第三百六十一訓 目的を達成する為に力を合わせましょう
ほどなくして始まったペンギンショーは、なかなかの盛り上がりを見せた。
どうやら、観客席を埋めた観客の三分の一くらいは『さいかわ』コラボグッズ目当ての転売ヤーだったらしく、そいつらはステージの上のペンギンには目もくれず、退屈そうにスマホをポチポチしていたものの、残りの三分の二のコラボイベントとか関係無しで純粋にペンギンが好きで観に来ている親子連れやカップルたちが、そいつらの分を補って余りあるほどに盛り上がっていた感じだ。
三分の二の観客たちは、ステージの上で少し小さめの体のフンボルトペンギンたちがよちよちと歩いたり、パタパタと羽をばたつかせたり、小さな段差を飛び越えたり、少し失敗してコケたりするたびに、「がんばえ~!」という舌っ足らずな声援をかけたり、大きな歓声や笑い声を上げていた。
そんな観客たちの中でも一番テンションを上げていたのは――言うまでもなく、俺の隣に座る娘である。
会場の子どもたちに負けないくらいに目を輝かせたルリちゃんは、ペンギンたちが動く度に「わーっ! 超かわいい~!」「がんばれがんばれ~っ!」と黄色い声を上げながら、スマホで一心不乱に写真を撮りまくっていた。
前の人の頭が写らないようにつま先立ちになりながら、頭上高くスマホを掲げて写真を撮っているルリちゃんの子どものように無邪気な笑顔を横目でチラ見しながら、俺も心の中で(わーっ! 超かわいい~!)と歓声を上げるのだった……。
◆ ◆ ◆ ◆
『わくわくペンギンショー・午前中の部は、これにて終了となります~。皆様、温かいご声援をありがとうございました~! お出口は、観客席の後方になっておりますので、端の席の方から順番に――』
大きな拍手と歓声に送られながら、ペンギンたちがよちよちと歩いてステージの袖に消えていった後、会場に案内のアナウンスが流れる。
「はぁ……かわいかったぁ……」
従業員さんの案内に従って出口に向かいながら、ルリちゃんはうっとりとした顔で溜息を吐いた。
「ただ歩いてるだけで、なんでこんなにかわいいんだろうねぇ、ペンギンって……」
そう呟きながら、彼女は自分のスマホの画面をせわしなく指でなぞる。
画面に映っているのは、先ほどのペンギンショーの間に撮りまくっていたペンギンたちの画像だ。
「ほら、見てソータ! この写真とか、めちゃくちゃ良くない?」
声を弾ませながら、俺にスマホを見せるルリちゃん。
嬉々とする彼女の無邪気な笑顔につられて口元を綻ばせながら、俺はスマホの画面を覗き込む。
「本当だ。羽を伸ばしてジャンプしてて……まるで空を飛んでるみたいじゃん」
「でしょっ? 我ながら完璧なタイミングで撮れたと思う!」
俺の答えを聞いて、ルリちゃんは満足げに頷いた……が、すぐに少し表情を曇らせる。
「でも……欲を言えば、もうちょっと近くで撮りたかったかも……」
「うーん、しょうがないよ。一番後ろの席だったからさ」
画像に映るペンギンたちの姿がどれも小さい事を残念がる彼女に、俺は慰めるように言った。
「でも、まだ午後の部もあるし」
「……そうだね」
俺の言葉を聞いたルリちゃんは、気を取り直すように微笑み、コクンと頷く。
「だったら、今度こそ一番前の席に座れるように、午後の部は早めに来て並ぼっ」
「うん、そうしよう」
「午後の部は三時からだから……十二時くらいから並んどけばだいじょうぶかな?」
「い、いや、それはさすがに早すぎるっしょ!」
ルリちゃんに問いかけられた俺は、慌ててかぶりを振った。
「いくら何でも、そこまで早く並ぶ事は……。第一、そうしたら他のところを回る時間が……って」
そう言いかけたところで、俺は十五メートルほど先に人だかりが出来ている事に気付く。
「アレ……何だろう?」
「さあ……?」
俺が指さした人だかりを見たルリちゃんも、不思議そうに首を傾げた。
人だかりは、二十……いや、三十人はいるだろうか? 真ん中にいる何かを取り巻くように集まっていて、絶え間なく「かわいい~!」という声が上がっている。
「見に行ってみる?」
「うん」
興味を抱いた俺が訊くと、ルリちゃんも軽く頷いた。
「何で集まってんだろうね?」
「うーん、芸能人でもいるのかな?」
そんな事を言い合いながら、俺たちは人だかりに向けて歩いていく。
と、その時、
人だかりの中から上がった小さな男の子の声が聞こえてきた。
「ぺんぎんさーん、こっちむいて~」
「ぺ……っ!」
ビックリした俺は、横を歩いているルリちゃんに上ずった声をかける。
「あ、あの人だかりの中にいるの、ペンギンだ! ルリちゃ――」
――だが、
俺が顔を向けると、ルリちゃんの姿は無かった。
「あ、あれ……?」
「すみませーん! あたしにも見せて下さ―いっ!」
「って、早っ!」
まるでDI〇様の“ザ・ワールド”を使ったかのような素早さで、一瞬にして人だかりに加わっていたルリちゃんに、俺は思わず驚愕の声を上げる。
そんな俺をよそに、黒山の人だかりの一番後ろに立ったルリちゃんは、なんとか中心部にいるであろうペンギンに近付こうと、懸命に体を潜り込ませようとしていた。
……だが、人だかりの密度が高く、彼女の力では押しのけて割り込む事は出来ない。
ならばと、つま先立ちになったり、ぴょんぴょん跳ねたりして、なんとかペンギンの姿を見ようとしていたものの……小柄なルリちゃんでは無意味な行為のようだ。
そんな彼女の姿を見た俺は、何とか手助けしたいと思いつつも、いいアイディアが浮かばなくてオロオロする。
――と、
「――ソータ!」
唐突に振り返ったルリちゃんが、鬼気迫る表情で俺を手招きした。
「こっち来て! 早くっ!」
「あ、は、ハイッ!」
俺は、彼女の鋭い声に気圧されながら、慌てて言う通りにする。
「き、来ました……けど」
「よし!」
おずおずと言う俺に、まるで鬼軍曹のような形相で応えたルリちゃんは、くるりと背を向け、手短に言った。
「じゃあ、あたしを抱っこして持ち上げて!」
「は、はい! ……って」
彼女の迫力に圧倒され、一旦は言われるまま頷いた俺だったが、一瞬遅れて指示の内容を理解するや、驚愕の叫びを上げる。
「え、ええええっ? お、俺が、ルリちゃんの体を抱っこするぅっ?」
「そうだよ」
口をパクパクさせる俺の問いかけに、ルリちゃんはあっさりと頷いた。
「せっかくペンギンがこんなに近くにいるのに、これじゃ見る事も画像を撮る事も出来ないでしょ。だから、ソータに持ち上げてもらって……」
「そ、それは分かるんだけど……!」
ルリちゃんの答えを聞いた俺は、ドギマギしながら言葉を継ぐ。
「だ、抱っこするって事は、俺が君の体に触れる……そ、それも、めちゃくちゃ密着するって事で……」
「と……当然じゃない。そんな事分かってるよ」
おずおずと言う俺の言葉に心なしか頬を染めつつも、ルリちゃんはあっさりと頷いた。
「で、でも、他に方法が無いんだからいいの」
「い、いいのって……」
「……っていうかさ」
眉間に皺を寄せたルリちゃんが、言い淀む俺にずいっと詰め寄る。
「“体験版デート”中って事は、今のあたしたちは、彼氏と彼女っていう設定なんだよね?」
「ま、まあ、一応……」
「だったら、別にいいじゃん。ソータがあたしを抱っこしてくれたって。“彼氏”が“彼女”の体に触れるなんて、ふ……普通の事なんだからさ!」
そう言った彼女は、再び俺を手招きした。
「分かったら、さっさと抱っこする! モタモタしてたらペンギンがいなくなっちゃう!」
「え、ええと……」
「……それとも」
急かされながらもなお躊躇う俺を背中越しに見てそう言ったルリちゃんの顔が、少し曇る。
「ひょっとして……あたしの体を触るのがイヤ……だったりする……?」
「そ……!」
ルリちゃんがおずおずと口にした問いかけに、俺は即座に行動で答えた。即ち……彼女の腰に腕を回す事で!
「そんな訳無いでしょが――っ!」
「きゃ……キャアッ!」
俺に腰を抱えられたルリちゃんが、短い悲鳴を上げた。
その上ずった声を聞いた俺は、一瞬で自信を失い、彼女の腰を抱えたまま、恐る恐る尋ねる。
「あ、あれっ? ゴメン、やっぱやめようか……?」
「……ううんっ!」
俺の問いかけに、ルリちゃんはきっぱりとかぶりを振った。
「ば、ばっちこおおおおおーい!」
「……ら、らじゃああああっ!」
ルリちゃんの答えを聞いた俺は、脚を踏ん張り、「フンッ!」と気合の声を上げながら、一気に彼女の体を持ち上げる。
ルリちゃんの体が、覚悟していたよりも簡単に持ち上がった事にホッとしながら、俺は顔を上に向け、彼女に尋ねた。
「こ、これくらいでいいっ?」
「うんっ! バッチリ!」
「そ、そっか……」
ルリちゃんの返答を聞いた俺は、彼女を落とさないようにと、腰に回した腕に力を込める。
……と、少し気持ちに余裕が出来た瞬間、一時的に遮断していた五感の情報が一気に脳に雪崩れ込んできた。
(い、いい匂い……! そ、それに……腰ほっそ……! と、というか……い、今俺の胸に当たってる二つの柔らかな感触って……お、おし、おしししし……ッ?)
一度意識してしまったら最後、もう男の本能に基づく妄想が止まらない……!
(い……いかんっ! び、Be Coolだ俺ッ! 心頭滅却すれば火もまた涼しっ! 素数を数えるんだ本郷颯大あああああああ――ッ!)
◆ ◆ ◆ ◆
「はぁ……嬉しい~……。こんなに近くでペンギンちゃんのあんなかわいいところとかこんな愛らしいところとかが存分に見れるなんて……」
即席のペンギン撮影会が終わった後、歩道沿いのベンチに座ったルリちゃんは、撮った画像をチェックし終えると、恍惚とした表情を浮かべて呟いた。
そして、隣に座る俺の方に顔を向けると、にこりと微笑みかける。
「ソータが持ち上げてれたおかげで、いい写真が撮れたよ! ありがとね!」
「そ、それは何より……」
彼女から感謝の言葉をかけられた俺だったが、気の利いた事も言えず、ぎこちない笑みを返すのが精いっぱいだった。
そんな俺の顔を見たルリちゃんが、訝しげに首を傾げる。
「……どうしたの? さっきので腰でもおかしくして立てなくなっちゃった?」
「い、いや……そういう訳じゃないんだけど……」
心配そうに尋ねるルリちゃんに、俺はぎこちなく首を横に振った。
……そして、平常時より少しボリュームアップした“ピーッ”が彼女の目に触れないよう両手で隠しながら、こっそりと呟く。
「その……タってるから立てないというか……」
「……え? 立ってるから立てない? ……何が?」
「何がって……そりゃもちろんナニが……って! い、いやなななな何でもないっすううううっ!」
キョトンとした顔のルリちゃんに訊き返された俺は、テキメンに慌てながら必死で誤魔化すのだった……。




