第五十四訓 いわれのない誤解はきちんと解きましょう
「はああああぁっ?」
「へええええぇ~っ!」
ミクの口から出た爆弾発言に、俺は驚愕の声を、母さんは驚嘆の声を同時に上げた。
「ちょ、ちょ、ちょ待てよっ!」
思わず俺は、ミクに対して、某永遠のアイドル俳優みたいな口調で叫ぶ。
「そ……そ、それって、ひょっとして――た、立花さんの事を言ってんのか?」
「うん、そう」
ミクは、俺の問いにあっさりと頷いた。
それを見た俺は、思わず顔を顰めながら、ブルブルと小刻みに首を横に振る。
「い……いや! それは……そんな事は絶対に無えよ!」
「え~、そうなの?」
強く否定する俺に、ミクはキョトンとした顔をして首を傾げた。
そんな彼女に、俺は大きく頷き、言葉を継ぐ。
「当たり前だろ! だって、俺がす――」
勢いあまって、『俺が好きなのは、お前なんだから!』と口走りかけた俺だったが、すんでのところで我に返り、慌てて口を噤んだ。
そんな俺の様子に、ミクは驚いたように目をパチクリさせている。
――と、
「ねえねえ、ミクちゃん!」
母さんが口を挟んできた。
その目には、キラキラ……否、ギラギラという擬音がピッタリな光が宿っている。
母さんの、まるで格好の獲物を前にした雌ライオンの如き眼光を目の当たりにした俺は、背筋にツーと音を立てて一筋の冷や汗が垂れ落ちるのを感じた。
――あ、オワタ……。
「ちょっと、そのお話、私にも詳しく聞かせてくれないかしら?」
「あ、はい」
年甲斐もない猫撫で声を上げる母さんに、ミクは気安く頷く。
「あ、ちょ、ちょっと待っ……」
もちろん、俺は止めようとした。
だが、そのか細い制止の声は、母さんの般若の如き一睨みによって、陽炎のように容易く掻き消される。
俺を無言の一瞥で完封した母さんは、再びにこやかな笑顔を浮かべて、ミクに尋ねた。
「その、ミクちゃんの彼氏さんの幼馴染……タチバナさんって名前だったかしら?」
「あ、そうです。立花瑠璃ちゃん。……私、もう言ってましたっけ?」
「うふふ。さっき、颯くんが思いっ切り叫んでたからね」
「あっ。そういえば、確かに」
母さんの答えに、ミクは合点がいったというようにポンと手を叩く。
その横で渋い顔をする俺に、母さんは勝ち誇った顔を向けてから、更に質問を重ねた。
「ところで……その娘、どんな感じなの?」
「え……と……」
えらくザックリとした母さんの質問を聞いた俺は、反射的に立花さんの顔を思い浮かべる。
明るい茶髪のショートボブに、いかにも気の強そうな――まるで猫みたいな大きな目。……まあ、年齢よりも幼い顔立ちなので、“キレイ”って感じじゃないが……まあまあ整ってる方なんじゃないだろうか……おとなしく黙ってさえいればだけど。
と、そんな事を考えている俺を差し置いて、ミクが大きく頷いて答える。
「とっても可愛い女の子です! それに、元気いっぱいで、結構積極的ですね」
「あらぁ、そうなのっ?」
ミクの答えを聞いた母さんが、顔を綻ばせて声のトーンを半音上げた。
「積極的なのはいいわね。何たって、ウチの颯くんは奥手でビビりだから、ぐいぐい引っ張ってくれる女の子の方が合うと思うわ」
「い、いや! それは……!」
母さんの言葉に、俺は慌てて異議を唱える。
「あ、あの娘……立花さんの場合、『グイグイ引っ張る』って言うより、むしろ『ズルズル引きずり回す』って言う方が正しい感じで――」
「あ、それはますます颯くんに合ってるじゃない!」
「は、はいぃっ?」
「引きずり回してくれるくらいでちょうどいいんじゃない? 颯くんの性格的には、ね」
「……」
生みの親の無慈悲な言葉に絶句する俺。
……とはいえ、さすがに十九年間も俺を見てきた実の親の言葉。
妙な説得力があって言い返せねえ……。
「ですよね! 実は私も、ふたりのやり取りを見ながら、そう思ってたんですよ~」
「ちょ、ちょっ? お前までっ?」
と、愕然とする俺に構わず、ミクはおもむろにスマホを取り出し、画面をタップしながら母さんに言った。
「あ! そういえば、ルリちゃんといっしょに写真撮ってました! 真里さん、見ます?」
「見る見る~ッ!」
「ファッ? ちょ、ちょっ!」
俺が思いもかけぬミクの提案に狼狽している間に、ミクはサッサと席を立って真向いの席に移動すると、「この娘なんです」と言いながら、母さんにスマホの画面を見せる。
目を輝かせながら、ミクが差し出したスマホを覗き込んだ母さんは、「まあ~!」と、普段よりも一オクターブは高い歓声を上げた。
「かぁ~わぁ~うぃ~うぃ~ッ!」
「……母さん、そんな今時のギャルみたいな声出さないでよ。もういい年齢なん――」
「なんか言った、颯大……?」
「アッイエ! 何でもないです、ハイ!」
母さんから殺気の籠もった目を向けられ、俺は恐怖で全身を硬直させながら最敬礼する。
俺の事を、幕末の人斬りさながらの一瞥で黙らせた母さんは、すぐにだらしなく頬を緩ませながら、ミクのスマホの画面を指さした。
「ミクちゃんの言う通りね! 目がクリクリしてて大きくて、まるで子猫みたい」
「ですよね~。目鼻立ちがくっきりしてて、お人形さんみたいに可愛いんですよー」
ニマニマしている母さんの言葉に、ミクもニコニコしながら頷いている。
母さんは液晶画面に指を滑らせ、次の画像をスワイプしたようだ。
……と、次の瞬間、その表情が蕩けたスライムのようになる。
「あらあらあらあらぁ~♪」
「な、何だよ……? その気持ち悪いリアクションは……」
「うふふふふふふ!」
たじろぎながら尋ねる俺に、母さんは含み笑いを浮かべながら、手に持ったミクのスマホの画面を俺に見せた。
「な、何だ……うー―ッ!」
訝しみながらスマホの画面を見た俺は、思わず絶句する。
そこに写っていたのは――あの日、ペンギンプールで行われたクイズ大会に出場した時の、俺と立花さんのツーショットだった。
「ちょ……ちょっ! み、ミク、いつの間に……っ!」
「えへへ、ごめん」
俺の問いかけに、ミクはぺろりと舌を出しながら謝った。
「あの日にも言ったでしょ? ふたりがクイズ大会に出てるのをこっそり見てたって。その時に、なんかお似合いだなぁって思って、写真を撮っておいたの」
「うぇええ……?」
ミクの言葉に、愕然とする俺。
……と、母さんが期待を込めた目で俺の事を見つめながら、弾んだ声で言った。
「で? で? 颯くん、告った? 告ったの? ねえ、告ったんでしょッ?」
「ちょちょ、ちょっと落ち着けぇぇぇ!」
爛々と目を輝かせながら、かかり気味に問い詰めてくる母さんに辟易しながら、俺は叫ぶ。
「こ、告ってなんかねえよ! つか、食いつき過ぎ! 男子中学生かアンタは!」
「え~っ? 何でぇ?」
母さんは、俺の答えを聞くとあからさまにガッカリした顔をして、ジト目で俺の顔を見ながら訊いてきた。
「なんで、こんな可愛い娘が目の前にいるのにアタックしないのよ?」
「な……何でって、そりゃあ……」
俺は反射的に「立花さんが好きなのは、俺なんかじゃなくて、幼馴染の藤岡穂高だから」と口にしかけるが、母さんの隣で興味津々な表情を浮かべているミクの顔を見て、慌てて言葉を飲み込む。
だが、だからといって咄嗟にうまい言い訳も思いつかなかった俺は、
「な……何だっていいじゃんかよ、そんなの……」
と、口の中でモゴモゴと言いながら、カレーにスプーンを突っ込んで山盛りによそったご飯を、喉に留めた言葉といっしょに誤魔化すように呑み込んだ――が、
「ん……んがぐぐッ?」
まんまとご飯を喉に詰まらせ、目を白黒させながら悶絶するのだった……。




