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第四十五訓 講義は居眠りしないで受けましょう

 ――その翌々日の月曜日。


「……氏。本郷氏」

「むにゃ……ん……?」


 底なし沼のように深い眠りに落ちていた俺は、不意に衝撃を感じ、微かな呻き声を上げながら目を覚ます。

 だが、そうそうすぐに覚醒する訳もなく、腕枕をしてうつ伏したままの状態で、薄目を開けてぼんやりとしていた。

 すると、再び身体が揺れる。

 どうやら、誰かが俺の肩を揺すっているようだ。


「本郷氏。起きたまえ、本郷氏!」

「んん……んだよ、人がいい気持ちで寝てるってい――」


 忙しない呼びかけに苛立ちを覚えた俺は、思わず声を荒げかけたが、今、自分がいる場所が大学の教室で、講義を受けている真っ最中だという事を思い出すや、慌てて顔を上げた。


「す、すんませんっ! お、俺、寝てないっす! 寝てないっすよッ! ちゃんと聞いてましたッ!」

「……やれやれ。まだ寝ぼけているのかい、本郷氏」


 必死に弁解の言葉を吐く俺の横から、呆れ交じりの声がかけられる。


「……へ?」


 その声を聞いて、俺は寝ぼけ眼を擦りながら、周りを見回した。

 ――よく見れば、七割方埋まっていたはずの教室の席は空席が増えていて、出口に学生たちが列をなしている。


「……あれ?」

「おはよう、本郷氏。もう、とっくに講義は終わってるよ」


 そう教えてくれたのは、一文字だった。どうやら、彼も同じ講義を受けていて、講義が終わっても眠りこけている俺を見かねて起こしてくれたようだ。

 彼は、そのふくよかな顔に薄笑みを浮かべながら、冗談めかして言った。


「いやぁ、随分とぐっすりと眠っていたようだね。おでこが真っ赤になってるよ」

「げ、マジでか?」


 一文字の指摘に、俺は慌てて額を擦った。

 手元に鏡が無いから分からないが、確かに触れた額がじんわりと汗ばんでいる。うつ伏せで寝ている時に、額を腕の上に乗せていたからだろう。多分、『額が赤くなっている』という一文字の指摘は嘘じゃないっぽい。

 俺は、額に垂らして赤くなっているのを隠そうとして、頻りに前髪を額に撫でつけるが、筋金入りの天パである俺の髪の毛はなかなか意のままにならず、ピョコピョコと上に跳ね上がった。


「……まあ、いいや」


 どうせ、誰も俺のおでこなんて見てやしない……そう開き直って、額を前髪で隠す事を諦めた俺は、机の上に広げていたテキストやノートを畳んでカバンに放り込んだ。

 そして、椅子から腰を上げると、一応一文字に礼を言う。


「ええと……その、起こしてくれてありがとう」

「フヒヒヒ! どういたしまして、本郷氏」


 俺の感謝の言葉を聞いた一文字は、その膨れた風船のような顔一面に気色悪い笑みを浮かべた。


「あまりにも気持ちよさそうに寝ているから、一瞬そのままにしておいてあげようかなとも思ったんだけどね。やっぱり“友人”を放っておくのも忍びなかったからねぇ……フヒヒヒ」

「……えーと、次の講義はどこかな~」


 一文字に“友人”呼ばわりされた事に対し、思わず「何でやねん!」とツッコみかけた俺は、すんでのところで思い止まって、時間割を思い出そうとするフリをしながら顔を逸らした。


「あ、そうそう。『西洋史概説』だ。って事で、じゃあな、一文字。また今度」


 そう、いかにも『今思い出しましたよ』的な顔をしながら一文字に言った俺は、くるりと背を向けて、足早に教室を出ようとする。

 ――が、


「奇遇だねえ。ボクも同じだよ。だったら、いっしょに移動しようそうしよう」


 そう言って嬉しそうに顔を綻ばせ、ぴょこぴょこと後をついて来る一文字。


「……」


 俺は背を向けたまま、心の中で自分の迂闊さと運の悪さを呪うのだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 「……それにしても、珍しいね」


 肩を並べながら『西洋史概説』講義が行われる四号棟へ急ぐ途中、一文字が俺に声をかけてきた。


「……何が?」


 俺は、時計を気にしながら、素っ気なく訊き返す。

 正直、単独行動の方が気楽なので、一文字とはさっさとおさらばしたいところなのだが、同じ講義を受けるのに別々に向かうのも今更不自然なので、しぶしぶいっしょに歩いている訳で、あんまり会話を交わしたい気分では無いのだ。……特に、ただの知り合いでしかない一文字(コイツ)とは。

 だが、一文字は、そんな俺の内心など慮る様子もなく、ずけずけと話を続けた。


「いや。君があんなにガッツリ寝てるなんてさ。いつもは、テキストに隠したマンガを読んでたりしてるけど、居眠りはしてないからね」

「“いつも”って……何で知ってるんだよ、俺の授業態度……」

「そりゃあ……」


 薄気味悪さを感じつつ、恐る恐る訊き返す俺にニカッと不気味な笑みを向けると、ドヤ顔で答える。


「あの講義、いつもボクは一番後ろの席に座るから、真ん中くらいに座ってるキミの一挙手一投足が丸見えなんだよ」

「はぁっ? 丸見えって……じゃあ、いっつも後ろから俺の事を見てたって言うのか、お前っ?」

「うん」


 驚いて訊き返した俺に、一文字はあっさり頷いた。


「嘘だと思うなら当ててみせようか? 先週の講義の時には、『血塊戦線』の最新巻を読んでただろ、キミ? 最後の方、感極まって鼻を啜ってたよね?」

「ぐっ……当たってる……!」


 正確に先週の読書内容を言い当てられ、愕然とする俺。

 驚くと同時にドン引きする。


「……いや、俺の事を後ろから見てるとか、ストーカーかよ……キモ……」

「いやいや、誤解してくれるなよ、本郷氏」


 顔を引き攣らせ、横っ飛びで距離を取った俺にジト目を向けながら、一文字は言った。


「さっきも言ったろ? ボクはいつも一番後ろの席に座るから、嫌でも目に入るんだよ。キミだけじゃなくて、あの教室にいる全員の講義中の動きがね」

「あ……そういう事……なの?」


 一文字の答えを聞いて、少しだけ安堵する俺だったが、やはり一抹の不安は拭えない。

 それを、俺の表情から敏感に感じ取ったらしい一文字は、不満そうに眉を顰めた。


「おいおい、心外だな。ボクはそういう趣味は無いよ。ボクはれっきとした異性愛者だよ」

「そ……そっか。そうだよな……」

「まあ……ボクの恋愛対象は、()()()()()()()()んだけどね」

「あっ……」


 ぼそりと一文字が付け足した言葉を耳にした俺は……とても深く納得したのだった。

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