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第三百五十六訓 長所はきちんと褒めましょう

 「……はい。こんな感じでいいかな」


 と、ルリちゃんがヘアスプレーと櫛をショルダーポーチの中にしまいながら言った。


「あ……ど、どうも……」


 電車の座席に座って、ルリちゃんに髪の毛を整えてもらっていた俺は、こわごわと手を伸ばして頭を触ろうとする。


「こらこら、そんなに手で触ってたら、せっかくセットしたの髪が元に戻っちゃうよ。確かめたいなら、これで見な」

「あ、うん……」


 呆れ顔でルリちゃんが差し出したコンパクトミラーを受け取った俺は、自分の頭を映してみた。

 ……うん。確かに、さっきまであんなに不屈だった頭頂部の髪が、今は嘘のように整っている。

 俺は、吊革に掴まって自分を見下ろしているルリちゃんの顔を見上げ、ニコリと笑いかけた。


「ありがとう。助かったよ」

「……どういたしまして」


 俺が返したコンパクトミラーを受け取りながら、ルリちゃんは少しぶっきらぼうに答える。

 そんな彼女を改めて見返した俺の脳裏に……数日前に交わした会話の記憶が唐突に蘇った。


 ――『いいかい、本郷氏。「顔を合わせたら、まず最初に相手の容姿を褒めるんだ。化粧とか髪型とか服とか……どんな些細なところでも、いいなと思ったところを大袈裟なくらいに褒めそやして気持ちよくさせる――それが女をオトす基本だよ」……って、昨日プレイした大人のゲームのハーレム主人公が言ってたよ』


 そう、一文字が俺に伝えた“教訓”……。

 コーンポタージュ缶の飲み口に太い指を突っ込んでコーンをほじくり出しながらで、かつ言ってる奴が(一文字)な上に、出典もとある鬼畜ハーレム系エロゲかららしいので、説得力など皆無に等しい……はずなのだが、何故か妙に心に残っている。

 だから、その“教訓”に従って、ルリちゃんに会ったら、何をおいてもまずファッションを褒めようと意気込んでいたのだが……電車に乗り遅れそうになったり、寝ぐせの話になったりしたりで、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた……。

 その事を思い出した俺は、手遅れだと薄々思いつつ、彼女の姿に目を凝らした。


 ――今日のルリちゃんは、いつもとは少し違う系統の装いをしている。

 少し薄手のベージュ色のトップスに、レースがあしらわれたくるぶし丈の黒いロングスカートを合わせ、ヒールの付いた革製のブーツを履いていた。

 頭にチョコンの乗った赤いベレー帽が、少し地味な配色の服装とは対照的で、ちょうどいいアクセントとなっている……気がする。

 ……ぶっちゃけ、日頃はファッションなんて縁のない身なので、コーディネートがどーのとか色彩がどうこうみたいな事は良く分からないけど……派手になり過ぎないくらいのナチュラルメイクを施した今日のルリちゃんには良く似合っている……率直にそう思った。

 まあ……難しい事は措いておいて、ひとつだけハッキリとしている。

 今日のルリちゃんは、いつもより一段と――


「……可愛いなぁ」

「…………ふぇっ?」

「あ……っ」


 ルリちゃんが目をまん丸にしたのを見て、いつの間に心の中で思い浮かべた正直な感想が無意識に口から漏れ出ていた事に一瞬遅れて気付いた俺は、顔面からサーッと血の気が引いていくのを感じながら狼狽(うろた)えた。


「あ、そ、そのっ……い、今の……今のは……あの……っ」


 声を上ずらせながら、アタフタとする俺。

 一方のルリちゃんは、何も言わずに顔を俺から逸らし、


「い……いきなり何言いだすのさ……バカ……」


 と、消え入りそうな声で毒づく……が、その言葉とは裏腹に、逸らした顔の口元が僅かに緩んでいた。

 それを見た瞬間、俺はホッとすると同時に、スッと気が楽になる。


(――というか……考えてみれば、もう彼女に告白してる身なんだから、わざわざ今の言葉を誤魔化したり否定したりする事なんて無いんだな)


 ……と、妙に気が大きくなった俺は、逆に開き直る事にした。

 吊革に掴まったままのルリちゃんに向けて、開いている隣の席を指し示す。


「ま、まあ……とりあえず、立ってないでここ座りなよ」

「え……?」


 俺の言葉を聞いたルリちゃんは、俺が指さした座席をチラリと見て……それからぎこちなく首を横に振った。


「う、ううん……こ、このままで大丈夫……」

「あっ……」


 彼女の答えを聞いた俺は、ハッと正気に戻る。

 し……しまった。少し調子に乗り過ぎた……。

 さっきまであったはずの余裕は(あぶく)のように消え失せ、すっかり頭が冷えた俺は、シュンとしながらルリちゃんに謝る。


「ご、ゴメン! や、やっぱりイヤだよね? 俺の隣に座るのは」

「え? あっ、いや……そういう訳じゃ……」


 俺の謝罪を聞いたルリちゃんは、戸惑い顔で首を横に振った。

 そんな彼女に力なく微笑みかけながら、俺は座席から腰を浮かせる。


「じゃあ……俺が立つから、君は座りなよ。まだ百景島までは遠いし、これからどんどん車内が混んでくるだろうから」

「い、いいって!」

「うぐおっ?」


 席を譲ろうと立ち上がりかけたところで、上ずった声と共にルリちゃんに力づくで押し戻された俺は、変な叫び声を上げた。


「ちょ、ちょっ? 立とうとしたのに、いきなり押さないでよ。危うく後ろに頭をぶつ……」


 当惑混じりに咎める俺の声は、途中で途切れる。

 仏頂面をしたルリちゃんが、無言で俺の隣の席にドスンと音を立てて腰を下ろしたからだ。


「あ、あれ? どうし……」

「……誰も……」


 隣の俺にそっぽを向きながら、ルリちゃんがぼそりと囁いた。


「……誰も、アンタの隣に座りたくないなんて言ってないでしょうが」

「えっ……?」


 思わず訊き返す俺を横目でじろりと睨んだルリちゃんは、仄かに赤らんだ仏頂面で、


「……バーカ」


 と潜めた声で続け、小さく舌を出したのだった……。

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