第四十一訓 女遊びはほどほどにしましょう
「ねえ! 知ってるの? 知らないの? どっちなのよッ?」
「早く答えてくれないかなぁ!」
「え……ええと、あのぉ……」
鬼の形相のふたりのキャバ嬢に詰め寄られて、俺は身を縮こまらせながら、答えに窮していた。
ふたりの身体から漂うキツい香水の匂いと吐息に混ざる酒の臭いが、俺の鼻腔に直撃する……。
そのせいで気分が悪くなり、思わず顔を顰めた俺を見た美沙姫さんと麗夢さんの表情が、更に険しさを増した。
「ちょっと! 何よその顔! ウチらの事をバカにしてんのッ?」
「あ……いや、スミマセン。ちょ、ちょっと気持ち悪くなっちゃって――」
「何よそれぇ! 麗夢たちのどこが気色悪いっていうのさぁ!」
「ち、違いますって! おふたりの事が気色悪いんじゃなくて、匂いがちょっと強烈で、気分が――」
「誰の体臭がキツいってェッ?」
「あ、いや! そ、そうじゃなくって……!」
俺の言葉を曲解して、更に激昂した麗夢さんは、顔面を山姥から般若にグレードアップさせ、俺の胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄ってくる。
と――その時、美沙姫さんが冷笑混じりの声で口を挟んだ。
「あ、やっぱり自分がメス臭いって自覚はあったんだ、このズベタ」
「あぁん、やんのかこの酒乱ッ?」
「なんだぁ……てめぇ?」
……般若がふたりに増えた。
ふたりのキャバ嬢は、ゴゴゴ……と音が聞こえてきそうな闘気を全身に漲らせながら、互いにメンチを切り合う。その様はまるで、敗北を知りたい最強死刑囚と“武神”と呼ばれた空手界の総帥が対峙しているが如く……。
今にも、修羅と化したふたりのキャバ嬢による、血で血を洗うストリートファイトが開戦するかに思われたその時――、
「――あたし、見ましたよ」
「「――ッ!」」
ポツリと上がった声に、美沙姫さんと麗夢さんはハッと我に返る。
ふたりは、さっきまでの諍いが嘘のようにシンクロした動きで、声を上げた小柄な少女の方に顔を向けた。
「見たって――SAY☆YAのクソヤローの事ッ?」
「どこ! どこ行ったの、あのド腐れチン――!」
「……あっち」
目の色をヤバい感じに変えて詰め寄ってくるふたりを前に、立花さんは、さっきSAY☆YAさんが現れた通路の向こうを指さす。
「ついさっき、ペンギンのぬいぐるみを持って、物陰に隠れるようにして歩いてました。もういないみたいですけど」
「マジ?」
立花さんの言葉に、美沙姫さんは目を丸くし、激しく地団駄を踏んだ。
「アイツ、やっぱりこっちに来てたんだ! チクショウ、少し遅かったッ!」
「あの野郎、逃げ足とアレは速いからね……」
握った拳をゴキゴキと鳴らしながらそう呟いた麗夢さんは、美沙姫さんに向かって声をかける。
「……でも、あっちにいたって事は、まだ水族館の中にいるって事っしょ!」
「そっか……! なら、すぐに見つかりそうね!」
そう言って互いに頷き合ったふたりは、さっきまでの形相が嘘のように晴れやかな笑顔を俺たちに向けた。
「ありがとね、助かったわ!」
「あ……はあ」
「どういたしまして……」
美沙姫さんのお礼の言葉に、ぎこちなく会釈する俺たち。
「さあっ! そうと分かれば、こんなところでだべってる暇は無いわよっ!」
「そうねっ! さっさと捕まえて落とし前つけさせてやるんだからっ!」
ふたりは互いの顔を見合わせると、力強く頷き合い、
「どうケジメをつけさせようかしらねぇ……」
「やっぱり、アイツのアイツをちょん切って、ここのシャチの餌にしちゃうとか……」
「小指の代わりに、アレを詰めるのね! それいいかも!」
と、男が聞いたら、思わずある部分が縮み上がりそうな物騒極まる事を大声で捲し立てながら、小走りでこの場を去っていった。
「……ふぅ~」
ふたりの姿が通路の向こうに消えていったのを見届けてから、俺は大きく安堵の息を吐く。
いや……、あのふたりに鬼の形相で詰め寄られた時、マジで寿命が縮みそうだった……。
と、その時、
「いやぁ~! 君たち、マジで恩に着るっすよ! おかげで助かりました~」
思わずぶん殴りたくなりそうなムカつく笑顔を浮かべながら、SAY☆YAさんが売店の棚の裏からノコノコと出てきた。
立花さんが、彼の顔をジト目で睨みつける。
「……別に、あなたなんかを助けた訳じゃないですよ。……ただ、この水族館の中で殺人事件を起こされたくなかっただけです」
「あ、あはははは~。いや、さすがにそこまで……は……」
立花さんの言葉を笑いとばそうとしたSAY☆YAさんだったが、あのふたりなら本当にやりかねないと考え直したらしく、その声は途中で掻き消えた。……うん、俺もそう思います。
SAY☆YAさんは、ふたりが消えた通路の方を恐る恐る窺い見ながら、もう一度俺たちに頭を下げた。
「と……とにかく、匿ってくれて、あざっした! 俺っちは、今のうちにこっからおさらばするっす!」
「あ……はい。くれぐれも気を付けて下さい」
「もちろんっス! ふたりに捕まらないよう、頑張って逃げ切るっす!」
「いや、そうじゃなくて……女遊びもほどほどに的な……」
「あ、そっちっすか~!」
SAY☆YAさんは、呆れ半分の俺の言葉に大げさなリアクションで応えると、むすっとした顔で黙りこくっていた立花さんに向けて、抱えていたペンギンのぬいぐるみを差し出した。
突然目の前に現れたペンギンのぬいぐるみに、彼女はキョトンとした顔で目をパチクリさせる。
「……はい? 何ですか、これ?」
「いやぁ、彼女さんにご迷惑をおかけしたんで、せめてものお詫びの品って事で……コレどうぞ!」
「へっ?」
SAY☆YAさんの言葉を聞いた立花さんは、一瞬宇宙猫みたいな顔になった後、慌ててブンブンと首を横に振った。
「い……いや、いいですよ、別に! こんな物をもらえる程、大した事なんかしてないし――」
「いやいや、大した事っすよ! 俺っちにとっては命の恩人っすもん!」
SAY☆YAさんは、断ろうとする立花さんの手に半ば強引にぬいぐるみを押し付けると、「それに――」と言葉を続ける。
「そもそも、あのクイズ大会に出たのは、美沙姫っちにいいところを見せたかったってだけっすし、賞品なんかは別にどうでも良かったっすし……」
「で、でも……」
「ぶっちゃけ、そのぬいぐるみがデカすぎて、逃げるのに邪魔なんすよねぇ」
「……」
「それに、今の美沙姫っちたちがコイツを見たら、怒り狂って、俺っちの代わりにズタズタに引き裂いちゃいそうっすしねぇ……」
「「…………」」
あっさりと恐ろしげな事を言うSAY☆YAさんを前に、ドン引きする俺と立花さん。
絶句している俺たちに、SAY☆YAさんは「じゃっ、そういう事で!」と一方的に言い放つと、そのままクルリと踵を返し、俺たちが呼び止める間もなく、文字通り脱兎の如き速さで駆け去る。
「……」
すっかり虚を衝かれた俺たちは、彼の背中を呆然と見送る事しか出来なかった……。




