第三百六十訓 コラボ限定商品の転売目的でイベントに参加するのはやめましょう
「はぁ……」
朝の空気に晒されて、すっかりひんやりしているプラスチック製の椅子に座りながら、俺は溜息を吐いた。
「こんな事なら、もう一本……いや、二本くらい早い電車に乗った方が良かったなぁ……」
自分の見込みの甘さを悔やみながら、俺は周囲を見回す。
「まあ、今更悔やんだってしょうがないよ」
そんな俺のぼやき声に、隣に座るルリちゃんが苦笑い混じりの声で応えた。
「シーピアのペンギンショーが人気なのは知ってたけど、まさかここまでだとは、あたしも思ってなかったし」
「まさか、まだ開園もしてない時点で、あんなにたくさんの人がペンギンショー目当てに並んでるとはなぁ……」
あの後――
駅から続く一本道を猛ダッシュして百景島シーユートピアの正門に辿り着いた俺たちの目に映ったのは、ずらりと並ぶ長蛇の列だった。
それを見た俺は、てっきり開園待ちの人たちが並んでいるのだと思ったのだが、実は九時半から始まるペンギンショー待ちの行列だと知って驚愕した。
……なんでも、今日は百景島シーユートピアと某子ども向けアニメのコラボデーだったらしく、園内の各所で行われるコラボイベントの中にペンギンショーも入っているらしい。
なんでも、ショーの観覧客に限定コラボグッズが配られるらしく……そのせいで俺たちみたいな純粋にペンギンショーを観る客だけじゃなく、コラボグッズ目当ての子ども向けアニメファン&転売ヤーも加わった事で、いつも以上に行列が伸びていた……という訳だ。
大急ぎで入場チケットを買ってペンギンショーの行列に並んだから、なんとか席を確保する事は出来たものの……俺たちがゲット出来たのは、最後列の端っこ近くの席だった……。
「まったく……こんな物が無ければ、もっと前の席に座れたのに……」
不満たらたらの俺は、持っていた小さなビニールの手提げに恨めしげな視線を向ける。
これが、巷でそこそこ人気だという子ども向けアニメとのコラボグッズだ。
タイトルは、ええと……『さいかわ』?
そういえば、確かに聞き覚えのあるタイトルだけど……限定グッズに転売ヤーが群がるくらいに人気だったのか……。
「……そんなに可愛いようには見えないんだけどなぁ」
手提げ袋に印刷された、ハムスターみたいなキャラクターの少し間の抜けた顔を見ながらそう独り言ちた俺は、今度は前の方に目を向けた。
「ここからだと、ペンギンの姿はほとんど見えなさそうだな……」
硬いプラスチックの座席から半分腰を浮かした俺は、前に座るお客さんたちの頭の間から僅かに覗くステージを見て、失望の溜息を吐く。
と、
「まあ……逆に、立って見ちゃうのもアリかもよ」
ルリちゃんが落胆する俺をフォローするように言いながら、自分の背後を指さした。
「ほら……ここは一番後ろなんだから、別に立ったって誰にも迷惑かけないじゃん」
「あ、そう言われれば確かに……」
彼女の前向きな言葉に少しだけ気持ちが楽になった俺だったが、同時に彼女に気を遣わせてしまった事に気付いて、ますます自分の不甲斐なさが情けなくなる。
「はぁ~……」
「……そんなに近くで見たかったの、ペンギンショー?」
再び大きな溜息を吐いた俺を見て、ルリちゃんが目を丸くした。
「めちゃくちゃガッカリしてるじゃん」
「いや……それは、別にペンギンショーが見えないからって訳じゃ――」
「……えへへ、ちょっと嬉しいかも」
「……へ?」
否定しようとした俺は、ルリちゃんが嬉しそうに顔を綻ばせたのを見て、思わず首を傾げる。
「う、嬉しい? なにが?」
「そりゃ……ソータがペンギン好きになってくれたみたいだからさ」
ニコニコしながら、ルリちゃんは答えた。
「ほら……ホダカたちといっしょにサンライズ水族館に行った時は、そんなに興味無さそうだったじゃん。でも、今日はペンギンショーを見るのを楽しみにしてたんでしょ? 席が遠くてガッカリするくらいに」
「あ、いや……だから、それは別に……」
「だから、嬉しくなっちゃったの。あたしの影響でソータがペンギンを好きになってくれた事が」
「え、ええと……」
実際は、そこまでペンギンが好きになってる訳ではないんだけれど……。
そう伝えようとした俺だったが、とても嬉しそうなルリちゃんの顔を目の当たりにしてそんな事はとても告げられない。
……でも、まあ……いいか。
「まあ、そんなところ……です」
俺は、ぎこちなく頷いた。
まあ……全くの嘘を吐いているでもない。
別に、前からペンギンは嫌いじゃないし。
“嫌い”の反対は“好き”だから……つまり、“嫌いじゃない”って事は“好きだ”って事だ!
はい! Q.E.D.ッ!
「やっぱりっ?」
そんな俺の答えを聞いたルリちゃんが、ぱあっと顔を輝かせた。
「良かったぁ~! ソータもペンギンファンになってくれて!」
「い、いや、そんなに喜ぶ事かな?」
満面の笑みを浮かべながら無邪気に喜ぶルリちゃんの反応に少し気圧されながら、俺は思わず首を傾げる。
それに対し、ルリちゃんは「もちろんっ!」と力強く頷いた。
「だって、ソータがペンギン好きになったら、これからもいっしょに水族館に行ってくれるでしょ?」
「えっ……」
「あたしも何の遠慮もなく『ペンギン観に行こっ!』って言ってソータの事を誘えるしさ。それはとっても嬉しい事なんだよっ!」
「そ……そっか……」
彼女の言葉にコクコクと頷く俺。
その脳裏に、ひとつの問いが浮かぶ。
「そ、それって……ひょっとして……」
「ん?」
ルリちゃんが、訝しげに首を傾げた。
「“ひょっとして”……なに?」
「あ……」
半ば無意識のうちに、ふと頭に浮かんだ問いが口をついていた事に気付いた俺は、慌てて唇を噤み、ブンブンと首を左右に振る。
「な、何でもない! た、ただのひとり言だから……」
「……そう?」
上ずった声で答えた俺に、ルリちゃんは訝しげに眉をひそめながらも、こくんと頷いた。
「変なの。……まあ、ソータが変なのは、いつもの事か」
「そうそう。俺はいっつも変だから……って、オオオオイッ!」
彼女に頷き返しかけた俺は、慌ててツッコミの声を上げる。
――さっき危うく口にしかけた『ひょっとして、“これからもいっしょに水族館に行ってくれる”っていうのは、“恋人として”って事?』という問いかけを、喉の奥深くまで飲み込みながら。




