうだ」
脳裏にとある考えが浮かんだ俺は、微かな期待を込めて一文字に尋ねた。
「そ……そんなにしょっちゅう出没るんだったら、ひょっとして、Gを退治する方法も知ってたりする?」
「え? 退治?」
俺の問いかけにキョトンとした表情を浮かべた一文字は、すぐに力強く頷く。
「そりゃ、もちろん。知っているに決まっているじゃないか」
「マジっすか!」
一文字の答えに、俺は歓喜と感嘆の入り混じった叫びを上げた。
と、
「……ゴホンッ!」
「あ……スミマセン……」
教壇の方から上がった、明らかに俺の事を咎めんとする強い意志の籠もったわざとらしい咳払いに、俺は身を縮こまらせながらペコペコと頭を下げる。
そんな俺の事を鋭い目で睨んだ宝生先生だったが、それ以上は何も言わず、再び読経……もとい、解説に戻った。
「ふう……」
宝生先生に見逃してもらえた俺は、安堵の息を吐くと、隣でニヤニヤしている一文字の小憎らしい顔を横目で睨む。
だが、ふと俺は、直前の会話を思い出した。
(除霊の方法も知ってるとか、コイツ、実は凄腕のゴーストスイーパーなんじゃないだろうか……?)
そう思いながら見返すと、何となくコイツの顔から『タダ者では無い感』が滲み出ている……ような気がする。
ひょっとしたら、心霊関係に関しては、案外と頼れる存在なのかもしれない……と考えた俺は、試しに、以前にネット経由で知った『除霊に有効なアイテム』について訊いてみる。
「そういえばさ……。Gにはファブるといいとか言うよな! アレって、ぶっちゃけ本当に効くのか?」
「ファブる……ああ、消臭剤の“ファブローゼ”ね」
そう言って手を叩いた一文字は、考え込むように顎に手を当てながら答えた。
「あぁ……確かに効くって言うよね。……でも、実際に使って見ると、仕留められるまでに意外と時間がかかるから、逃がしちゃう事も多いんだよ、アレ」
「そ……そうなのか……」
一文字の回答に、俺は感嘆の声を上げながら頷く。
やっぱり、本来は臭い消しが本業のファブローゼに、除霊効果まで期待するのは虫が良すぎる話のようだ。
今日、家に帰る前に、駅前のドラッグストアに寄って一箱ほど買っていこうとか思ってたけど、考え直した方が良さそうだな……。
と、
一文字がニヤリと笑いながら、言葉を継ぐ。
「ていうか、ファブローゼなんかよりも、ずっとGに効くヤツがあるよ」
「え、マジ?」
俺は、一文字の言葉に食いついた。
「何それ? 知らない間に、そんな画期的な対G決戦兵器が開発されていたのかっ? お……教えてくれ、一文字! そ……それは、どうやってGを倒すんだ?」
「ブフフフ! それはね……」
俺に頼られた事が嬉しかったのか、一文字は得意げに鼻を鳴らすと、勿体ぶった口調で答える。
「……瞬間冷凍スプレーさ」
「しゅ、瞬間冷凍スプレー……だと?」
一文字が口にした奇妙な答えに、俺は思わず目を丸くした。
意外な答えに唖然とする俺の反応を見て更に気を良くしたらしい一文字は、まるでハ〇ト様のような不気味な笑みを浮かべ、大きく頷く。
「そうさ。今までボクが試した中で、一番効果があったのは、瞬間冷凍スプレーを直で噴射する方法だよ」
「なん……だと……?」
一文字の言葉を聞いた俺は、にわかには信じられない思いで訊き返した。
「つまり……瞬間冷凍スプレーで、直接Gの身体を凍らせるのか……?」
「イグザクトリィ」
俺の問いかけに、妙に本場チックな英国英語で返してきた一文字は、鼻の穴を大きく膨らましながら言葉を続ける。
「君もやってみれば分かるだろうけど、すごい効き目だよ。あんなにすばしっこいGが、逃げようとする素振りも見せずに動かなくなるんだ。しかも、ノズルを使えば、離れたところからピンポイント狙撃できるから、攻撃の寸前までヤツに気付かれにくいっていうのもデカいね」
「マジか……!」
事もなげに言ってのける一文字に、俺は思わず驚嘆と驚愕が入り交じった声を漏らした。
Gを……“幽霊”って、そんな事で撃退できるんだ……!
俺はてっきり、お経とかお札とか式神とか……そういう超常的なアレで除霊するモンだとばかり……。
「……つうか、知らなかった。Gって、凍るんだな……」
「え?」
ふと俺が漏らした呟きに、一文字はキョトンとした顔をしながら、コクンと頷いた。
「……そりゃそうさ。所詮、Gはタダの昆虫だからね。瞬間冷凍スプレーを吹きかければ凍るに決まってる」
「…………は?」
一文字の言葉に、俺は思わず呆気にとられる。
「な……何言ってんだ、お前? Gが昆虫? そんな訳無いだろう?」
「いやいや、君の方こそ、何を言っているんだい?」
言い返した俺に訝しげな目を向けつつ、一文字は首を傾げながら言った。
「まあ……確かに、Gと同じように嫌われてるムカデやクモは、正確に言えば“昆虫”ではないんだけど、Gに関しては紛れもなく“昆虫”だよ。そもそも、“昆虫”の定義としてはね――」
「いや……それ、『GHOST』の“G”じゃなくて『GOKIBURI』の方の“G”やないか――ッ!」
ようやくの事で、自分と一文字の間でとんだ認識の齟齬が発生していた事に気付いた俺は、思わず絶叫し、
「――ゴホン! ゴホンッ!」
「あ……す、スミマセン……」
――怒気の籠もった咳払いをした宝生先生に、すごい形相で睨まれてしまうのだった……。




