第三百四十五訓 法律は守り理性は保ちましょう
『いいじゃんいいじゃんっ! 百景島めっちゃいいじゃ…………あ、でも……』
スマホのスピーカーが壊れちゃうんじゃないかと心配になるほどに興奮して捲し立てていたルリちゃんだったが、何かを思い出した様子で声のトーンと音量を変えた。
『そういえば……百景島って、神奈川だよね……? や、やっぱり遠いのかな?』
「あ、確かに……」
ルリちゃんの言葉に、俺も少し不安を覚え、慌てて乗換案内のホームページを開く。
ペンギンとツーショット写真を撮れたりはおろか、握手まで出来ちゃうなんて、ルリちゃん的には願ってもないレジャーランドだろうけど、鹿野川オーシャンワールドみたいに片道四時間くらいもかかってしまうのだったら、さすがに行くのに躊躇せざるを得ない……。
そんな事を考えながら、俺は赤発条駅から百景島シーユートピアまでの経路を確認する。
そして――、
「……ふぅ」
表示された検索結果をスクロールした俺は、小さく息を吐き、スマホの向こうで固唾を呑んでいるルリちゃんに言った。
「……大丈夫だよ、ルリちゃん。遠くないとまでは言えないけれど、それでもカノシーよりはだいぶ近い」
『マジ?』
俺の答えを聞いたルリちゃんが、上ずった声で訊き返す。
彼女の問いかけに、俺はコクンと頷きながら、「マジ」と答えた。
「路線によってちょっと変わるけど……それでも二時間くらいで着けるみたい」
『二時間ッ? さっきの半分じゃん!』
「うん。だから、七時ピタくらいに電車に乗って来れば、朝九時のオープンに間に合うよ」
『ほ……ほんとにッ?』
俺の説明を聞いて、ルリちゃんは嬉しそうに声を弾ませる……が、それから一拍置いてから、『うーん……』と小さく唸る。
『でも、七時かぁ……。なら、起きるのはもっと早くしないとダメだよねぇ……』
「そりゃダメっしょ」
苦笑いを浮かべながら、俺は答えた。
「まあ……確かに、七時でも早いっちゃ早いけどさ……。それでも四時二十八分発の電車に乗るよりは、だいぶゆっくり支度できるっしょ」
『まあ……そうなんだけど……』
俺の言葉に、どこか煮え切らない声で答えたルリちゃんは、少し恥ずかしそうに続ける。
『その……支度とか以前に、ちゃんと起きれるかなぁって……』
「そっちかい」
ルリちゃんの答えに、俺は思わず呆れ声を上げた。
「いや、そこは起きれるかなぁじゃなくて、無理にでも起きないとイカンでしょ」
『それは分かってるけどさぁ……』
俺のツッコミに、ルリちゃんは不満げな声を漏らす。
多分、スマホの向こう側でタコのように口を尖らせているに違いない。
『ほら、その日って日曜日じゃん。休日の朝はゆっくりゴロゴロしたいなぁって思うもんじゃない?』
「いやまあ、確かにその気持ちは分からなくもないけど……」
彼女の言い分に一瞬頷きかけた俺は、慌てて首を左右に振った。
――と、
『……そうだ!』
突然、ルリちゃんが声を上げる。
『いい事考えたよ、ソータ!』
「い、いい事?」
彼女のはしゃぎ声に戸惑いながら、俺は訊き返した。
「何を考えたの? ……オープン前の到着を目指すのは諦めて、出発の時刻を遅くする……とか?」
『違う違う!』
俺の言葉を即座に否定したルリちゃんは、続けて得意げな声で答えを言う。
『前日にあたしがそっちに泊まるの!』
「……は?」
ルリちゃんの答えを聞いた俺は、一瞬理解が追い付かず、間の抜けた声を上げた。
「“そっちに泊まる”のそっちって……どこ?」
『そんなの決まってるじゃん』
混乱しながら当惑している俺に、ルリちゃんはあっさりと言い放つ。
『今、あんたがいるソコ――ソータん家にだよっ!』
「……あ、なーるほど。ここ……俺ん家ね。はいはい……」
ようやくルリちゃんの言いたい事を理解した俺は、深く頷き――、
「……って、はいぃィィっ?」
と、仰天の叫びを上げた。
「お、俺ん家に……と、泊まるううぅっ?」
『そっ!』
思わず絶叫する俺に、ルリちゃんが無邪気な声で応える。
『埼玉のあたしん家より、東京にあるソータん家の方が神奈川に近いんだから、その分ゆっくり寝れるじゃん』
「ま、まあ、それはそうかもしれないけど……」
『だから、前の日の夜にあたしがそっちに行って一泊するの。そうすれば、駅で待ち合わせしたりする手間も省けていいん――』
「い、いやいやいやいや! 良くないっしょそれは!」
慌てて俺は彼女の声を遮った。
「未成年の女の子が、ひとり暮らしの男の部屋に泊まるなんて! 絶対ダメっ!」
『なにさ。ケチ』
「ケチとかそういうレベルの話じゃねーっ!」
不満げなルリちゃんに、思わず俺は声を荒げる。
「下手したら、俺がタイーホされちゃうの、ソレ!」
『でも、この前泊まったばっかじゃん』
「う……そ、それは、終電が無くなったから、やむを得ず……」
『要するに、親の許可があれば問題ないって事でしょ?』
過去の実例を持ち出されて言い淀む俺に、ルリちゃんがしれっと言った。
『だいじょうぶだよ。そりゃ、他の男の人の所なら分からないけど、ソータん家なら、多分ママも許してくれるって』
「いや、それはさすがに……」
「許してくれないんじゃないかな」と言いかけた俺だったが、ふと頭の中にルリちゃんのお母さん――亜樹子さんの顔が浮かぶ。
……うん、
亜樹子さんだったら、ルリちゃんが俺の家に泊まる事を喜んで許しちゃいそう……。
「――って! そ、そういう事じゃなくって!」
一瞬気持ちが揺らぎかけた俺は、ハッと我に返って、上ずった声で叫んだ。
「お、親の許しがどうとか関係無しに、俺が煩悩の誘惑に耐えられないかもしれないからダメ!」
『ボンノーノユーワク? 何それ?』
「要するに、俺が寝ている君の上にルパンダイブしちゃいかねないからダメってコト!」
『あ、アレね。「ふ~じこちゃ~ん!」って叫びながら、服脱いで飛び込む……』
「そう、ソレ!」
ルリちゃんの言葉に、俺は得たりとばかりに大きく頷く。
と、彼女が『でもさぁ……』と続けた。
『この前は何もしなかったじゃん、ソータ。だから、別に心配しなくても大丈夫でしょ』
「いや、この前とは状況が全然違うから!」
呑気なルリちゃんの言葉に、俺は千切れんばかりに首を横に振りながら叫んだ。
「と、特に、君に対する俺の感情がっ!」
叫んでいるうちに、顔がみるみる熱を帯びていくのを感じながら、俺は更に言葉を継ぐ。
「この前は、ただの女の友だちだったけど……今の君は、俺にとって『一番好きになった女の子』なんだよ! そんな娘が自分の家に泊まって、すぐ隣で寝ているってなったら……正直言って、俺の理性がぶっ飛ばないなんて保証は出来ないよ!」
『……ま、それでも、ソータなら大丈夫だよ』
俺がハッキリと断言したにもかかわらず、ルリちゃんは妙に自信ありげな声で言った。
それを聞いた俺は、呆れるとも当惑ともつかない感情を抱きながら、辟易として彼女に尋ねる。
「いや……なんでそんなに大丈夫だって言い切れるの?」
『だって、ソータ優しいもん』
俺の問いかけに、ルリちゃんはハッキリと言い切った。
『だから、あたしが嫌がるだろうと思う事は絶対にしないよ』
そう続けた彼女の声が、なぜか一瞬途切れ――再び上がる。
『……それに……さ。べ……別にあた――』
「と、とにかああああッくッ!」
ルリちゃんの言葉を遮る形になるのもお構いなしで、反射的にあらん限りの声量で叫んだ俺は、本能的に強迫感のような義務感のようなものをモヤモヤと感じながら、有無を言わさぬ勢いで一気に捲し立てる。
「き、君が俺の家に泊まる事は、主に俺の煩悩に起因する色々な理由によって絶対にダメッ! これは既に決定事項! と……とにかく異論は認めませええええんッ!」




