第五十三訓 ご飯が美味しい時はちゃんと伝えましょう
カレーと唐揚げ……俺の好きなメニューの第一位と第二位だ。
それが、ホカホカと旨そうな匂いを含んだ湯気を立てながら、今俺の目の前に並んでいる。
いつもなら、小躍りして喜びながら、「おかわりもいいぞ!」と言われる前に皿を空にする勢いで食い尽くすところ――なのだが、今日は違った。
「……」
俺は虚ろな顔をして、自分の皿に盛られたカレーをスプーンでひと掬いし、そのまま口に運ぶ。
久しぶりに味わう実家のカレー。
市販のカレールウ(中辛)をベースにしつつ、母さん秘伝の隠し味を加えて辛さがまろやかになって、本当に美味しい……のだが、今の俺には、その味を呑気に堪能する心理的余裕など無かった。
――その理由は、明白だった。
「あらあら~! じゃあ、ミクちゃんとカレシさんが知り合うきっかけって、お弁当からだったのねぇ?」
「うふふ、そうなんですー」
先ほどから、俺の向かいと隣に座ったふたりの女がやたらと盛り上がっている会話のせいだ。
――そう、他でもない。ミクの彼氏……藤岡穂高に関する話題である。
夕食の準備が出来て席に着くや、母さんがミクに次々と藤岡に関する質問を飛ばし、それに対してミクも楽しそうに受け答えしているのが、聞きたくないのに俺の耳に次々と飛び込んでくるのだ。
そのせいで、まったく食事に集中できないし、せっかくのカレーと唐揚げの味もまともに分からない……。
その代わりに、ミクの口から次々と放たれる、全く知りたくもないふたりのエピソードが、俺の頭の中にどんどんと蓄積されていく……。
……うん、控えめに言って地獄である。まるで、針の筵の上に座らされているような気分だ。
だが、隣の席に座ったミクは、そんな俺の苦しい胸の中など知る由もなく、テーブルの真ん中の皿にうずたかく盛られた大量の唐揚げのひとつを箸で摘まみながらニッコリと笑い、言葉を継ぐ。
「お昼の時、いっつもカップ麺ばっかり食べてるから、見かねてお弁当を作ってあげたんです。そうしたら、私の作った唐揚げを物凄く美味しそうに食べてくれて……。それが好きになったきっかけですね、えへへ」
「へぇ、そうなんだぁ」
「って言っても、私の作った唐揚げは真里さんのに比べると全然ですし、ちょっと味付けを失敗した事もあったんですけど、それでもホダカさんは美味しい美味しいって言いながら全部食べて、とても嬉しそうに笑ってくれるんですよね。そういうところがいいなぁって……」
「あ~、そういうの大切よねぇ!」
ミクの言葉に、俺の真向かいに座った母さんは深く頷いた。
「相手が、ちゃんと食べた料理のリアクションをしてくれると嬉しいもんね。そういう細やかな気遣いがわざとらしくなく出来る男性って素敵よねぇ……」
そう言いながら微笑んだ母さんは、俺にジト目を向ける。
「……それに比べて、どこかの誰かさんは、何を食べても反応が薄くて、全然張り合いが無いのよねぇ」
「ゲフ! ゴフッ! ゴホホッ!」
嫌味たっぷりの母さんの言葉を聞いて、俺は噎せて咳き込んだ。
「そ、そうちゃん、大丈夫っ? ほら、お茶飲んで!」
「う、うん……」
慌てた様子のミクが差し出したコップを受け取り、中に入っていた麦茶を一気に飲み干す俺に、母さんはさらに追い打ちをかけてくる。
「まったく……そういうところで気が利かないから、いつまで経ってもモテないのよ。は~」
「か……カレー、とってもお……オイシイッス、オカアサマ……」
ごもっともな母さんの指摘に言い返せようはずもなく、その代わりに俺は料理の感想を口にするが、日頃言い慣れないので、何だかカタコトの日本語になってしまった……。
母さんは「そりゃどーも」と冷めた声で答えると、真ん中の皿から唐揚げを取り、俺の取り皿に載せた。
「はい、唐揚げもどーぞ。何だか食欲が無いみたいだけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ。ありがと」
俺は母さんの問いかけにコクコクと頷きながら、促されるまま唐揚げを口に含んだ。
……うん、美味い。
美味いんだけど……やっぱり、隣にミクがいるせいで緊張しているのと、母さんと交わされるミクとカレシのラブラブ話に激しくメンタルを蝕まれているせいで、ちゃんと味を感じられない……。
――とはいえ、ここでまた無反応だと、また母さんに「そういうところやぞ」と小言を言われてしまう。
そう考えた俺は、脳味噌をフル回転させ、必死に語彙を絞り出す。
「う、うん、美味しい。普通の小麦粉と片栗粉を使っている割にはサクサクとした衣と、市販の醤油と塩胡椒をベースにした味付けが良く合ってるよ。スーパーで特売してた100グラム88円の鶏肉だとは、とても思えな――」
「あーはいはい。もういいですー」
母さんは呆れ顔で、俺の唐揚げへの賛辞を遮った。
そして、大きな溜息を吐くと、フルフルと首を横に振る。
「そういうんじゃないんだよなぁ。全然解ってないよ、颯くん」
「そ、そう? 俺としては、格安の材料でプロ顔負けの味が出せる母さんの料理の腕を絶賛した感じなんだけど……」
「だから、そういう料理評論家みたいな堅苦しい感じじゃなくてね……」
俺の反論に対し、母さんはそう言って不満げに頬を膨らませた。
「……ていうか、格安って言わないでよ。今日の鶏肉はいつもよりちょっぴり奮発したんだから」
「あ、ゴメン……。そんなにいい肉だったんだ?」
「そうよ。今日のはいつものじゃなくて、100グラム98円のお肉ですー」
「へえ……って、いや、そんなに変わらなくね……?」
感心しかけた俺だったが、ふと我に返って頬を引き攣らせる。
「たった100グラム10円の差で、そんなドヤ顔してほしくないんですけど……」
「もう! 『10円を笑う者は10円に泣く』って言うでしょ? ……まったく。そういう事言っちゃうからモテないんだって、颯くんは」
「い、いや! 関係あるか、そこぉっ?」
「大アリよ大アリ。は~……こりゃ、私とお父さんが孫を抱ける日は来そうも無いわね……」
母さんは、反論の声を上げた俺の顔を見ながら、大げさに溜息を吐いた。
と、その時、
「……真里さん。大丈夫ですって。そうちゃんにも、ちゃんといい相手が出来そうですから」
「……へ?」
それまで俺と母さんのやり取りを、ニコニコしながら黙って見守っていたミクが口を挟んできて、その言葉を聞いた俺は目をパチクリさせる。
「へぇ……」
一方、母さんはミクの言葉に目を輝かせ、ずいっと身を乗り出してきた。
「『出来そうですから』って、なんかもうそういう相手がいるっぽい感じの言い方だけど……?」
「はい」
「えっ?」
「はいぃっ?」
ミクがあっさりと頷いた事に、母さんはもちろん、言及された当人である俺自身も驚愕の声を上げる。
そりゃ、ビックリもするだろう。そんな相手がいるなんて、俺自身が初耳なんだから。
「ちょ、ちょっ! み、ミク! な、何だよそれ? お、俺にはそんな相手なんていな――」
「ミクちゃん、それホントッ?」
上ずった俺の声を、それに倍するボリュームの、母さんの興奮した声が遮る。
「はい、ホントです!」
そう言って母さんの問いかけにあっさりと頷いたミクが、ニコニコと笑いながら続けて口にした言葉は、俺に更なる驚愕と当惑を与えた。
「その相手っていうのは――ホダカさんの幼馴染で、高校生の女の子です!」




