第三百二十二訓 常に最悪の結果を想定しておきましょう
『……』
俺の言葉の後、しばらくの間沈黙が続いた。
スピーカーから聴こえてくるのは、ルリちゃんの微かな息遣いだけ。
「……」
俺も黙ったまま、彼女の答えが返ってくるのをおとなしく待っていた。
だが……口とは裏腹に、俺の心臓は喧しいほど大きな鼓動の音を立てている。
『…………』
「…………」
――怖い。
俺の告白に対して、ルリちゃんからどんな答えが返ってくるのかを知るのが、正直怖い。
……でも、その一方で、妙に心がスッキリしているのも確かだった。
この感じは……アレだ。先月の花火大会の夜に、ミクにキチンと想いを伝えて……フラれた時に感じた気持ちと似ている。
多分……『やるべき事はやった』という達成感というか、満足感というか……そんなものなのだろう。
これなら、結果が残念なものだったとしても……いや、残念な結果になるのはほぼ決まりなんだろうけど……俺は前を向いて進めるに違いない――。
(……よし、覚悟完了!)
心の中で強化外骨格を瞬着する自分をイメージしながら、俺は大きく息を吐いた。
そして、依然として何の応答も返ってこないスピーカーに向けて話しかける。
「あ……あの、ルリちゃん?」
『……う、うん』
「ど、どうかな……? 返事……」
『う、うん……』
俺の問いかけに対して、曖昧な響きを湛えた声が返ってきた。
その声のトーンを聞いた瞬間、この期に及んでまだ胸の片隅で燻っていた微かな希望の火が、絶望という氷水をぶっかけられてみるみる消えていくのを感じながら、俺は静かに目を瞑る。
足元の羽目板が外れるのを待つ死刑囚みたいな気持ちで、ルリちゃんからの言葉を待つ俺。
――そして、
遂に、スピーカーからルリちゃんの声が返ってきた。
『…………ごめん』
「……!」
彼女の声を聞いた瞬間、『デスヨネー』――という、ニ〇ニコ動画で良く見る色とりどりの文字の弾幕が、瞑った瞼のスクリーンにいくつも右から左へと流れていく。
すぐに、鼻の奥がツンとし始めた。
「……っ!」
俺は、ぐっと歯を食いしばり、咄嗟に顔を上に向ける。
――だが、
ルリちゃんの言葉は、そこで終わりではなかった。
『まだ……まだ、自分がソータの事をどう思ってるのか……良く分からないから、今すぐには返事出来ないよ……』
「……え?」
彼女の返事を聞いた俺は、ビックリして思わず訊き返す。
「そ、それって、つまり……」
『つ、つまり、その……もうちょっと考えさせてってこと』
俺の問いかけに、ルリちゃんは少しどもりながら答えた。
『しょ、正直……まだソータがあたしを好きだって言ってくれた事の実感が湧かないの……。だから、『もしソータがあたしのか、彼氏になったらどうなのかな』って、いくら考えようとしても……そもそも想定外すぎて全然想像ができないって感じで……』
「……」
『それに……駅前で別れてから、お風呂で逆上せるまでずっと考えてたんだけど、なんか頭がフワフワしっぱなしで考えがまとまらないっていうのもあって……』
そこで一旦言葉を切ったルリちゃんが吐いた小さな息音が、スピーカー越しに俺の耳に届く。
彼女の吐息を聞きながら、俺は身じろぎひとつせずにいた。
そして――、
『……だからね』
再び、彼女が口を開く。
『……待っててほしいの。一息吐いて、気持ちが落ち着いてから、ちゃんと考えるから。――あたしは、ソータとどんな関係になりたいと思ってるのか。……今まで通り、友達としてか、それとも……こ、恋人に……なのかを――ね』
そう言って、また言葉を切ったルリちゃんは、少ししてから、
『ソータ……その……あなたの気持ちに対してすぐ答えられなくって……ごめん』
と続けた。
「…………そっか」
彼女の言葉を聞いた俺は、スマホを耳に当てたまま細く息を吐き、天井を仰ぎ見る。
そして、軽く目を瞑って大きく息を吸い――
「…………良かったあぁ――っ!」
と、万感の思いを込めて叫んだ。
『ホントにゴメ……って、えぇっ?』
そんな俺の安堵の叫びを聞いたルリちゃんが、謝りかけたところで声を裏返す。
『よ、良かった……? 良かったって……なんで?』
彼女の声には、ありありと当惑している様子が見て……もとい、聞いて取れた。
『だ、だって……別にオーケーした訳じゃないよ? 答えを一旦保留したいって……』
「って事は、まだ完全にダメって訳じゃ無いんでしょ? 少なくとも、今の時点では」
『ま、まあ……うん』
「だったら、やっぱり『良かった』でいいんだよ!」
俺は、安堵のあまり力が抜けて、ベッドの上で仰向けに転がり、天井を見上げながら言葉を継ぐ。
「いや……てっきり、即答でノーを突きつけられると思ってたからさ。……いや、『絶交』を突きつけられる可能性も覚悟してたよ。七割くらいの確率で」
『な、七割? そんなに?』
「そりゃ、あんな夢を見ちゃったらね……」
ついさっき見た、ルリちゃんから『二度と顔見せんな (意訳)』と告げられる悪夢を思い出して身震いした俺は、もう一度安堵の溜息を吐いた。
「ちなみに、あとの二割は『友達のままでいよう』で終わるノーマルエンドパターン」
『それが二割……って事は、付き合えると思ってたのは一割?』
「いや」
『いや?』
「あとの一割は、キモがられて『通報』されるバッドエンドパターンね」
『……ネガティブだなぁ』
スピーカーからルリちゃんの呆れ声が返ってきた。
『どんだけ自分の評価が低いのさ、アンタ……』
「そりゃ低くもなるさ。何せ、彼女いない歴五分の一世紀&つい一か月半前に幼馴染にフラれた男だぜ、俺は」
『ぷっ! なんで少し誇らしげなんだっつーの』
俺の言葉を聞いたルリちゃんが、吹き出し笑い混じりでツッコむ。
その声は、さっきまでに比べて元気になっていた。
『ふう……』
少し間を置いて、彼女が小さく息を吐く。
『なんか……ホッとしたら、お腹すいちゃった』
そう呟いたルリちゃんは、『あ、そうだ!』と声を上げた。
『そういえば、ソータから北海道のおみやげをもらってたんだっけ。ちょっと食べちゃってもいい?』
「あ、うん」
ルリちゃんがいつもの調子を取り戻した事に安堵と嬉しさを感じながら、俺は答える。
「別に俺に訊かなくても勝手に食べちゃえばいいよ。もう君にあげたものなんだからさ」
『思い出した! 確か、「白き恋人」も入ってたよね? あれ食べよ!』
「どうぞどうぞ。でも、もう夜も遅いんだから、あんまり食い過ぎないように気を付けなよ」
彼女の弾んだ声を聞きながら、俺の口元も綻んだ。
……と、その時、俺の胸に不安が過ぎる。
(……あれ? そういえば、なんかすごく大事な事を忘れているような……?)
さっき晴れたばかりの心に、やにわに黒雲が湧き出した。
そんな俺の内心も知らず、スピーカーの向こうからはルリちゃんが紙袋の中身を取り出すガサゴソという音が聞こえてくる。
『あっ、このお菓子も知ってる! レイミが学校に持ってきてたやつ! これも美味しいんだよねぇ』
「そうなんだ。良かった」
『これも知ってるやつだ……って、アレ?』
急にルリちゃんが怪訝な声を上げた。
『これって確か……ソータが駅で開けちゃダメって言ってた紙袋だっけ。中に入ってるのは……布?』
「アッ!」
ルリちゃんの言葉を聞いた瞬間、俺は鮮明に思い出す。
――おみやげの中に、この前彼女がウチに忘れていったブラジャーを入れていた事を――!
「ちょ! ちょっと待って! そ、それは――!」
慌てて彼女を制止しようと叫ぶ俺。――だが、時既に遅しだった……。
『……ちょ……』
微かな衣擦れの音の後、ルリちゃんが絶句したのが分かった。
そして、次の瞬間……
『な……なんでアンタがあたしのブラを持ってくぁwせdrftgyふじこぉぉぉぉっ!』
色んな感情でバグったらしいルリちゃんの絶叫を聞きながら、俺は(あ……逝ったわ、コレ)と、サヨナラホームランを見送るピッチャーのような顔をして目を閉じるのだった……。




