第三百七十九訓 来訪したお客さんは歓迎しましょう
「え……? な、なんでルリちゃんがここに……?」
思いもかけないルリちゃんの登場に驚く俺。
そんな俺の顔をチラリと見たルリちゃんは、赤いフェルト生地のベレー帽を被った頭をチョコンと下げた。
「え、ええと……その、こんばんは……」
「あ……う、うん。こんばんは……」
妙によそよそしいルリちゃんの挨拶に戸惑いながら、俺も彼女と同じようにぎこちなく頭を下げる。
……と、
「わー、ルリちゃ~ん! ひさしぶり~っ!」
年甲斐もなく黄色い声を上げながら、母さんがリビングから出てきた。
「颯くんのお誕生日会以来ねぇ。元気だったぁ?」
「あ……は、はい。お久しぶりです、マリちゃ……あっ、ええと……」
挨拶返しで母さんの名を呼びかけたルリちゃんは、ハッとした顔になって、慌てて口を押さえる。さすがに、『“彼氏の母親”という関係になった人を“ちゃん”呼びするのはマズいかも』と遠慮したのかもしれない。
そんな彼女の躊躇を見た母さんは、苦笑しながら軽く首を横に振った。
「うふふ、この前みたいに、気安く“マリちゃん”って呼んでくれていいわよ」
「いや……でも……」
「あっ、なんだったら、ちょっと気が早いかもしれないけど、“お義母さん”でも全然オッケーよ?」
「ふぇ……っ!」
「ちょっ! か、母さんッ!」
目をまん丸にして硬直したルリちゃんを見た俺は、慌てて母さんを窘める。
「い、いきなり何変な事言ってんだよっ!」
「あらぁ? そんなに変な事かしら?」
強い口調での俺の制止に、母さんはに怪訝そうな声で訊き返したが、その顔にはニヤニヤ笑いが浮かんでいるし、首を傾げる動作もわざとらしかったので、分かった上で面白がってやってるのはミエミエだ。
というか……この“お義母さん”ネタでオチョくってくるスタイル……既視感がある。
――『あらぁ~! もう“お義母さん”って呼んでくれるの? 嬉しいけど、さすがに気が早くな~い?』
……ああ、ルリちゃんのお母さんか。
考えてみれば、ウチの母さんと亜樹子さん……結構似てるところがある。人との距離感が近くてグイグイ来るところとか、自分の事を名前で呼ばせたがるところとか……。
――だったら、ルリちゃんも扱いに慣れてるだろうから、楽かもしれないな。
もし、彼女が母さんの事を本当に“お義母さん”と呼ぶ日が来たとしても――。
(……って! な、何考えてるんだよ、俺!)
いささか飛躍しすぎた、願望混じりの想像が頭をかすめた俺は、慌てて首を大きく左右に振った。
――と、
「ホダカさん! ルリちゃん!」
遅れて玄関に顔を出したミクが、嬉しそうな声でふたりに声をかけた。
「ふたりとも、来てくれてありがとうございます!」
「やあ、未来ちゃん」
菜箸を握ったままで満面の笑みを浮かべるミクに、藤岡さんは穏やかな微笑みを向ける。
「こちらこそありがとう。このパーティーに誘ってくれて」
「良かった……急に誘ったりしたら迷惑かなって、少し心配してたんですけど……」
「いやいや、迷惑だなんてとんでもない。むしろ、今日になるのが楽しみでしょうがなかったよ」
ミクの言葉に軽くかぶりを振った藤岡さんは、今度は母さんの方に顔を向けて微笑みかけた。
「先ほどはインターホン越しだったので、改めて挨拶させて頂きます。――はじめまして。藤岡穂高と申します。本日はパーティーにお招き頂きまして、本当にありがとうございます」
「あ……いえいえいえいえっ! お礼を言うのはこちらの方です!」
母さんは、藤岡の挨拶に一瞬ポケッとした顔で動きを止めてから、声を上ずらせながら首をブンブンと左右に振り、いそいそと身だしなみを整えてから、彼に軽く頭を下げる。
「――はじめまして、颯大の母でございます。おほほ……」
いつもより1オクターブほどトーンを上げた猫撫で声で挨拶し、口元に手を当てながら上品っぽく笑う母さん。
……おい、いい年した子持ちのオバさんのクセに、まるで乙女みたいに頬を赤く染めるな。
「いつも息子が大変お世話になりまして……ご迷惑をおかけしてって言った方がいいかもしれませんけど」
「いえいえ、とんでもないです」
母さんが続けた言葉に、藤岡さんは軽く手を左右に振りながら答えた。
「むしろ、僕の方がお世話になりっ放しで……。僕の趣味に付き合ってくれたり、時には厳しいアドバイスもしてくれたり……息子さんには感謝してもし切れません」
「あ、いや、そんな事は……」
謙遜込みにしてもいささか大げさ過ぎる藤岡さんからの賛辞に少し辟易つつ、俺は頭を掻く。
……と、
(……ねえ、颯くん)
そんな俺の耳元に母さんがそっと耳打ちする。
(確かに、こんな良い人が恋敵じゃあ、颯くんに勝ち目なんか無いわねぇ。ドンマイッ)
「し、しみじみ言うなぁっ!」
実の母からの身も蓋もない慰めに、俺は思わず声を荒げた。
――その時、
「あ、そうだ、そうちゃん」
ミクが、何かを思い出したといった顔で俺に声をかける。
「牛乳が切れちゃったみたいなの。駅前のスーパーまで買いに行ってくれる?」
「え?」
唐突なお願いに、俺は当惑して訊き返した。
「牛乳?」
「そう」
俺の問いかけに、ミクはコクンと頷く。
「カレーの中に入れる牛乳が必要なんだけど、ちょうど無くなっちゃって……」
「あーっ、うっかりしてたぁ!」
ミクの言葉を聞いた母さんが、顔を顰めながら、ぺろりと舌を出した。
「そういえば、少なくなってたのを忘れてたわぁ。牛乳が無いとカレーの味がまろやかにならないわあ困ったわぁ」
と、わざとらしく言った母さんは、ポンと俺の肩を叩く。
「って事で、颯くんヨロシク♪」
「はあっ?」
母さんに促された俺は、思わず不満の声を上げた。
「いや、別に牛乳入れなくても大丈夫だろ? そんなに変わんねえよ」
「それが変わるんだって!」
俺の反論に、母さんは苛立たしげに言い返す。
「少なくとも、本郷家のカレーには必須なの! ほら、つべこべ言わずに買いに行く!」
そう声を荒げながら、母さんは俺を玄関の上がり框から強引に押し出す。
そして、「あぁ、そうそう……」と呟いて、それまでポカンとした顔で俺たちのやり取りを見ていたルリちゃんにニコリと笑いかけた。
「ルリちゃんも、いっしょに行って来てもらっていい? 颯くんひとりじゃ心許ないから」
「えっ……?」
母さんからのお願いに、ビックリした様子で目を丸くするルリちゃん。どうやら、思いもよらないお願いをされて戸惑ったようだ。
一方の俺も、慌てて声を荒げる。
「ちょ、ちょっと待てぇ! 『心許ない』ってなんだよ! いくら何でも、牛乳買うくらいひとりで行けるわ!」
「そーお? なんだか、颯くんひとりだと牛乳じゃなくて低脂肪乳とかを間違って買って来ちゃいそうで心配でさ」
「か、買わねえわ! 小学生のガキじゃあるまいし!」
母さんの言葉に憤慨する俺。
……実は、内心(牛乳と低脂肪乳って違うんだっけ……?)と不安になってるのはナイショだ。
――と、
「……ん?」
母さんが思わせぶりに目配せしながら、何度も顎をしゃくっているのに気付いた。
良く見たら、母さんと同じように、ミクも俺に向かって必死にジェスチャーをしている。
「はぁ? なんだよ……?」
首を傾げながら、ふたりが指し示している先に視線を向けると……同じようにこちらを向いたルリちゃんと目が合った。
「「……っ!」」
一瞬見つめ合ってから、慌てて視線を逸らす俺とルリちゃん。
――そうか、
そういう事か……。
(……母さんとミクは、俺とルリちゃんをふたりきりにしてくれようとしてるって訳か……)
ふたりの意図を察した俺は、小さく息を吐いて気持ちを整えてから、微かに俯いているルリちゃんに声をかける。
「あ、あのさ……そういう事らしいんで……いっしょに買い物に行ってくれる……かな?」
「……」
ルリちゃんは、俺の問いかけに少しだけ間を置いてから、
「……うん」
と、小さく頷いたのだった。




