第四十六訓 人前でアクビをするのはやめましょう
「ふわぁ……あ」
その日の夜。
閉店を告げる『蛍の光』の物悲しいメロディーが流れ始めたビックリカメラのOAコーナー。
そこで閉店後の品出し作業をしていたバイト中の俺は、口元を手で覆い隠しながら大あくびをして、突然後頭部を叩かれた。
「……あ痛っ!」
「こら、ホンゴーちゃん! まだ完全閉店してないんだから、そんな大口開けてアクビしないの!」
ビックリして振り向いた俺の視界に、険しい表情を浮かべた妙齢の美人の顔が映る。
「あ……す、スミマセン、四十万さん……」
「もう……私や店長ならまだいいけど、もしも副店長あたりにそんな所を見られたら、私が後であの副店長にネチネチ言われるんだから。マジで気を付けてよねー」
「サーセン……」
俺は、軽い口調で注意した四十万さんに申し訳なさを感じながら、ペコリと頭を下げた。
副店長とは、この店のナンバー2である仁良副店長の事だ。
良く言えば温厚、悪く言えば大雑把なウチの店長とは正反対の、重箱の隅をつついて穴を穿ちそうな細か~い性格をした中年男である。
ひとつの粗を見つけたら十倍に重大視して、神経質なまでにしつこく騒ぎ立てるその性格から、その人望は彼の頭頂部と同じくらいに薄く、アルバイトはもちろん、社員の間でも秘かに蛇蝎の如く嫌われている。
それは、コーナー責任者である四十万さんも例外では無かった。
「昨日もさぁ、やれラベルライターのカートリッジの品揃えが悪いだ、やれ電子辞書コーナーの棚が3センチずれていただとチクチクチク……あーっ、あのハゲ! 今思い出してもムカつく~っ!」
「四十万さんっ! お、落ち着いて! まだ完全閉店してないっすから!」
手にしたラベラーを振り回しながら興奮気味で捲し立てる四十万さんを、俺は慌てて宥めすかす。こんな所を仁良副店長に見咎められたら、それこそ大変だ。
「……ごめん」
幸い、四十万さんはすぐに冷静さを取り戻し、気を取り直した様子でインクカートリッジの箱に値段シールを貼る作業に戻る。
俺はホッと安堵の息を吐くと、コピー用紙の補充作業を再開しようとした。――その時、
「……っていうか、何で今日はそんなに眠そうなの、ホンゴーちゃん?」
「へ?」
唐突に尋ねられた俺は、思わず間の抜けた声を上げる。
(……そういえば、昼間にも一文字に言われたな)と思い返しながら、俺は訊き返した。
「そ……そんなに眠そうっすか、俺?」
「うん」
俺の問いかけに、四十万さんはあっさりと頷いた。
「だって、私が見てるだけでも、もう十何回も生アクビしてるよ、君。いつもはそんな事無いのに」
「え、マジっすか?」
「マジだよ」
四十万さんは呆れ顔で再び頷き、言葉を継ぐ。
「副店長がフロアをうろつい……巡回してる時にも三回くらいアクビしてたから、いつバレるかと思って、レジ打ちながらヒヤヒヤしてたんだからね、私」
「あ……申し訳ございません……」
頬を膨らませる四十万さんに、俺は恐縮しながら頭を下げた。
と、四十万さんがおもむろに目を輝かせ、身を乗り出す。
「――で、何でそんなに眠そうなの?」
「えぇ……そこに食いつきます?」
突然間合いを詰められた事におののいて、思わず一歩後退りながら訊き返した俺に、四十万さんは大きく頷いてみせた。
「そりゃ食いつくよ。ホンゴーちゃんがそんなに眠たそうなのを見るの、初めてだもん。どんな理由なのか……私、気になります!」
「い、いや……女子高校生のあのキャラのモノマネは、四十万さんじゃ正直キツ……」
「何か言ったか?」
「い、イエッ! 何でもないであります、サーっ!」
四十万さんのドスの利いた低い声に震え上がりながら、俺は直立不動になって最敬礼する。
……うん、千反田〇るよりも某ホテル・モスクワの女ボスの方が、ずっとこの人のキャラに合っている――。
「……誰がバラ〇イカだってェ?」
「ヒィッ!」
(こ……心を読んだよこの人っ! の、能力者かなんかですか?)と、すっかりgkbrしている俺の顔をジト目で睨んだ四十万さんは、値札シールを貼りつける作業を再開しながら、俺に言う。
「まあ、そんな事いいから、早く答えてよ。こっちは忙しいんだから」
「アッハイ」
思わず「忙しいんだったら、黙って作業した方が効率上がらないっすか?」と答えかけた俺だったが、そんな事をほざこうものなら、目の前の女豹にマシンピストル……もとい、ハンドラベラーでこめかみを撃ち抜かれそうだったので、おとなしく従った。
「実は……昨日一昨日と、あんまり寝れてなくて……」
「二日も? どうして?」
俺の答えを聞いた四十万さんが、訝しげに首を傾げ、ハタと気付いたような表情を浮かべた。
「でも……そういえば、昨日も出勤した時から疲れてる感じで、なんか元気なかったよね」
「ええ、まあ……」
俺は苦笑いを浮かべながら頷く。
四十万さんは、そんな俺の顔に心配げな視線を向けながら、更に尋ねた。
「なんで寝れてないの? もしかして、どこか体調でも悪い?」
「あ、いや……そういうのじゃないんですけど……」
俺の身体を気遣ってくれる四十万さんに、気まずさを感じながら俺は答える。
「その……ちょっと一念発起して、部屋の掃除や整理整頓などを、明け方近くまでかけて……」
「掃除ぃ?」
四十万さんが、いかにも拍子抜けしたとばかりに呆れ声を上げた。
「な~んだ、掃除してただけか。心配して損した」
「あ……すんません」
「もっと面白い理由だと思ってワクワクしてたのに」
「いや……ワクワクて……。それ、本当に心配……してくれてたんすか?」
「つまらん」
「いや、つまらん言われても……」
「このときめきを返してほしい」
「い、いやいや! ときめきって、勝手にアンタが盛り上がってただけでしょうがぁ!」
理不尽な四十万さんの要求に、俺は辟易しながら声を荒げるのだった……。




