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第四十四訓 部屋はきちんと片付けましょう

 「ふぅ……」


 ミクたちと別れ、自宅に帰ってきた俺は、鍵を開けて家の中に入ったところで大きく息を吐いた。

 夕暮れ時にもまだ早い時間帯だったが、元々日当たりの悪い安アパートの一室である我が家の中は、既に薄暗い。

 俺は、慣れた手つきで腕を伸ばしてリビングの照明のスイッチを押した。

 シーリングの白い光が部屋を遍く照らし出し、我が城の光景が俺の目に映る。


「……はぁ~」


 思わず、溜息が口から漏れた。


「散らかってんなぁ……」


 ついでに、愚痴のような独り言も零れる。

 その呟きの通り、俺の部屋は荒れていた。

 部屋のあちこちに、読みかけのマンガや小説が散乱し、テーブルの上にはコーラやエナドリの空き缶が数本放置。

 ベッドも寝起きの時のまま、薄汚れたシーツが捲れ上がっている状態。

 台所の脇には、この前のゴミ収集に出し損ねた燃えるゴミの袋が、パンパンになった状態で置きっぱなし……。

 それはまさに、典型的ズボラ男子大学生のひとり暮らしといった光景だった。

 まあ、コンビニ弁当の容器が食いっ放しの状態で(うずたか)く地層を成していたり、水回りにコバエが湧いていたり、部屋の隅を黒光りするボディをした“頭文字(イニシャル)G”が徘徊しているような、テレビで取り上げられるような“ゴミ屋敷(レジェンド)”級にはなっていないだけ、まだマシ――。

 と、必死に自分に言い聞かせて、今日まで何やかんやと掃除や整理整頓を後回しにしていたのだが――もう、このまま放置し続ける事は出来なくなった。


 ――絶対に、この部屋を、今とは見違えるようにキレイにしなければならない。

 藤岡と立花さんと――そして、ミクが泊まりに来る、来週の土曜日までに!


 そう、固く決意し、気合いを込めて片脚を上げ、指さし確認のポーズを取って、「ヨシ!」と叫んだ俺――だったが、


「――これは、もう無理かも分からんね……」


 もう一度荒れ果てた部屋の中を見回した結果、俺の揚がりかけたやる気は一瞬で萎んだ。


「はぁ……あと一週間で、キレイになるかなぁ……」


 絶望感が胸に湧くのを感じながら呟いた俺は、それでも気を取り直して、玄関脇に背負っていたカバンを置く。

 それから、ひとまず床に散乱したマンガの単行本を集め、巻数を揃えて本棚に戻し、キレイに本棚に収まったマンガ本の背表紙を一瞥すると、


「――ヨシッ!」


 と、力強く頷いた。


「きょ……今日はこの辺にしておこう! な、何せ、朝から人混みの中にいて疲れちゃったからね、しょうがないね! 明日から本気出す、以上っ!」


 俺は、俺以外に誰もいない部屋の中で、誰かに言い訳するように声を張り上げると、部屋の掃除という重大なミッションを明日以降の俺に丸投げする。

 一瞬、「やろう! ぶっ殺してやる!」と、面倒ごとを押し付けた未来の自分に追い回される青狸ロボットの姿が脳裏を過ぎったが、幸い俺は二十一世紀の人間で、タイムマシンなんか持ってないので、一週間後の俺にぶん殴られる事は無い。

 ――まあ、一週間後に、俺は一週間前(いま)の自分の事をひどく恨むだろうけど……。


「……どっこいしょおっと!」


 俺は、そんな嫌な予感を振り払うように大げさな声を上げながら、ベッドに腰を下ろした。

 そして、手に持っていたスマホのスリープを解除し、『新着あり』のバッジが付いたLANEのアイコンをタッチする。


「……ミクか!」


 俺は、“MIKU-chan”から新着メッセージが来ていた事に胸を躍らせながら、そそくさとそのトーク画面を開き、


「……ぐ」


 真っ先に目に飛び込んできた写真のサムネイルに強い衝撃を受け、思わず苦悶の呻き声を上げた。

 何故なら、『水族館、楽しかったね~(*´▽`*)』というメッセージといっしょに送られてきた画像が、とぼけた顔のアシカを挟んで満面の笑みを浮かべているミクと藤岡の写真だったからだ……。

 写真のふたりは、本当に幸せそうないい笑顔をしていた……。

 はい、もうすっかりアツアツのカップルDEATH。本当にありがとうございました。

 その後にも数枚の写真が貼り付けられているようだったが、とても全画面で画像を開く気にはなれなかった俺は、震える指で『イイね!』とサムズアップする灰色の猫のスタンプを押して、そのままトーク画面をそっ閉じする。


「はぁ~……」


 俺はぼんやりと天井を仰ぎながら深い深い溜息を吐いた。

 なんか……もう、めっちゃくちゃに疲れた……体力的にも、精神的にも。


「もぅ……マヂ無理。……風呂入ろ……」


 俺はそう呟くと、のろのろと腰を浮かせる。

 そして、部屋の隅にある小さなタンスから着替えのパンツとシャツを取り出そうとした時、


 ――ピロリン♪


 ベッドの上に放り投げていたスマホから、メッセージの着信音が聞こえてきた。


「……ミクかな?」


 多分、さっき送ったスタンプの返信を送ってきたんだろう。

 そう考えた俺は、急いで確認する事も無いかなと思い、そのまま風呂場へ向かおうとする。

 だが、立ち上がろうとした拍子に、明るくなったスマホの液晶画面に表示されたメッセージウィンドウが目に入った。


『“RULLY”さんからの新着メッセージがあります』

「……へ?」


 メッセージウィンドウに表示された、予想とは違うアカウント名を見て、俺は思わず当惑の声を上げ、スマホを手に取った。


「立花さんから……?」


 俺は訝しげな顔をしながら、メッセージウィンドウをタップする。

 彼女から届いたのは、一枚の画像と一行のメッセージだった。


「……ふふ」


 それを見た俺は、思わず笑みを漏らす。

 画像は、恐らく立花さんの部屋の棚の上に仲良く並んで乗せられた、見覚えのある二頭のケープペンギン――クイズ大会の優勝賞品の等身大ケープペンギンぬいぐるみ、そして、俺が彼女にあげたカプセルガチャのペンギンキーホルダー。

 そして、『おつかれ』という、シンプルなメッセージだった。


「いや……『おつかれ』って、素っ気ねえなぁ……」


 俺はそうぼやきながら、苦笑いを浮かべる。

 そう言いながらも、立花さんが、あのキーホルダーをぬいぐるみと並べて部屋に飾ってくれているのが、何だか無性に嬉しかった。


「そんなに気に入ってくれたのかぁ……」


 そう、俺は呟くと、そそくさと『おつかれー』と返信文を打つ。

 すると、俺が返信を送る直前に、再びスマホが“ピロリン♪”と着信音を鳴らし、新たなメッセージが表示された。


『今日はありがと』


 ――と。


「……ふふ」


 そのメッセージを読んだ俺の口から、含み笑いが漏れる。

 ――ふと、気が付いたら、さっきミクからの画像を見た時に心の中を覆い尽くした暗く重苦しい黒雲のような気持ちが、嘘のように消え去っていた。


「……よーし!」


 俺は、入力していた返信を一度消してから、改めて書き直して送り、ついでに喜ぶペンギンのスタンプを押すと、スマホをベッドの上に置く。

 それから、散らかり放題の部屋をぐるりと見回して、気合いを入れるように両手を打ち合わせた。


「さて……ちゃっちゃとお掃除、やりますか!」


 俺はそう叫ぶと、まずはテーブルの上の空き缶を片付けるところから始めるのだった――。

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