第三百二十四訓 悩み事をひとりで抱え込むのはやめましょう
――その翌日。
「……何かあったのかい、本郷氏?」
大学に来て講義を受けていた俺は、周りがざわざわとうるさくなった事で、とっくに休み時間になっていた事に遅まきながら気付き、急いで立ち上がりかけたところで横から声をかけられた。
「あぁ……一文字か。そういえば隣に座ってたんだっけか」
「いや……忘れてたのかい、ボクの存在を……?」
振り向いた俺の答えを聞いて、その高〇ブー似の顔に不満げな表情を浮かべた一文字一は、「まあ、いいや……」と呟くと、俺の顔に探るような目を向けた。
「……で、昨日の秋祭りで何があったんだい、キミ?」
「ふ、ふぇッ?」
一文字に問いかけられた俺は、内心で激しく動揺しながら、思わず目を逸らす。
「べ、別に何もな……無いよ……?」
「……とぼけるのが相変わらず下手だねぇ、キミは」
しらばっくれようとする俺に冷ややかな目を向けながら、一文字は溜息を吐いた。
「絶対に何かあっただろ? 現在進行形で気もそぞろなのが、何よりの証拠だよ」
「う……」
「講義の間も、しょっちゅう溜息を吐いたり頭を抱えてみたり、かと思えば急にニヤニヤしたり気持ち悪い笑い声を漏らしたりしながらスマホをいじったりしてたからね。あれで『何もありませんでした』は、さすがに無理があるよ」
「う……うるさいなぁっ! お前には関係ないだろッ!」
ドヤ顔をする一文字に狼狽混じりの怒声を浴びせた俺は、机の上に広げたままだったテキストとノートをリュックの中に急いでしまい、足早に講義室を出る。
だが、一文字は、当然のように俺の後をついてきた。
「キミがスマホで開いてた、あの『RULLY』ってアカウント。ひょっとしなくても、あのJKのものだろ?」
「ちょ、ちょっ?」
一文字の言葉に驚いて思わず振り返った俺は、彼の顔を睨みつける。
「お、お前、なに人のスマホの画面を覗き見してるんだよッ! プライバシー侵害だぞ!」
「あんなに無防備に開いてたら、覗き見する気が無くても嫌でも目に入るさ。プライバシーを守りたいなら、もうちょっと自衛すべきだね」
俺の抗議にも悪びれる様子もなく言い返した一文字は、「察するに……」と続けた。
「キミがそんなに挙動不審な原因は、ボクが予想した通り、あのJKに関する事だと考えて間違いなさそうだね。違うかい?」
「うぐ……」
「……ホントに分かりやすいね、キミは」
図星を指されて言葉に詰まる俺に呆れ顔を向けた一文字は、太い手首に巻きついたスマートウォッチをちらりと見る。
「……キミ、次の講義は?」
「え?」
急に問いかけられた俺は、虚を衝かれて、つい素直に答えた。
「い、いや、今日はもう何も入ってないけど。夕方からバイトだから、それまで適当に時間を潰して……」
「ふぅん」
俺の答えを聞いた一文字は、小さく頷く。
「……それならちょうどいいね」
「は?」
そのふくよかな顔に気味の悪い微笑みを浮かべた彼が口にした言葉を聞いて、俺は首を傾げた。
「ちょうどいい? 何が?」
「あそこにしよう」
俺の問いかけには答えず、一文字は窓の向こうを指さす。
そのぶっとい指の先には、オープンテラスのラウンジがあった。
それを見た俺は、更に深く首を傾げる。
「……『あそこにしよう』って……何?」
「何って……そんなの決まってるだろ?」
問いかける俺に、一文字はニヤリと笑みかけた。
「あそこで、ボクがキミの相談に乗ってあげようっていうのさ」
「はぁ?」
一文字の言葉を聞いた俺は、思わず素っ頓狂な声を上げる。
「相談? 俺が? お前に? なんで?」
「なんでって……そりゃあ」
俺の問いかけに、一文字は誇らしげに自分の胸を親指で指さした。
「ボクは、キミの唯一無二の心友だからに決まってるじゃあないか」
「だ、誰が誰の心友だっつーのッ!」
馬のように鼻の穴を大きく広げながらドヤ顔をキメる一文字にイラっとした俺は、思わず講義棟の廊下にいる事も忘れて声を荒げる。
だが、他の学生たちから一斉に注目を浴び、慌てて首を竦めた。
そして、険しい目で一文字の事を睨みつけながら、声を抑えて言う。
「……つか、そもそも、俺がお前に相談する事なんて無えよ!」
「おや、そうなのかい?」
俺の言葉を聞いた一文字は、訝しげに首を傾げた。
「さっきからのキミの様子を見ていると、なかなか難しい問題を抱えているように思えるけど」
「そ、それは……」
一文字の鋭い指摘に、俺は思わず言葉を詰まらせる。
……コイツの言う通りだ。
今の俺の心の大部分を占めているのは、ただひとりの女の子に関する事。
――『……待っててほしいの。一息吐いて、気持ちが落ち着いてから、ちゃんと考えるから』
――『……あ、アンタの告白に対する返事……必ず答えるから、待ってて』
「……っ!」
思わず、昨夜電話のスピーカー越しに聞いたルリちゃんの声を思い出し、体がカッと熱くなる。
「おや? なんかにやけながら顔が真っ赤になったけど。ひょっとして、その“難しい問題”のせいかい?」
「う、うるせえ……」
俺の顔をしげしげと見つめながら無遠慮に聞いてくる一文字を睨みつけるが、図星なので、あまり強くは言い返せない。
そんな俺に、一文字はニヤリと笑いながら言った。
「ずっとひとりで抱えて悩んでいるより、誰かに相談して気持ちを楽にした方が建設的だと思うよ、ボカァ」
「ぐ……」
……確かに、一文字の言う事も一理ある。
でも――。
「だ……だからといって、なんでその相談相手がお前になるんだよ」
「ブフン、さっきも言ったじゃあないか」
俺の言葉に、一文字は誇らしげに鼻を鳴らし、胸……もとい、太鼓腹を張った。
「ボクはキミの唯一の心ゆ――」
「だから、別に俺はお前を心友なんて思ってねえし」
「もう、そろそろ自分の気持ちに正直になりなよ。とんだツンデレさんだなぁ、キミは」
「ツンデレでもねーし!」
ニチャアという擬音が上がりそうな一文字の表情に、背筋がゾッとするのを感じながら声を荒げた俺は、コイツの前から一刻も早く立ち去ろうと大股で足を踏み出そうとする。
「まあまあ、待ちたまえ、本郷氏ぃ」
「だが断る!」
粘っこい一文字の引き止めを櫻〇孝宏ボイスで毅然と断ち切る俺。
だが、そんな俺の強い拒絶も一切気に留めぬ様子で、一文字は言う。
「そんなつれない事言わないで。その様子だと、あまりたくさんの人に知られたくない内容なんだろう? だったら、ボクほど悩みを打ち明けるのに最適な者はいないと思うけどねぇ」
「はぁ? 最適って……お前のどこが最適だって言うんだよ?」
「ブフぅ、決まってるじゃあないか」
思わず訊き返した俺に、一文字は得意げな顔をして答えた。
「なにせ、ボクにはキミ以外に話が出来る友達なんていないからね。だから、キミから聞いた悩みの内容を他に漏らす心配が皆無なのさ! ブフフフフフ!」
「……いや、誇らしげに高笑いしながら言う事じゃねえぞ、ソレ……」




