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第三百六十二訓 予測される危険には油断なく備えましょう

 その後――、

 何とかナニが平静を取り戻した俺とルリちゃんは、広い水族館の敷地の中を歩いて回った。

 ルリちゃんは、色とりどりの魚たちがゆったりと泳ぐ大水槽の中を潜るように設けられたトンネルを通ってはしゃいだり、水の上にプカプカ浮かんだラッコたちが腹の上に乗せた貝を器用に叩いて食べる様に萌えたり、薄暗い水槽の中で揺らめきながら幻想的に漂うクラゲに心を奪われたりと、今のところは水族館デートを存分に堪能している……ように見える。

 もちろん、それは俺も同じだった。

 ……もっとも、俺が心ときめかせているのは、水族館の展示生物たちというよりは、傍らを歩くルリちゃんの無邪気な笑顔の方にだったりするんだけど……。


 そんなこんなで時間が過ぎ、お昼近くになった頃合いで、俺たちは水族館の本館の隣に建つ“ドルフィンスタジアム”に向かった。

 ここで催される“ドルフィンショー”は、百景島シーユートピアの目玉イベントのひとつである。

 だから、正直『今から行っても、もう長い行列が出来てて入場すらできないかも……』と、諦め半分でドルフィンスタジアムに向かったのだが……意外にも、俺たちがスタジアムの入口ゲートに着いた時点で並んでいたのは、家族連れやカップルなど……ほんの七組ほどだった。

 まあ……ここのドルフィンショーは、一日に四回ほど催されるから、無理をしてこの時間に観に来る必要は無い。それもあって、『今はちょうど昼飯どきだから』と、多くのお客さんは食事の方を優先して、レストランやフードコートの方に行ったのかもしれない。

 どうやらそれは、ペンギンショーの時にはあれほど居た転売ヤーも同様らしい。……まあ、もしかすると、ドルフィンショー(この会場)で配られるコラボグッズが、どう見ても人気が無さそうな可愛くないキャラのものだったからなのかもしれないけど……。

 そんな訳で、行列の頭の方に並べた俺とルリちゃんは、ペンギンショーの時とは正反対に観客席の最前列に座る事が出来たのだが――そのせいで、俺の身にとんでもない()()が、()()()()降りかかる事になったのだった……。




 「あぁ……まったく、最悪だよ、マジで……」


 ドルフィンショーが終わったスタジアムを出て、舗装された石畳の道を歩きながら、俺はげっそりした声を上げる。


「そりゃ、最前列に座る以上、ある程度は覚悟してたけどさ……。まさか、あんなに大量の水が降ってくるとは思わないじゃんかよ……」

「まあ……あの時は、間が悪かったよね」


 タオルで丹念に拭いたものの、まだじんわり湿っている髪の毛の気持ち悪さに辟易しながらぼやく俺に、ルリちゃんが苦笑いしながら言った。


「よりにもよって、あのタイミングで、イルカが大ジャンプしちゃうなんてさ」


 ……そう、俺は、演技中のイルカが上げる水しぶきへの対策として係員さんから渡されていたビニールシートを、ショーの真っ最中にうっかり床へ落としてしまったのだ。

 慌てて落としたビニールシートを拾い上げようとして屈んだ瞬間、折悪しく前面のイルカが大技のジャンプを決めた事によって生じた大量の水しぶきが、まるで滝のように降り注ぎ……防ぐ術もなかった俺は、まともにそれを浴びてしまったのである。

 おかげで、俺は頭から上半身にかけてずぶ濡れとなってしまい、家から着てきた折角のオサレ服 も着替えざるを得なくなった。

 その時、着替え代わりに水族館の人からもらったのが、今着ている――すれ違う人たちが思わず振り返り、周囲のあちこちからは、


「ぷっ! あの人が着てるトレーナー、何? クソだっさ!」

「胸に付いてるイラストって……何の魚だっけ? ブサかわい……くはないなぁ。シンプルにコワキモい」

「つーか、なんであんないかついオオカミウオのイラストなのに生地がピンク色なんだろ? 合わないにもほどがあるっしょ」

「いや、良くあんな恥ずかしい服着て歩けるなぁ……」

「おかあさーん、あのひとがきてるふく、とってもへんだよー」

「シーッ! そんな事言っちゃダメよ! 見ないふりして!」


 ……といった声がコソコソと上がるほどの、いささか……いや、だいぶ奇天烈なデザインの“シーユートピアスペシャルプレミアムオリジナルトレーナー”である……。


「……」


 周囲の視線と声に居たたまれなくなった俺は、前面にプリントされた妙にリアルなオオカミウオのイラストを隠すように背を丸めた。

 そんな俺に、ルリちゃんがポンと肩を叩く。


「まあ……ドンマイ。いい笑い話が出来たじゃん」

他人事(ひとごと)だと思って……」


 トレーナーのせいで現在進行形で絶賛衆人環視処刑中の俺は、こみ上げる笑みを堪えているような顔のルリちゃんにジト目を向けた。

 でも、彼女はそんな俺の恨めしげな視線など意にも介していない様子で、「ところで……さ」と続ける。


「その……お昼ご飯だけどさ……」

「あ……あぁ」


 ルリちゃんの言葉を聞いた俺も、気を取り直して頷いた。


「もういい時間だもんな。お腹空いたよね」

「うん、結構ペコペコ」


 俺の問いかけに、ルリちゃんははにかみ笑いを浮かべながらお腹をさする。

 それを見た俺は、ニヤリと笑い返しながら、ズボンの尻ポケットからスマホを取り出した。


「じゃあ、すぐ食べに行こう。実は、ネットで下調べして目ぼしい店をピックアップしたんだ」

「あ、ええと……」

「何食べよっか? 一番人気はここのシーフードレストランみたいだけど、こっちの寿司屋もネタが新鮮で美味いって。あ、中華系がいいなら、少し離れてるけど、こことか――」

「……じゃあさ」


 スマホの画面に表示したレストランエリアの地図でオススメの店を次々指さしていく俺に、ルリちゃんが言う。


「どこで食べるか……あたしが決めてもいい?」

「え? あ、うん」


 彼女の声に妙な含みがあるように聞こえた事が少しひっかかりながら、俺はコクンと頷いた。


「もちろん、はじめからそのつもりだよ。君が食べたい所に行くって」

「ありがと」

「で……どこに行くって?」


 俺は、スマホから顔を上げて、ルリちゃんに問いかける。

 それに対して、彼女は「ふふ……」と意味深に笑ってから、おもむろに踵を返した。


「……こっち! ついてきて」


 そう言いながら彼女が歩き始めたのは……、


「……えっ? そ、そっち? でも、そっちの方には――」


 飲食店が集まっているレストランエリアとは真逆の方向だった――。

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