第四十三訓 分からない事は訊きましょう
その後、お土産のお菓子やら何やらが詰まったレジ袋を提げて売店から出てきたミクと藤岡と合流した俺たちは、帰途についた。
ちなみに、俺は何も買わなかった。ひとり暮らしだから、家に帰ったところでお土産を渡す相手もいないし。
まあ、バイト先や大学の友だ……知り合いに買おうかなという考えが頭を過ぎったりもしたが、金銭的事情に鑑みて断念した。
ぶっちゃけ、水族館の入場料金だけでもかなりの痛手だったのに、それに加えて、フードコートでのぼったくり……もとい、割高な昼食代やら何やらで、俺の財布のライフは既にゼロに近い状態になっていたからだ……。
(――やっぱり、あのカプセルガチャが痛かったな……)
と嘆いてみても後の祭り。せめて、一回でレアを引ければ良かったのに……と、自分の不運を呪っても、レアを当てるまでに費やした千五百円は返ってこない……。
……まあ、レアのペンギンキーホルダーを渡した時に、立花さんがメチャクチャ喜んでくれたので、後悔はあんまりしてないんだけど。
◆ ◆ ◆ ◆
「本当に楽しかったね、水族館」
四人とも帰る方向が違うので、駅の改札の前で解散しようという間際、上機嫌な様子のミクがみんなに向かって言った。
「水族館、とってもキレイで広かったし、アシカショーのアシカたちも可愛らしかったです!」
「うん、そうだね」
ミクの弾んだ声に、藤岡も穏やかな笑みを浮かべながら頷き返す。
「こんな都会のど真ん中の水族館だから、正直あんまり期待してなかったんだけど、思ってたよりもずっと中身が充実しててビックリしたよ」
「カワウソの餌やりも面白かったです。爪が鋭くて、引っ掻かれないかちょっと怖かったですけど」
「あはは。確かに、少し腰が引けてたよね、未来ちゃん」
俺は、楽しそうに談笑するミクと藤岡を見ながら、引き攣った愛想笑いを浮かべて突っ立っていた。
アシカショーやらカワウソの餌やりやらの話は、俺と立花さんが成り行きでクイズ大会に出ていた時に、ミクと藤岡がふたりで水族館を回っていた時の話だったし……正直、ミクと藤岡の間に割り込む事が出来なかったからだ。
実際、ふたりの雰囲気は、少しぎこちないながらも、初々しくて幸せそうなカップルのそれで、他人が入り込めるような余地など一ミリたりとも無かった。
それでも、俺は何とかして会話に割り込もうとはするものの、寸前で気が引けてしまい、その度に酸欠の金魚のように口をパクパクさせているだけだった……。
……だが、もうひとりは違った。
「――そうだね! いっしょに見たサメ、すごくカッコ良かったよね!」
相変わらず大きなペンギンのぬいぐるみを抱きかかえた立花さんが、ふたりの会話に割り込んだ。
さりげなく“いっしょに見た”を強調するあたりに、ミクに対する強い対抗心が感じられる。
ミクとの会話を不躾に妨げられた藤岡だったが、彼は嫌な顔をする事も無く、立花さんに向けて頷いた。
「ああ、シロザメだね。とても大きくて、格好良かったね」
そう言った藤岡は、その顔に柔らかな笑みを浮かべながら、続けて言う。
「――まあ、僕は、ペンギンのプールの所でクイズにバシバシ答えてるルリの方が格好いいと思ったけど」
「な――っ?」
立花さんは、まさかそんな答えが返ってくるとは思いもしなかったようで、完全に不意打ちを食らった顔をして目を丸くすると、たちまち耳の先まで真っ赤になった。
「か、カッコいい……? あ、あたしが……?」
「そうだよ、ルリちゃん!」
狼狽している立花さんに大きく頷きかけてきたのは、ミクだった。
「誰も答えられないような問題を全部答えちゃってて……ものすごくカッコ良かったよ! もしも私が男の人だったら、ルリちゃんの事を好きになっちゃってたかも!」
「な……な……!」
ミクに絶賛の言葉をかけられた立花さんは大いにたじろぎながら、更に赤くなった顔を隠すように、抱きかかえていたぬいぐるみの腹に埋める。
――と、ミクは唐突に俺の方に顔を向け、満面の笑みを浮かべた。
「そうそう、颯大くんも! 走るの苦手なのに、一生懸命走ってて偉かったよ!」
「え……偉かったって……何で上から目線っ?」
ミクの言葉に、俺は頬を引き攣らせながらツッコむ。
「つーか、そこは『カッコ良かったよ』じゃないんかいっ?」
「いやぁ……確かに頑張ってたけど、『カッコ良かった』とはちょっと……。『変顔が面白かった』ならその通りだけど……」
「俺は芸人枠かいっ!」
歯に衣着せぬミクの言葉に、俺は絶叫した。
そんな俺に、藤岡が慰めるように言う。
「でも、とても頑張ってたのは、見てて伝わったよ。アクシデントもあったし、エンタメ的には百点満点じゃないかな?」
「い……いや、別にリアクション芸人的なウケを狙ったつもりは無いんですけど……」
俺は憮然とした顔をして、藤岡に抗議の意思を表す。
と、ミクが立花さんの抱えているペンギンのぬいぐるみに目を遣りながら言った。
「でも、良かったね、ルリちゃん。優勝できなかったけど、優勝した人から賞品をもらえて」
「え……ええ、と……」
「いい人だったんだね、あのホストさん。わざわざぬいぐるみを譲ってくれるなんて」
「う……うん、まあ……」
微笑みかけるミクに、困ったような顔で曖昧に頷く立花さん。
まあ、ぬいぐるみを渡された実際の経緯を知らないミクが、SAY☆YAさんの事を『いい人』だと勘違いするのも無理はない……。
その時、
「……っと。そろそろ急行が来るね。そろそろ解散しようか」
藤岡が、駅内の電光掲示板を見上げながら言った。
「……そうですね」
と、ミクが少し寂しそうな顔をしながら小さく頷くのを見た藤岡は、今度は俺に向かって微笑みかける。
「じゃあね、本郷くん。また来週」
「あ……そうだった……」
藤岡の言葉を聞いて、俺は忘れていた事を思い出し、思わず顔を顰めた。
「マジで泊まりに来るんすか? 別に、事故物件だって言っても、全然何も起こらないですよ、ウチ?」
「そうかもしれないけど、確かめてみる価値はあるさ」
そう言うと、藤岡はニヤリと笑う。
「と言っても、僕にも考えはあるよ。何もせずに怪奇現象が起こるのを待つつもりは無い。役に立ちそうな物を色々と持っていくから、楽しみにしててよ」
「や、役に立ちそうな物って……何すか?」
「ふふふ……それは、当日になってのお楽しみだ」
イヤな予感に苛まれながら問い質した俺に、不敵な笑みを浮かべながらサムズアップする藤岡。
……いや、不安しか無え……。
「私も持っていくね。お弁当とか!」
「あの、ミク……? え、遠足とかじゃないんでね……」
辟易としつつツッコむ俺だったが、ミクの作ってくれる弁当を食べられるのは少し……いや、かなり嬉しい。俺は、憂鬱しか無かった来週の来襲が少し楽しみになった。
――と、
「……あのさ」
唐突に、立花さんが俺に向かって口を開く。
俺は、彼女に声をかけられた事に少しビックリしながら応えた。
「う、うん……どうした?」
「ええとね……」
ぬいぐるみをギュッと抱きしめた立花さんは、なぜか躊躇いがちに言葉を継ぐ。
「……また来週」
「お、おう……また来週。……って、立花さんも来る気なんだ、やっぱり」
「なに、悪い?」
「イイエ、チットモ」
立花さんに睨みつけられた俺は、肩を竦めてかぶりを振った。
そして、首を傾げながら尋ねる。
「……って、それだけ?」
「いや、ええと……」
いつもの彼女らしからぬ煮え切らない態度で、どこか逡巡した様子を見せた立花さんだったが、意を決したように言葉を継いだ。
「それで……今更なんだけど、アンタにひとつ確認したい事があって……」
「確認したい事……?」
俺は、彼女の言葉に首を傾げる。
「何を?」
「あのさ……。多分、一回聞いた事あると思うんだけど、ド忘れしちゃって」
「うん……」
「――アンタのフルネーム、何だっけ?」
「…………いや、マジで今更だな、オイぃぃぃっ!」
喧騒に満ちた駅の構内に、未だに名前を覚えられていない事にショックを受けた俺の悲痛な絶叫が響き渡ったのだった――。




