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第三百五十八訓 気が利いた事をして印象を良くしましょう

 『まもなく横波間(よこはま)、横波間。お出口は右側です。京波東北線・湘南親宿ライン・横須加(よこすか)線・音岸(ねぎし)線――』


 混み合う電車の車内に、無機質な女性の自動音声による到着アナウンスが流れる。


「ん……」


 スマホから目を離した俺は、自動ドアの上に設置された液晶モニターを見上げた。


「着いたか……」


 そう呟いた俺は、自分の左肩にチラリと目を遣り、こっそりと息を吐く。

 そして、一瞬湧いた(もう少しこのままでいたいな……)という未練がましい思いを胸に押し籠めながら、おずおずと手を伸ばして、隣で寝息を立てている少女の肩を軽く叩いた。


「……ルリちゃん、起きて。次で乗り換えだよ」

「うぅ……ん?」


 そっと声をかけると、俺の肩を枕にして熟睡していたルリちゃんが寝ぼけ声を上げる。


「ふわぁ……のりかえぇ?」

「そう。だから、降りる準備しないと」


 スマホをポケットにしまいながら、ルリちゃんのあくび混じりの問いかけに答えた俺は、何気なく左側を見た。

 すると、俺の肩から頭を上げたルリちゃんとまともに目が合ってしまう。


「――っ!」


 思わぬ至近距離に彼女の顔がある事に激しく動揺した俺は、慌てて顔を逸らした。


「あ……ごめん」


 そんな俺に、少し上ずった声でルリちゃんが謝る。


「ひょっとして、今までずっとソータにもたれかかっちゃってた、あたし?」

「あ、いや、まあ……う、うん」

「うわっ、マジでか」


 俺の答えを聞いたルリちゃんは、申し訳なさそうに両手を合わせた。


「肩重かったでしょ? ホントごめんっ!」

「い、いや、全然大丈夫……デス」


 謝るルリちゃんに、俺はぎこちなくかぶりを振る。

 ……実際、彼女が謝る事なんて何も無くって、むしろ俺の方が感謝を述べなくちゃならないくらいだ。

 何故なら、爆睡するルリちゃんにもたれかかられている間中、俺は仄かに漂う石鹸とシャンプーの香りに包まれて、彼女の温もりを感じていられたのだから――。


「いや、ホントありがとうございます……」

「え? 何が?」

「あっ、イエッ! 何デモナイッス!」


 思わず口から漏れた感謝の言葉を聞き返された俺は、大慌てでブンブンと首を横に振った。

 こんな(よこしま)な事を考えてたなんてルリちゃんに知られたら、ドン引かれるに決まってる。

 いや……ドン引きされるくらいならまだマシで、ド変態扱いされたり、異常者と見做されたりして、“体験版デート”が始まる前に失格宣告を食らっ(フラレ)てしまうかもしれない……。

 そう考えて思わずゾッとした俺は、今の話の流れを変えようと、殊更に明るい声を上げる。


「ほ、ほらっ! そんな事より、もう電車がホームに着くよ! 早く降りる準備をしないとっ!」

「えっ? あ、ああ、うん……そだね」


 突然テンションを上げた俺の声にビックリしたらしいルリちゃんは、しきりに目を瞬かせながら、少し怪訝な顔でぎこちなく頷くのだった。


 ……ふう、なんとかごまかせた……かな?


 ◆ ◆ ◆ ◆


 「ええと、多分……こっち……かな?」

「いや、違うっしょ」

「ぐえっ!」


 壁にかかった駅の見取り図を確認して歩き出そうとした俺は、ルリちゃんに襟首を引っ張られて、カエルが潰れたような声を上げる。


「な、何するんだよ、いきなり」

「何するんだよって、アンタが全然違う方向へ行こうとしたから止めたんだけど」

「えっ?」


 当惑混じりの声を上げる俺の顔をジト目で見ながら、ルリちゃんは見取り図を指さした。


「あたしたちが乗るのは一番線でしょ? なのに、アンタが行こうとしたのは逆の方向だよ。だから止めたの」


 そう言って、彼女は天井から下がった案内板に向けて顎をしゃくる。

 ……彼女の言う通り、俺が通ろうとしていたのは、目的のホームとはまるきり逆の方向に向かう通路だった。


「あ、ホントだ……」

「まったく……」


 苦笑いを浮かべながら頭を掻く俺に、ルリちゃんは冷ややかな目を向ける。


「しっかりしてよね。危うく東京に逆戻りするところだったじゃん」

「う……すみません……」


 ルリちゃんの言葉に申し開きも出来ず、俺は平謝りするしかない。

 そんな俺を見て小さく肩を竦めたルリちゃんは、くるりと踵を返す。


「もういいよ。早く行こ。百景島行きの電車が来ちゃう」


 そう言って、先に立ってスタスタと歩き出すルリちゃん。

 一瞬遅れて「あっ、はい」と頷いて、慌てて彼女の後をついていく俺は、少し前を歩く小さな背中をぼんやり見ながら、(マズい……)と内心で焦っていた。

 ――付き合うかどうかの天王山である“体験版デート”だというのに、今のところ、全然ルリちゃんにアピールできていない。

 のっけから電車に乗り遅れかけ、頭には寝ぐせが立ちっぱなしでルリちゃんに直してもらい、駅で通路を間違えかけ――。

 どう考えても、今のところマイナス評価になりそうな事しかやってない……。

 このままじゃ、ルリちゃんにお付き合いをお(ことわ)リックスされてしまうかも――いや、確実にフラれる!


「る、ルリちゃんッ!」


 暗黒の結末を幻視した俺は、顔からサーッと血の気が引いていくのを感じながら、無我夢中で前を歩く少女を呼び止めた。

 俺に呼ばれたルリちゃんは、怪訝な表情を浮かべながら振り返る。


「なに? どうかした?」

「あ、え、えーと……」


 彼女に訊き返された俺は、困り果てながら言い淀んだ。

 別に、何か理由や目的があってルリちゃんの事を呼び止めた訳ではないからだ。


「そ、その……あの……」


 どう言い繕おうかと懸命に考えながら、俺は目をぐるぐると泳がせる。

 ……と、俺の目があるものを捉えた。


「あ、そ、それ!」


 上ずった声で叫びながら、俺はルリちゃんが両手で持っていたものを指さす。

 ……さっき、彼女が電車の網棚から下ろすのを見た、蓋つきのバスケットだ。


「な、なんか重そうだなと思ってさ!」


 そう言いながら、俺はバスケットに向けて手を伸ばす。


「貸して。俺が持つよ――」

「いいっ!」


 ……だが、それに対してルリちゃんが鋭く叫び、俺の手から守ろうとするかのようにバスケットを抱え込んだ。

 

「へ……?」


 彼女から思わぬ拒絶を受けた俺は、呆気に取られて、手を伸ばした格好のままでフリーズする。

 そんな俺に警戒を露わにした目を向けながら、ルリちゃんは「……ゴメン」と続けた。


「さ、さっきも言ったでしょ……。この中に何が入ってるかはナイショなの。だから、アンタには持たせられないの」

「あ、そ、そっか……」


 ルリちゃんの言葉を聞いた俺は、内心引っかかるものを感じながら、伸ばした手を引っ込める。


「そういう事なら……分かった」

「……気持ちだけもらっとくね。ありがと」


 そう言って軽く頭を下げたルリちゃんは、踵を返し、「ほ、ほら! 早く行かないと乗り遅れちゃうよ!」と上ずった声で言いながら、足早に歩き始めた。


「う、うん……」


 彼女の声にぎこちなく頷いた俺も、彼女を追い抜かないくらいの歩幅で後に続く。

 (……余計な気遣いをして、逆にマイナスポイントを増やしちゃったかも……)と、内心で青ざめながら……。

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