第三百七十七訓 他人との距離感を考えて会話しましょう
『おひさおひさ~♪』
俺の挨拶に陽気な声で返してきたのは、ルリちゃんの友だちのアカネちゃんだった。
『秋祭りの日に話して以来だねぇ。元気してたぁ?』
「は、はあ……まあ、ぼちぼちっす……」
初めて会話した日と変わらず慣れ慣れしいアカネちゃんに辟易しながら、俺は当たり障りのない返事を返し、次いで当然の疑問を彼女にぶつける。
「って……なんであなたがルリちゃんといっしょにいるんすか? もう結構遅い時間ですけど……」
『なになに? ひょっとしてヤキモチ妬いてんのぉ?』
俺の質問に軽口で返したアカネちゃんだったが、すぐに少し声のトーンを下げて『実はさぁ……』と続けた。
『あーし、前回の中間試験の結果がちょっちヤバくってさぁ。期末の結果次第じゃダブっちゃうかもしんないんよねぇ』
「だ、ダブる……留年って事ですか?」
『そーそー。ヤバい教科は三つ……いや、四つくらいかなぁ』
「四つもっ?」
そこそこ……いや、だいぶ深刻そうな状況に、俺は驚きの声を上げるが、当の本人は、他人事かのような呑気な声で『それでぇ』と言葉を継ぐ。
『さすがにマズいなぁって思ってさ、ルリルリっちに勉強を教えてもらってるってワケ』
「そ、そうだったんすか……」
アカネちゃんの話を聞いた俺は、少し焦りながら尋ねた。
「じゃ、じゃあ……俺が連絡したのは邪魔でしかないっすよね? ゴメン、もう切るから――」
『あー、ダイジョビダイジョビ♪ 別にそんな気を使わなくたってモーマンタイ~』
慌てて電話を切ろうとした俺を、アカネちゃんが止める。
『どーせ、勉強してんのはルリルリじゃなくてあーしだし。それに、あーしだって、ついさっきまでカレピとLANEしまくってたしぃ』
「カレピ? あぁ……」
アカネちゃんの言葉を聞いた俺の脳裏に、以前に彼女と通話した時の記憶が蘇った。
「あの、四股浮気した彼氏さんか……あれからヨリを戻したんですね」
『はぁ? 違う違う!』
俺の言葉に、アカネちゃんが少しムッとした声を上げる。
『あのクソボケゴミカスインポ元々々カレなんかじゃなくて、今カレピと!』
「あ……す、スミマセン……」
(いや、この短期間でもう三人彼氏が入れ替わっとんのかい……)と内心でツッコみつつ、俺は慌ててアカネちゃんに謝った。
……と、
『まあ、そんな事はどーでもいいからさぁ』
あっさりと機嫌を直したらしいアカネちゃんが、話題を変えるように言う。
『ソータっち、ひとつ訊いていーい?』
「あ、は、はい」
アカネちゃんの妙な猫なで声にそこはかとなく嫌な予感を覚えつつ、俺は頷いた。
「な、なんでしょう……?」
『ソータっちさぁ……』
訊き返す俺に、アカネちゃんがいたずらっ子っぽい声で続ける。
『ルリルリとはどこまでいったの?』
「え……?」
俺は、彼女の問いかけに少し戸惑いつつ、正直に答えた。
「どこって……まず水族館に行って……その次には――」
『あぁ、違う違う。そういうコトじゃなくって』
ルリちゃんと出かけた場所を思い出そうとする俺を苦笑交じりの声で止めたアカネちゃんは、クスクス笑いながら『ソータっちにも分かるように言い直すとね』と言葉を継ぐ。
『もうルリルリとヤった? ……って訊いたの』
「や、やった? ……って、な、何を……?」
『そりゃモチロン、ルリルリとエッ――』
『アッ、アァーカァーネエエエエエェ――ッ!』
アカネちゃんの言葉は、唐突に上がった絶叫によって掻き消された。
『い、いきなり何をソータに訊いてんのさ、アンタ! スマホ返せ!』『いーじゃん別に。減るもんじゃないしぃ』『いいから返せぇ!』というやり取りと激しい雑音がスピーカーから漏れ聞こえ、それからドタドタという足音が上がった後に一際大きなバタンという音が鳴る。
最後にガチリという金属音が上がったので、どうやらアカネちゃんから逃れてトイレにでも立て籠もったようだ。
それから少ししてから、息を切らしたルリちゃんの声が聞こえてきた。
『……も、もしもし、ソータ……まだ通話切ってない?』
「あ、もしもし……大丈夫。つながってるよ」
上ずったルリちゃんの声に、俺はコクンと頷く。
俺の答えを聞いたルリちゃんは、小さく安堵の息を吐くと、『そ、そういえば……』と切り出した。
『さっき、ソータに頼まれた通りにメッセージを送ったけど……あんな感じでだいじょうぶだった?』
「あ……うん」
彼女の問いかけに、俺は微笑を浮かべて答える。
「タイミングも内容もバッチリだったよ。協力してくれてありがとうね」
――そう。
さっき、俺が居酒屋を抜けるきっかけになったメッセージは、自然に葛城さんたちをふたりきりにして、彼が四十万さんに想いを告げられるようお膳立てする為、ルリちゃんに送ってもらったものだったのである。
普通に俺が帰ろうとしても、四十万さんは絶対に引き止めてくるだろう。でも、『カノジョからの連絡なので』と言えば、さすがの四十万さんも諦めてくれる――そう踏んだ俺の読みが見事に当たったという訳だ。
『そっか……なら良かったけど』
俺の言葉に少しホッとした声で返したルリちゃんは、『……それで』と続けた。
『うまくいきそ? シジマさんとカツラギさん……だっけ? その人』
「うーん、どうだろうね……」
ルリちゃんの問いかけに、俺はさっきの居酒屋でのやり取りを思い返す。
「葛城さん、イケメンで背も高いし、性格もいいし。勇気を出して四十万さんに告れば、勝算は結構あるんじゃないかなと思うんだけど……」
『じゃあ、だいじょうぶって事?』
「……正直、何考えてるかイマイチ読めないからなぁ、四十万さん」
冬の夜空を見上げながら、俺は小さく息を吐いた。
「ぶっちゃけ、あの人、葛城さんの事を“仲の良い後輩兼友達”くらいにしか考えてないと思うんだよ。だから、葛城さんに告白されて、初めてそういう……自分の事を好きになってくれた存在として意識した時に、四十万さんがどういう結論を出すか……」
そう言って眉をひそめた俺だったが、すぐにフッと表情を緩め、「まあ……でも」と続ける。
「四十万さんの答えがどっちだろうと、葛城さんにとってはプラスだと思うよ。晴れて付き合える事になったらもちろんだけど、たとえフラれたとしても……さ」
『え?』
「フラれたら、ちゃんと諦められるからね」
訝しげな声を上げるルリちゃんにそう答えた俺は、もう一度夜空に目を凝らした。
……そういえば、あの夜もこんな風に空の星を見上げてたっけ。
ミクに自分の気持ちをちゃんと打ち明けて――ちゃんとフラれたあの夏の夜も。
「ほら……俺もそうだったじゃん。ミクへの想いをずっと引きずったままで……」
『あっ……』
「でも、思い切ってちゃんと想いを伝えて……気持ちにケリをつけて前に進めたからこそ――」
そこで一度言葉を切った俺は、フッと微笑みを浮かべてから、静かに続きを口にした。
「君への想いに気付けて、新しい恋を始められたんだよ、俺はさ」
『ソータ……』
……正直、ちょっとクサいかなと思ったけど、ルリちゃんは俺の言葉を笑ったりはしなかった。
その代わり、『……うまくいくといいね、シジマさんたち』と呟き、それから少し恥ずかしそうな声で、
『……あたしたちみたいに、さ』
と続ける。
俺は、そんな彼女の声に「そうだね」と頷き、口元を綻ばせるのだった。




