第三百二十八訓 会社の決定には従いましょう
「あ、ホンゴーちゃん、来たー」
レジカウンター内で端末と向き合っていた四十万さんは、売り場に下りた俺の顔を見つけるや、いつもと変わらぬのんびりした声を上げた。
「どうしたの? 今日は、いつもより売り場に来るのが遅かったみたいだけど――」
「お、俺の事なんかよりっ!」
四十万さんの問いかけを途中で遮った俺は、上ずった声で彼女に尋ねる。
「あ、あれマジすかッ? し、新店に異動するって……」
「あぁ、見られちゃった?」
俺の言葉に、四十万さんは苦笑いを浮かべながら、チョコンと首を縦に振った。
「うん、マジだよ。ホンゴーちゃんと一緒に仕事できるのも、今月いっぱいだねぇ」
「今月いっぱいって……もうあと二回しかシフト合わないじゃないっすか……」
彼女の答えを聞いた俺は、愕然とする。
「なんでそんな急な話に……」
「あ、いやいや」
思わず漏れた俺の呟きを聞いた四十万さんは、苦笑いしながら手を横に振った。
「確かに、人事発令されたのは昨日だけど、私にはもっと前から話があったよ。でも、こういうのは他の人に喋っちゃダメだから、ホンゴーちゃんにも話せなかったんだ。黙っててゴメンね」
「いや、黙ってたのは別にいいんですけど……」
四十万さんに謝られて気勢を削がれながらも、俺は胸の中の感情を処理しきれず、口をへの字に曲げる。
「……なんで断ってくれなかったんすか、異動の話……」
「あはは、そりゃ無理だよ」
俺がぼそりと漏らした言葉に、四十万さんは困った顔をしながらかぶりを振った。
「まあ、絶対に断れないって訳でも無いけどさ。よっぽどの理由が無いと、会社が一度決めた事はひっくり返らないし、私にも断るほどの理由も無かったしね」
「確かにそうかもですけど……」
俺もガキじゃない。アルバイトとはいえ、一応会社という組織で働く成人だ。
だから、四十万さんの言う事も理解出来る。
……出来るんだけど。
「……四十万さんが居なくなったら、OAコーナーはどうなっちゃうんですか?」
「あぁ、それは心配しなくても大丈夫だよ」
ボヤくように言った俺に、四十万さんは笑いかけた。
「もちろん、十月一日付で私の後任が来るからさ。本店の周辺機器コーナーの責任者してた人だから、多分私より仕事できる人だよ」
「いや……後任がどんな人かという事では……」
「あ、でも、今度の人は男性社員だから、それは君たちにとっては残念ポイントかもね。何せ、OA売り場の華が居なくなっちゃうんだもん」
「華……? 今まで、そんなのありましたっけ?」
「今すぐその顔面に大輪の赤い花を咲かせてあげよっか、ホンゴーちゃん?」
「アッジョーダンっすスミマセンッ!」
満面の笑顔で拳を固く握り込む四十万さんを前にして、俺は慌てて最敬礼する。
そんな俺の事を、笑顔の真ん中で全く笑っていない目で睨んでいた四十万さんだったが、ふっと表情を和らげると、「まあ……」と続けた。
「もうこんな風にホンゴーちゃんの事をイジれなくなるのは、ちょっと残念だけどねぇ……」
「四十万さん……」
少し翳りを帯びた四十万さんの顔を見ながら、俺は思わず言葉を詰まらせる。
と、
「……まあ、それはともかくさ」
すぐに気を取り直して表情を明るくした四十万さんは、俺に言った。
「今までありがとね。マジメなホンゴーちゃんが居てくれたおかげで、めちゃくちゃ助かってたよ、私」
「そんな……別に、お礼を言われるほどじゃ……」
「私が居なくなっても、カツラギくんといっしょにOAコーナーをよろしくね」
そう言って、彼女は俺にニコリと笑いかける。
それに対して、どう答えたらいいのか迷った俺は、頭の中で相応しい言葉を探そうとして――ふと、今日は公休でいないもうひとりのメンバーの事が気にかかった。
「そういえば……もう葛城さんは知ってるんですか? 四十万さんの異動の事……」
「ん? カツラギくん?」
俺の問いかけに、四十万さんは一瞬だけ間を置いてから、「……うん」と頷く。
「人事発令が出たのは昨日だったからね。カツラギくんも知ってるよ」
「……どうでした? 知った時の葛城さんの様子は……?」
「それがねえ……」
そう言いながら、彼女は少し困ったような顔になった。
「なんか良く分からないけど、ものすごく落ち込んでた」
「あっ……」
四十万さんの答えと表情に、昨日の葛城さんのリアクションが、まるで見ていたかのようにありありと俺の脳裏に浮かぶ。
俺の認識が正しければ、葛城さんは四十万さんの事が好きだ。職場とはいえ、これまで長い時間をいっしょに過ごして、秘かに想いを寄せていた人が急に違うところへ行ってしまうと知ったら、落ち込まないはずがない。
「そりゃまあ……そうなるでしょうねぇ……」
「うーん。でも、さすがに落ち込みすぎでしょって思ったよ」
そう言うと、四十万さんは溜息を吐いた。
「確かにまだ一年目だけど、カツラギくんはもう“研修中”の腕章が取れた立派な販売員だもの。もう、ひとりでも立派に仕事をこなせるはずだから、私が居なくなるくらいであんなに不安にならなくてもいいのにね」
「あ……いや……」
「なのに、まるで世界の終わりが来たみたいな顔しちゃってさあ……もっと自分に自信を持ってほしいよね」
「あの、いや……」
少し心配そうな顔をする四十万さんに、俺はおずおずと言う。
「その……葛城さんが落ち込んでたのは、仕事が大変になるとか、そういうのじゃないと思います」
「え? そうなの?」
俺の言葉を聞いた四十万さんは、怪訝そうに首を傾げた。
「じゃあ、どうしてカツラギくんがあんなにガックリ来てたんだろうね?」
「それは……」
「お? その反応……ひょっとして、ホンゴーちゃん何か知ってるの?」
俺が言い淀んだのを見た四十万さんが、目を輝かせる。
そんな彼女の表情を見て、瞬時に(しまった……軽率だった)と、迂闊に態度に出してしまった事を後悔し、大慌てで首を横に振った。
「あ、いや! 俺は分からねえっす! 葛城さんの気持ちなんて!」
さすがに、本人が不在の間に第三者である俺が彼の気持ちを想い人に伝えるのは、どう考えてもマズい。
そう考えた俺は、たまたま売り場に入ってきたお客さんを見つけると、満面の営業スマイルを浮かべた。
「い、いらっしゃいませ~っ! な、何かお探しですか~?」
そうわざとらしく声を上げながら、これ以上の四十万さんの追及を避ける為にそそくさとレジカウンターを出た俺は、いきなり声掛けされてビックリした顔をしているオッサンの元に向かうのだった……。




