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第三百七十訓 席は詰めて座りましょう

 目の前に海を望む青いベンチに腰を下ろし、ふうと息を吐いたルリちゃんは、傍らに立つ俺を手招きして、自分の横を指さした。


「ほら、ソータもこっちに座って」

「あ、いや……」


 思ったよりも小さかったベンチの余っているスペースをチラリと見た俺は、少し躊躇って首を横に振る。


「お、俺は立ったままでいいよ……」

「え? なんで?」


 俺の答えに、ルリちゃんは怪訝そうに首を傾げた。


「何を変な遠慮してんの?」

「い、いや……別に遠慮してる訳じゃないんだけど……」


 ルリちゃんの問いかけに、俺は彼女の隣に空いたスペースをおずおずと指さす。


「その……隣、ちょっと狭いじゃん。俺が座ったらギュウギュウなんじゃないかなと……」

「え? そう?」


 俺の答えを聞いたルリちゃんは、自分の横のスペースをチラリと見て、それから俺の方に目を移した。

 そして、苦笑を浮かべながらかぶりを振る。


「別にだいじょうぶじゃない? 確かにギリギリかもしれないけど、ソータはヒョロヒョロだから」

「いや……『ヒョロヒョロだから』って、もっと言い方を……っていうか、そういう事ではなくてですね……」


 彼女が口にしたド直球な擬態語に少し傷つきながら、俺は言葉を継いだ。


「俺が言いたいのは、そこに俺が座ったら、君の体と密着しちゃうって事で……。肩とか……太股とかもさ。そうなったら、ルリちゃんが嫌かなと思って……」

「なんだ、そんな事か」


 俺の説明に呆れ声を上げたルリちゃんは、さっきよりも大きいジェスチャーで手招きする。


「ソータとくっついても、あたしは別に構わないからさ。遠慮しないで」

「そ、そう?」

「ていうか、横に立たれてちゃ、落ち着いて話も出来ないじゃん。だから、さっさと座って」

「アッハイ」


 ルリちゃんの最後の言葉に有無を言わせぬ圧を感じた俺は、慌てて頷き、「じゃ……失礼します」と言って、彼女の横に尻を割り込ませるようにしながら、そそくさと腰を下ろした。

 何とか座る事はできたものの、思った通り、ルリちゃんの体と密着してしまう。

 肩に、脇腹に、太股に、彼女の体の柔らかい感触と仄かな体温を感じた。

 それを意識した途端、心臓が早鐘のように鳴り始めるのを感じながら、俺は前を向いたままで、隣のルリちゃんに上ずった声をかける。


「あ、そ、その……きつくない?」

「…………だいじょうぶ」


 やや間を置いて、彼女の声が返ってきた。

 心なしか、その声が少し揺れているように聞こえた事が気になった俺ものの、隣に顔を向ける事は出来ない。

 だって、この距離で振り返ったら、ルリちゃんの顔は文字通りの“目と鼻の先”だもん……。


「……」

「……」


 ――俺たちの間に、重たい沈黙の空気が垂れ込める。

 聞こえるのは、岸壁に打ち寄せるさざ波の静かな音だけだ。


「…………」

「…………」


 沈黙は、なおも続く。

 本来なら心が癒されるであろう穏やかな波音をぼんやりと聞きながら、俺は気もそぞろだった。

 ……と、その時、


(……ひょっとして、ルリちゃんも緊張してるのかな?)


 ふと、そんな考えが頭を過ぎった。

 ……まあ、緊張するのも当然だろう。

 何せ、これから彼女は、今回の“体験版デート”の結果を踏まえて、先日の告白に対する返事を俺に伝えようとしているのだから。

 ――多分、『ごめん』と……。


「……ねえソータ」

「ひゃっ、ひゃいっ!」


 すっかりネガティブ思考に染まっていたところで、唐突にルリちゃんから呼びかけられた俺は、その場で飛び上がりそうになりながら素っ頓狂な声を上げる。


「な……なな、なんでしょうっ?」

「……どっちがいい?」


 ルリちゃんは、狼狽した俺の問いかけに問いかけで返してきた。

 思わず(質問を質問で返したら、石仮面を被った仙台住まいの漫画家先生に怒られるぞ……)と脳内でツッコみながら、俺はおずおずと訊き返す。


「ど……どっちとは……?」

「……最初に結論から言うか、最後にするか」

「え、えーっとぉ……」


 ルリちゃんが提示した選択肢は、俺を激しく悩ませた。

 ……『どうせ結論は分かってるんだから、さっさと聞いてしまいたい』という諦め混じりの思いと、『絶望を味わう瞬間は、可能な限り遅くしたい』という往生際の悪い願いが、頭の中でぐるぐると渦を巻く……。


「……結論は最後でお願いします」

「ん……分かった」


 悩み抜いて出した俺の答えを聞いたルリちゃんが、隣で小さく頷く気配がした。


「じゃあ……まず、今日の体験版デートの感想から」

「は、はい……お願いします」

「えっとね……」


 ルリちゃんの声を聞きながら、俺はごくりと唾を呑む。


「ひとつめ……『待ち合わせの電車に乗り遅れそうになった』、マイナス五点」

「ふえっ? て、点数制なのっ?」


 単に感想を伝えられるだけだと思っていた俺は、思わず驚きの声を上げながら、彼女に顔を向けた。

 それに対し、ルリちゃんはキョトンとした顔で首を傾げる。


「そうだけど……ダメ?」

「あ、いや……別にダメって訳じゃないけど……」


 至近距離で彼女から大きな目で見つめられた俺は、しどろもどろになりながらかぶりを振った。


「……続けていい?」

「は、はい……お願いします……」


 ルリちゃんの問いかけにぎこちなく頷いた俺は、大きく深呼吸をして、次にどんなダメ出しが来ても耐えられるようにと覚悟を固めるのだった……。

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