第三百五十三訓 希望的観測をあてにするのはやめましょう
それから、駅に着いた俺たちは一緒に改札を潜り、同じホームに下りた。
ミクは一番ホーム、俺は二番ホームに到着する電車に乗って、それぞれの大学に向かう。
「あと二分くらいだね……」
天井から吊り下がっている電光掲示板を見ながら、ミクがぼそりと呟いた。心なしか、その声にはほんの少し名残惜しそうな響きが籠っているような気がするが……まあ、気のせいだろう。
「……ミク」
俺は、ミクの髪が陽光を受けてキラキラと輝くのを眩しんで目を細めながら、彼女に呼びかけた。
「ん?」
俺の声に、ミクは訝しげに応えながら振り返る。
「なぁに、そうちゃん?」
「あ、いや……」
キョトンとした顔の彼女に訊き返されて、俺は言い淀んだ。
特に訊きたい事があった訳じゃないのに、半ば無意識にミクの名を呼んだだけだったからだ。
……でも、「何でもない」で会話を切るのもアレだったので、なんとか脳味噌から話題をひねくり出そうとする。
「ええと、あのさ……」
ミクの大きな瞳に見つめられて少しドギマギしながら、俺は視線を四方に巡らせてネタと言葉を探す。
そして……、
「その……藤岡さんと、幸せになれよ」
さんざん考え抜いた末になんとか捻り出したのは、B級ラブコメの御涙頂戴尺稼ぎシーンにありがちな、いかにも深そうで浅い――でも、心からの激励の言葉だった。
それを聞いたミクは、少しビックリした様子で目を大きく見開き――それから、満面に笑みを浮かべる。
「うん! もちろん!」
「……よし」
さっき見た陽光を反射する髪の毛なんかよりもよっぽど輝いているミクの笑顔につられて、俺も口元を綻ばせた。
……と、
「そうちゃんも!」
ミクがそう言って、俺の事を指さした。
「え?」
不意を衝かれた俺は、思わずポカンと口を開けて、間の抜けた声を上げる。
そんな俺にニッコリと優しく笑みかけながら、ミクは言葉を続けた。
「そうちゃんも、ルリちゃんと幸せになってね!」
「あ……お、おう」
ミクの言葉に、俺は複雑な気持ちを抱きながら、ぎこちなく頷く。
「が……がんばるます……」
「うーん、なんか歯切れが悪くない?」
テンションが低い俺の答えに、ミクが怪訝そうに首を傾げた。
「そこは、『モチロンッ!』って力強くハッキリと答えるところだと思うけど」
「い、いや……そう言いたいのはやまやまなんだけど……」
俺は、ミクの言葉に煮え切らない声で答える。
「確かに、俺はルリちゃんと付き合って幸せなリア充になりたいけど、そうなるには、相手の……ルリちゃんの気持ちも俺と同じじゃないとダメな訳で……」
「まあ、そうだね」
「今の……告白の返事を保留されてる状況では、『幸せになる』と断言できないというか……」
「……ふふ」
爪先で地面に“の”の字を書きながらウジウジとボヤく俺を前に、ミクが手の甲を口元を当て、クスリと笑った。
「相変わらず心配性だなぁ、そうちゃんは」
「な、なんだよ、相変わらずって……」
からかわれたように感じて、さすがにムッとする俺。
だが、その言葉の意味するところが何なのか無性に気になって、おずおずとミクに尋ねる。
「じゃ、じゃあ……『幸せになれる』……つまり、俺はルリちゃんと付き合えるのか? す、少しは期待しちゃってもいいって事かっ?」
「あ、えーと……」
俺が真剣な顔をして詰め寄ると、ミクは少し困った様子で目を逸らした。
「それは……私が答えちゃうのはちょっと筋違いだよ、やっぱり。それに、私はルリちゃん本人じゃないから、ホントに彼女がそう考えてるかなんて確証も無いし」
「そ、それでもいいから!」
躊躇するミクに、俺はなおも迫る。
「今の俺はとにかく不安でしょうがないから、誰でもいいから客観的な意見を聞きたいんだ! この際、筋がどうのとか確証があるとか無いとか関係無しに、忌憚のない意見を聞かせてほしい!」
「……」
俺の必死の懇願に、ミクは逡巡しているようだった。
……そして、小さく息を吐くと、コクンと頷く。
「……分かった。そこまで言うなら、私が思った事を言うね」
「うん、頼む!」
「……多分、これからそうちゃんに伝える私の予想には、『こうであってほしいなぁ』っていう願望や希望的観測もいっぱい入ってると思う。だから、実のところは全然違うかもしれないから、あくまで参考程度として聞いてね」
「わ、分かってるって」
念を押すミクに少しだけ気圧されながらも、俺は大きく首を縦に振った。
それを見たミクも、心を決めたように表情を引き締め、静かな声で言葉を継ぐ。
「ルリちゃんは、そうちゃんの事を――」
――と、その時、
“♪ピロパロピロリン ピロパロピロリン”
ホームの天井に設置されたスピーカーから、電車の到着を告げる駅メロが流れてきた。
『え~、お待たせいたしましたぁ。間もなく~一番ホームと二番ホームに電車が到着いたします~。お待ちのお客様は~黄色い線の内側までお下がり下さい~』
「えぇ……」
あまりのタイミングの悪さに、思わず失望の声を漏らす俺。
呆然とする間もなく、両方向から同時に黄色いカラーの電車が駅内に入って来て、やかましい音を立てて一番ホームと二番ホームに停車する。
「……電車、来ちゃったね」
と、少しガッカリしつつ、だいぶ安心したような声で呟いたミクは、俺に向かって軽く手を振った。
「じゃ……またね、そうちゃん。来週の日曜日、がんばって」
「ちょ! ちょっと待った!」
そそくさと一番ホームの電車に乗り込もうとするミクを、俺は慌てて引き止めた。
「さ、さっきの話、まだ終わってない! 聞かせてくれ!」
「ごめん。もう時間切れってコトで」
「そ、そりゃ無いよ、ミクぅぅぅぅっ!」
つれないミクの答えに、俺は青色狸に泣き言を言う駄メガネみたいな情けない声を上げる。
――と、
『ドア閉まりまーす』
「……っ! あーもうっ!」
急かすような駅員のアナウンスに、俺は観念して二番ホームの電車に飛び込んだ。
と、
「そうちゃーん!」
「っ!」
背後からかけられた大きな声に、俺は顔が真っ赤になるのを感じながら慌てて振り返る。
「バカ! こんな公共の場で、俺の事をちゃん付けで叫ぶなって!」
「あ、ごめんごめーん」
乗った車内からどころか、向かい側の車両からも自分に向けて視線が集まるのを察して声を荒げる俺に、ミクはぺろりと舌を出しながら軽い調子で謝ってきた。
そして、両手をメガホンのように口の前に翳し、俺に向かって叫ぶ。
「がんばってねー! ルリちゃんとの事、本当に応援してるからー!」
「お、おう……っていうか、ハズいから、そんな大声で言うのは――」
「たぶんねー、ルリちゃんはそうちゃ……じゃなくって、颯大くんの事――」
……ミクの声が聞こえたのは、そこまでだった。
俺とミクの乗った電車のドアが同時に閉まって、お互いの声が遮られてしまったからだ。
「え? ちょ、ちょっと? な、何だってぇ?」
慌てて閉まったドアにへばりついて、ミクの言葉の続きを聞き取ろうとするが、お互いの乗る電車のドアによって二重に遮られた状態では、当然ながら何も聞こえない。
ただ、俺と同じようにドアに体を押し付けたミクが、満面の笑顔を浮かべながら、こちらに向けて親指を立てているのが見えるだけだった。
「って! ど、どういうニュアンスだよ、そのサムズアップ!」
再びドア越しにミクに問い叫ぶ俺だったが、次の瞬間、電車が“ガコンッ”と音を立ててゆっくりと動き出す。
少し遅れて向こうの電車も動き出し、ミクと俺の相対距離がどんどん離れていく。
――結局、俺の問いかけには答えてもらえないまま……。




