第三十三訓 言い訳するのはやめましょう
「……ねえ、まだ見てるの?」
俺は、屋外ペンギンプールの柵に頬杖をつきながら、呑気に泳いだり日向ぼっこをしているペンギンたちを見つめている立花さんに、おずおずと声をかけた。
「……うん。もう少し」
と、俺の問いかけに、ちらりと俺の顔を一瞥してから答えた立花さんは、すぐに目をペンギンの方に戻す。
「さいですか……。どうぞごゆっくり……」
立花さんの答えを聞いた俺は、内心でウンザリしつつ、彼女に気付かれぬよう小さく溜息を吐いた。
そして、傍らの彼女と同じように柵にもたれかかり、もうニ十分近くも続けているペンギンたちの行動観察を再開する。
俺たちの背後では、つい先ほど閉会したクイズ大会の撤収作業が、数人のスタッフによって慌ただしく行われていた。
――結局、あれから俺たちは、クイズ大会を勝ち抜く事は出来なかった。
運命の十二問目は、『氷の上で腹ばいになって滑る、ペンギンの移動法は何と呼ばれているでしょうか?』という難問だった。
当然のように、他の二組のカップルは解答ボタンを押す事が出来なかったが、“ペンキチ”の立花さんなら即答できる問題のはずだった。
――だが、彼女は、何故か解答ボタンを押さなかった。
その為、第十二問は正解者無しとなり、次に読み上げられた十三問目が『東京に本拠を構えるプロ野球チームの、“畜生ペンギン”と呼ばれ親しまれているマスコットキャラの名前は何でしょうか?』というイージー問題だった。……いやそれ、ペンギン関係無くない? 第一、あのマスコット、そもそもペンギンじゃなくてツバメだよね?
まあ……それはともかく、そのイージー問題に見事正解した美沙姫さんとSAY☆YAさんのカップルが優勝し、クイズ大会は幕を閉じたのだった――。
「……っていうかさ」
俺は、さっきの事を思い返しながら、立花さんに声をかけた。それに対する彼女からの応答は無かったが、俺は構わずに疑問をぶつける。
「立花さん……何で十二問目、答えなかったんだよ?」
「……そんなの決まってんじゃん」
俺の問いかけに、立花さんはペンギンに目を向けたまま、ポツリと答えた。
「それは……答えが分からなかったから……」
「いや……そんな訳無いっしょ」
立花さんの答えに、俺はすぐにかぶりを振った。
「ペンギンの学名が解る人が、ペンギンが腹ばいになって移動する方法……ええと、何だっけ? 確か……ど……ドカベン?」
「……トボガンだよ」
「そうそう、それ」
ジト目を向けた立花さんからのツッコミ……もとい、訂正を受けた俺は、咳払いをひとつしてから話を続ける。
「とにかく……あの程度の問題を、あそこまでペンギンの事に詳しい君が答えられないはずは無いと思うんだよ」
「……そんな事言っても、実際に解らなかったんだから、しょうがないじゃん」
俺の言葉に、立花さんは気まずげに顔を背けた。
そんな彼女の様子を見て、俺の頭にひとつの推論が浮かぶ。
「……もしかして、立花さんさ」
「……なに?」
訝しげな表情を浮かべながら、俺の方に顔を向けた立花さんに、俺は浮かんだ推測を伝える。
「ひょっとして、俺が両脚を攣ってたから、気を遣ってボタンを押さなかっ……痛だぁっ!」
「う……うっさいっ!」
まだ攣った時の痛みが残る俺のふくらはぎに、強烈なローキックを叩き込んだ立花さんが声を荒げた。
「そ……そんな訳無いでしょうがッ! な……何であたしがアンタの事なんか気遣ってあげなきゃいけないのさ! し、失礼な事言わないでっ!」
「わ……分かった分かった! 変な事言って、ホントにすまんかった! 暴力反対! ラブ&ピースッ!」
頬を真っ赤にするほどに激昂して、執拗にふくらはぎを狙ってくる立花さんに辟易しながら、俺は悲鳴交じりの謝罪の声を上げる。
すると、俺が上げた悲鳴を聞いて、周りのお客さんたちだけでなく、ペンギンたちまでもが、一体何事かと目を向けてきた。
それに気付いた立花さんが、慌てて俺の襟首を掴み、更に赤みを増した顔を強張らせながら睨んでくる。
「……ちょっと! 変な声出さないでよ! 恥ずかしいでしょうが……!」
「ご……ゴメン」
顰めた声で咎める彼女に対し、俺は(君がいきなりローキックをしてくるからじゃん……)と思いつつ、喉元まで出かけた抗議の言葉を飲み込み、素直に謝った。
それを聞いた立花さんは、ブスッとした顔をしながらも俺の襟を掴んでいた手を離し、再びペンギンプールの方に顔を向ける。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
……き、気まずい。
沈黙の時間が痛い……!
ふたりの間に流れる重苦しい空気にいたたまれなくなった俺は、彼女と同じようにペンギンたちの方に目を遣りながら、何とか沈黙を破る会話の糸口を掴もうと、脳味噌をフル回転させる。
そして、ヨチヨチと歩いたり、姿勢よく立って気持ちよさそうに日向ぼっこをしているペンギンたちの姿を見ているうちに、ふとクイズ大会の優勝賞品の事を思い出した。
「そ……そういえば、君が欲しがってた、あのペンギンのぬいぐるみさ……」
「……」
俺の言葉を耳にした立花さんは、無言のまま、チラリと目だけを俺に向けた。
その反応を“興味あり”のサインと見た俺は、藁にもすがる思いで、更に口を動かす。
「あ、あれさ……意外と、売店とかで売ってるかもね。結構大きいから、結構な値段がするかもしれないけれど――」
「無いよ。アレ、非売品だもん」
「あっ……そっすか……」
「……っていうか、普通に売店で売ってるんだったら、はじめっからそこで買うよ。何で、わざわざアンタなんかとカップルのフリしてまで、クイズ大会に出たと思ってんのさ?」
「で……デスヨネー……」
立花さんの言葉にタジタジとなる俺。確かに、彼女の言う通りだ……。
――と、その時、
「……あ――ッ!」
「ふぁ、ファッ?」
突然、目を大きく見開いて大きな声を上げた立花さんに、俺は驚く。
そんな俺の腕をむんずと掴んだ彼女は、先ほどまでの意気消沈とした様子が嘘のように目をぎらつかせながら叫んだ。
「そういえば、すっかり忘れてた! ホダカたちの事!」
「……あ!」
立花さんの言葉に、俺もハッとする。
確かに、俺の頭からもスッポリ抜け落ちていた。ミクと藤岡が、今ふたりっきりで水族館の中をデートしているのを……!
俺は慌ててポケットからスマホを取り出し、現在時刻を確認する。
いつの間にか、もう十二時半を過ぎていた。
「ま……マズい! もう、一時間半以上もふたりきりだ……!」
「ちょっと! そんなに放って置いたら、ふたりの仲がどんどん進展しちゃうじゃん! 何やってんのさ、アンタ!」
「い、いや……俺も、そこまで放置しとくつもりは無かったんだけど……。つか、そもそも、立花さんがクイズ大会に参加したりなんかするからじゃん……」
「言い訳すんな!」
「ひでぇ!」
「ひどくないっ!」
理不尽に責められた俺が上げた抗議の声をバッサリと切り捨てた立花さんは、鬼のような形相で俺のスマホを指さした。
「ほら! そんな事をガタガタ言ってないで、さっさとふたりに連絡して呼び戻して!」
「アッハイ」
彼女の鬼気迫る様相に気圧された俺は、コクコクと従順に頷くと、急いでLANEアプリを起ち上げる。
「早くして! ハリーハリーハリーハリーッ!」
「だから、今やってるって……急かさないでよ……」
「何か言ったぁっ?」
「イエ! 何でもないであります、サー!」
立花さんにギロリと睨みつけられた俺は、思わず背筋を伸ばして最敬礼した。
そして、ようやく起ち上がったLANEのトーク画面に文字を入力しながら、すっかりいつもの調子に戻った立花さんの様子に辟易しつつ――
なぜか、少しだけ安堵するのだった。




