第三百六十九訓 適当な相槌を打つのはやめましょう
――と、
『え~、場内のお客様にご案内申し上げます~』
ステージの横に据え付けられたスピーカーから、アナウンスの声が聞こえてきた。
『この後、アクアファンタジーエリア内ペンギンプール前広場にて、ペンギンふれあいイベントを開催いたします~。事前予約なさったお客様は、ペンギンプール前にお集まり下さ~い』
「キタ――っ!」
ルリちゃんは、放送の内容を聞いた途端に目を輝かせ、勢いよく立ち上がると、俺に向けて手招きする。
「今日一番楽しみにしてたイベントっ! ソータ、早く行こっ!」
「あ、うん……」
ウキウキした様子の彼女に急かされた俺も、慌てて腰を上げた。
そして、今にもペンギンプールに向けて駆け出しそうなルリちゃんに、おずおずと尋ねる。
「で、でも……その……ま、まだ話が途中……」
「話? あぁ……」
俺の言葉を聞いたルリちゃんは、まるで忘れ物を思い出したような顔をしながら、あっさりと首を横に振った。
「その話は、また後にしよ」
「えっ? あ、後で?」
ついさっきまで交わしていた結構シリアスな話……というよりは説教……をあっさり後回しにされた事に拍子抜けしながら、俺は思わず当惑の声を上げる。
「い、いや、でも……今しがたまで、結構シリアスな話してたじゃん。なのに、後回しって……」
「だって、もうすぐペンギンのふれあいイベントが始まっちゃうんだもん」
そう、しれっと言ったルリちゃんは、おもむろに俺の手首を掴んだ。
「ほらっ! ゴチャゴチャ言ってないで急ぐよ! ペンギンたちが待ってる!」
有無を言わせぬ口調でそう言った彼女は、俺の手首を握ったまま、早足で歩き出す。
そんなルリちゃんに、一瞬「い、いや、そんなに急がなくても、もう参加予約はしてあるし……」と言いかけた俺だったが、彼女のウキウキした表情を見ると結局何も言えず、そのままおとなしく従ったのだった――。
◆ ◆ ◆ ◆
それから一時間半後――、
「あ~、楽しかったぁ~……」
陽が落ちてすっかり暗くなった海沿いの道を駅へ向かって歩きながら、ルリちゃんは満足げな声を上げる。
ふれあいイベントで大好きなペンギンたちと思う存分触れ合える事ができて、彼女はずいぶんとご満悦の様子だ。
「あたしがあげた魚を一生懸命食べてて、可愛すぎてヤバかったよね?」
「あ、うん」
「ペンギンの羽って、意外と硬いんだねぇ。あたし、もっとフニャフニャしてるんだと思ってたよ」
「あ、うん」
「オウサマペンギンの鳴き声、ものすごかったね。写真を撮る時に耳元で急に鳴かれたから、びっくりしちゃった。ソータもでしょ?」
「あ、うん」
上機嫌で話しかけるルリちゃんに、俺は半分上の空で相槌を打つ。
……正直、彼女の話は半分も頭に入ってこなかった。
その理由は、言うまでもない。
俺とルリちゃんの体験版デートが、もう少しで終わってしまう――その事に対する複雑な感情と感傷が津波のように胸に押し寄せているからだ。
色々なハプニングはあったけど、ルリちゃんと過ごした今日の時間はとても楽しかったし、そんな楽しい時間が終わってしまう事への寂しさと名残惜しさも感じている。
……けど、それ以上に今の俺の心を蝕んでいるのは――絶望感だ。
(失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した……)
さっきから、俺の頭の中では、どこかのバイト戦士が遺した手紙よろしく、「失敗した」のフレーズが弾幕のように流れ続けている。
……俺は、人生を賭けて挑んだはずの“体験版デート”に失敗したのだ。
ペンギンショーの後の時点では最悪だった (と思われる)ルリちゃんの機嫌は、その後ペンギンとのふれあいイベントに参加してからは格段に良くなっていた。
でも……それは、別に俺がそれまでさんざん積み重ねてしまった失点を挽回したという訳ではなく、ふれあいイベントのペンギンたちが、彼女にさんざんサービスしてくれたおかげだ。
……つまり、俺自身の評価は、何ひとつ改善されていない。
未だに、何であの時ルリちゃんがあんなに怒っていたのか分かっていないのだが……アレで彼女の俺に対する評価点がかなりのマイナスを食らっている事は間違いない……。
つまり……今回の“体験版デート”の合否は――。
「……おいっ!」
「痛いっ!」
すっかりネガティブな思考に意識が行ってしまっていた俺は、背中に受けた鈍い衝撃に思わず声を上げた。
慌てて横を見ると、持っていた空のバスケットで俺の背中を殴りつけたらしいルリちゃんが険しい顔で睨んでいる。
「さっきから生返事ばっかり! あたしの話、ちゃんと聞いてんのっ?」
「あ、ご、ゴメン!」
眉を吊り上げるルリちゃんに、俺は慌てて謝った。
そんな俺の顔を覗き込みながら、彼女は不意に表情を曇らせる。
「まあ……さっきから、ペンギンの事ばっかり話してるもんね、あたし。……ひょっとして、もううんざりしてる?」
「えっ?」
ルリちゃんに問いかけられた俺は、慌ててかぶりを振った。
「いや、うんざりなんてしてないって! むしろ、ルリちゃんが本当に楽しそうで、こっちも嬉しくなるくらいだよ!」
「……それなら良いんだけど」
俺の答えを聞いて、一瞬だけホッとした表情を浮かべたルリちゃんだったが、すぐに首を傾げる。
「……じゃあ、なんでそんなに心ここにあらずって感じなのさ?」
「あ……それは、えっと……」
ルリちゃんの問いに対し、正直に答えるべきか迷った俺は、一瞬言い淀んだ。
だが、すぐに覚悟を決め、「実は……」と続ける。
「その……気になっててさ」
「気になってて……?」
俺の答えに怪訝そうな表情を浮かべた彼女に苦笑いを向けながら、俺は言葉を継ぐ。
「いや……今日の体験版デートをした成果というか結果というか……まあ、要するに――」
そこで一旦言葉を切った俺は、それまで彼女に向けていた視線を横に逸らした。
とっぷりと夜闇に沈んだ海をぼんやり見つめながら、足元の羽目板を外すボタンを自分で押す死刑囚のような心境で、俺は続きの言葉を口にする。
「――俺が、ルリちゃんの彼氏になれるのか……なれないのか……って、事……」
「…………なるほどね」
俺の言葉に、ルリちゃんはぼそりと呟いた。
その声色からは、今の彼女がどんな感情を抱いているのかは読み取れない。
だから、ルリちゃんが今どんな表情を浮かべているのかを無性に知りたくなったが……視線を再び彼女へ戻す度胸も無かった俺は、ただただ真っ暗な夜の海を見つめるしかない。
……その時、
「――立ち話もなんだから、あそこのベンチに座ろっか」
唐突にルリちゃんが言った。
「……え?」
不意を衝かれた俺が思わず顔を向けると、ルリちゃんが海の方に向けて指さしている。
その指の先を目で追うと……海の方を向いて設置された一脚の青いベンチがあった。
彼女の急な提案に何となく嫌な予感を覚えながら、俺はおずおずと尋ねる。
「ええと……あ、あそこのベンチに座って、何をするの?」
「そんなの決まってるじゃん」
俺の問いかけに、ルリちゃんはあっさりと答えた。
「そんなに気になるなら、今すぐ教えてあげる。今回のデートの感想と――」
彼女はそこで一旦口ごもり、つと目を伏せる。
それから、少し躊躇いの混じった声で言葉を継いだ。
「……ソータに対するあたしの気持ちを――」




