第三十七訓 イヤな事はハッキリと断りましょう
「は……はい、まあ……」
俺は、藤岡の剣幕にたじろぎながら、コクコクと首を縦に振る。
すると、それを聞いた藤岡の表情が一層輝きを増した。
「――素晴らしい!」
「……はいぃ?」
俺は、勢いよく立ち上がりながら歓喜の声を上げる藤岡の顔を見上げ、呆然としながら訊き返す。
「す……『素晴らしい』って……何がっすか……?」
「そりゃあ、もちろん! 君が事故物件に住んでいるという事が、だよ!」
「……あの、すみません。何言ってるか全然分からないっす」
俺は、それまでの落ち着いた印象から一転し、まるで怪人を生み出した悪のマッドサイエンティストのような表情で興奮している藤岡にドン引きしながら、首を傾げた。
なにがそんなに素晴らしいのか、まるで分からない……。
その時、
「……あのね」
と、立花さんが、当惑する俺にそっと耳打ちしてきた。
「実はね……ホダカ、めちゃくちゃオカルトマニアなんだよ」
「お、オカルトマニア?」
思わず驚く俺に、立花さんはこくりと頷く。
すると、俺の声を聞きつけた藤岡が、照れ笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「いやぁ、実はそうなんだ。昔から、僕は稲〇淳二の怪奇特番とかが大好きでね。レンタルビデオ店で、『本当にあった呪いの映像』シリーズを借りまくったりもしたし……」
「あたしは嫌だって言ってんのに、無理矢理付き合わされたりしたよね……」
「ああ、そうだったねぇ」
ウンザリ顔でボヤく立花さんに、藤岡は微笑みかける。
「でも、面白かっただろ?」
「でも、作り物じゃん、アレ」
「また、そういう事を言う……」
憮然として言い捨てる立花さんに苦笑いを向け、「……ちゃんとした本物の映像もあるんだけどなぁ」とぼやいた藤岡は、咳払いをひとつすると、気を取り直すようにさっきの話の続きをし始めた。
「……まあ、それで、最近はU-TUBEの心霊チャンネルにハマってるんだ」
「し……心霊チャンネル……っすか?」
「そう!」
思わず訊き返した俺に、藤岡は満面の笑みを浮かべて、力強く頷いた。
「本郷くんは知らないかなぁ? 『ギョギョギョ』とか『ウシミツドキFILM』とか『ダラケメン』とか……最近のおススメは『SOSくりえいたーず』なんだけど――」
「あ、スミマセン。全然知らないっす。あんまり心霊系に興味無いんで、ハイ」
俺は辟易しながら、キッパリと否定した。曖昧に答えて、ヘタに興味を持っているようなリアクションをしようものなら、たちまち聞きたくもない心霊系動画チャンネル談義が始まってしまうような嫌な予感がしたからだ。
案の定、藤岡は「そっか……」と、少しガッカリした表情を浮かべた。だが、すぐに穏やかな笑みを浮かべると、更に言葉を続ける。
「で……そういう心霊チャンネルでは、『事故物件』ものっていうのも良く取り上げられるネタのひとつでね。僕も大好きなんだ」
「そ……そうなんですか……」
俺は引き攣った愛想笑いを浮かべながら、ぎこちなく頷いた。
話の流れが読めない。……だが、何となく嫌な予感がする。
……そして、そんな俺の悪い予感は、不幸にも的中した。
「それで……藤岡くんにひとつお願いしたいんだけど」
と、はにかみ笑いを浮かべながら切り出した藤岡は、こう続けたのだ。
「……一晩だけでいいから、君の家に泊めさせてくれないかな?」
「は……はいぃィッ?」
「は――?」
「え……?」
藤岡の口から出た頼み事を聞いた俺――そして、立花さんとミクが、思わず声を裏返す。
「い……いや、何でいきなり――?」
「いや、夢だったんだよね。事故物件に泊まるの」
当惑を隠せない俺の問いに、藤岡があっけらかんとした様子で答えた。
それを聞いた俺は、思わず呆気に取られる。
「いや……夢て……」
「最近、観るだけじゃ満足できなくなって、実際に心霊スポットを回り始めたんだよ。幽霊が出るっていう噂があるトンネルとか廃墟とか」
「は……はぁ……」
「でも、事故物件はまだ体験した事が無くって。知り合いに『事故物件に住んでる』なんて人もいないし、かといって、不動産屋さんに『事故物件ありますか?』って尋ねても、さすがに教えてくれないしでね……」
「いや、訊いたんかい、わざわざ不動産屋に……」
思わず呆れ交じりのツッコミを入れる俺。
「そりゃ、不動産屋も、いきなり入ってきた一見の客に、やすやすと瑕疵物件の情報を教えたりしないでしょうが……」
「あぁ……言われてみれば、確かにそうだねぇ」
「……」
……ひょっとして、最初の印象とは全然違って、実はかなりの天然なのか、この人……?
と、まるで俺に指摘されてはじめて気づいたというような顔でポンと手を叩いた藤岡を見て、そんな疑念を抱きながら、俺はブンブンと首を横に振る。
「あの、いや、ダメっす。ぶっちゃけウチ狭いし、全然片付いてもいませんし、布団もひとつしか無いですし。だから、とても他人を泊められる状態では……」
「いや、大丈夫だよ!」
どうにかして彼の妙な頼みを断ろうと、思いつく限りの理由を並べ立てる俺だったが、藤岡は爽やかな笑みを浮かべながら、力強く頷いた。
「僕の部屋も、他人の事を言えないくらい狭くて散らかっているから平気だよ。それに、一泊すると言っても、別に寝る気は無いからね。むしろ、心霊現象が起こるのを待ち受ける為に、徹夜するつもりだ。だから、布団の事は心配しなくて大丈夫だよ」
「い……いや、あの……」
「あ、もちろん、本郷くんは僕に付き合って起きている必要は無いから、気にせずに寝てくれて構わないよ」
「いや! だから、そういう事じゃなくてですね……」
藤岡にどんどん外堀を埋められて、焦る俺。
そんな俺に、思いもかけない方向から更なる追撃が飛んできた。
「あ……あのぉ……ホダカさん、颯大くん」
「……どうしたんだい、未来ちゃん?」
「ミク? なに?」
唐突におずおずと手を上げたミクに、俺と藤岡は首を傾げながら問いかける。
すると、彼女は仄かに頬を染めながら言った。
「あの……! わ、私もいっしょに行っていいですかっ? そ、颯大くんの家に……!」
「なっ……?」
「――ッ!」
ミクの言葉に衝撃を受け、俺は絶句する。
、そして、自分の斜め前の立花さんが、目を真ん丸にして息を吞んだのがぼんやりと分かった。
一方の藤岡は、少し怪訝な顔をしながらミクに尋ねる。
「どうしたんだい、未来ちゃん? 君、心霊関係は苦手だったんじゃなかったっけ?」
「え、ええ……そうなんだけど……」
藤岡の問いに、ミクは強張った笑みを浮かべながら、躊躇いがちに答えた。
「い、一回、颯大くんの家に行ってみたかったし……」
「み、ミク……!」
「それに……」
そこまで言って、一度息を吸ったミクは、その柔らかそうな頬を真っ赤に染めながら、ハッキリとした声で言葉を継いだ。
「それに――せっかくだったら、ほ……ホダカさんといっしょにお泊まりしたいから……っ!」
「なっ……がぁッ……!」
そのミクの言葉を聞いた瞬間、俺は白目を剥いて大きく仰け反った……ようだった。
『ようだった』というのは、正直、そこから先の記憶が曖昧だからだ。
ただ……、遠ざかっていく意識の端っこで、
「ふ……ふざけないでよ……もらえますっ? ほ、ホダカといっしょにお泊まりなんて……だ、ダメに決まってるでしょっ! だ……だったら、あたしもいっしょに――!」
という立花さんの金切り声が、いやにハッキリと鼓膜に響くのを感じていた……。




