第三百二十訓 年頃の娘のプライベートをあまり詮索しすぎるのはやめましょう
『……なるほど』
俺が必死で“今の自分が半ケツでいる理由”を説明した後、少し間を置いてから、ルリちゃんの声が返ってきた。
『つまり……ちょうどアンタがトイレに入ってる時にあたしが電話をかけちゃって、急いで取ろうとパ……パンツも穿かずに出てきた……って事なんだ……』
「あっ! ご、誤解しないでよッ! 一応穿いてるから! パンツもズボンもっ!」
俺は、慌てて彼女の言葉を訂正する。
「つ、つか、ほとんど穿いてるんだよ! でも、まだケツが半分……いや、二割くらい見えちゃってる状態で……あ! も、もちろん、前はちゃんと隠れてるから安心して!」
『いや、安心しろって……なにを?』
「あ! も、もし信じられないなら、今すぐ画像撮って送るよ? 俺のズボンが今どんな状態なのか――」
『お、おいやめろバカぁッ!』
必死のあまり、半ば錯乱しながらスマホを耳から離そうとする俺を、ルリちゃんが電話越しに悲鳴混じりの怒声で止めた。
『な、なにドサクサに紛れて女の子に自分のお尻を見せようとしてんのさっ! このヘンタイ露出狂めッ!』
「い、いや……別に尻を見せようとしてるんじゃなくって、むしろ隠れてる事を見せようとしてるだけで――」
『でも二割は見えてるんでしょうが! そんなモン見せんでいいっつーのッ!』
俺の反論を遮って、ルリちゃんは更に声を荒げる。
『画像とかいいから、さっさとズボンとパンツを穿けえええぇっ!』
「あっ、ら、了解っ!」
ルリちゃんが上げた渾身の怒声に、思わず敬礼した俺は、そそくさと中途半端な位置で引っかかっているパンツとズボンをずり上げた。
「ええと、穿きました……」
『……もう出てない? …………お尻』
「は、はい、完璧っす」
『完璧ってなんだよ……まあ、穿いたならならいいけど』
俺の返事に、当惑混じりの声を返してくるルリちゃん。
そこはかとない呆れと疑念を帯びた響きを感じさせる彼女の声に、思わず身を縮こまらせる俺だったが、その拍子にベッドの枕元に置いてあった目覚まし時計が音に入り、首を傾げる。
「……そういえば、随分と遅かったね」
『遅かった……って、なにが?』
「そりゃ……俺に連絡するのがだよ」
俺の答えた瞬間、スピーカーの向こうから『うっ……』という軽い呻きが聞こえてきた。
それから少し間を置いて、さっきまでの勢いがどこかに行ってしまった声色で、ルリちゃんが答える。
『ええと……それは……』
躊躇いがちに言い淀みながら、ルリちゃんが『実は――』と続け……かけたところで、まるで俺たちの間に割り込むようにして、別の女性の声が聴こえてきた。
『なんかねえ、お風呂に入ってる時になんか考え事をしてたみたいで、それでお湯に浸かり過ぎて逆上せちゃってたの』
『ちょ、ちょっ! ま、ママッ?』
聞き覚えのある声に、ルリちゃんの上ずった声が重なる。
『な、なに人の部屋に勝手に入って来てんのッ?』
『え~? なんでって、そりゃ心配したからに決まってるでしょ? 脱衣所で素っ裸のままダウンしてた娘の事をさ』
「す……素っぱだ……っ」
『わああああああッ! いきなり何言ってんのおおおおおおおっ!』
亜樹子さんの言葉の刺激過ぎるワードに、思わずその場の情景を脳内に思い浮かべかけた俺の耳を、ルリちゃんの金切り声が劈いた。
『す、素っ裸だなんて、人聞きの悪い事言わないでよッ! ちゃ、ちゃんとパンツは穿いてたってばッ!』
つ……つまり、上半身は裸だったという事では……?
『つ、つか、早く出ていってよッ! あたしは、今電話してんの!』
『そんなに元気なら、心配しなくても大丈夫そうねぇ。良かったぁ』
声を荒げるルリちゃんに、亜樹子さんは安堵したような声で言った。
『お風呂で逆上せてたのもあるけど、帰ってきた時から何だか様子が変だったから、結構本気で心配してたのよ。――顔を茹でダコみたいに真っ赤にしてさー』
『ま、真っ赤なんて……そんな事無い――』
『いや、ホントに真っ赤だったよ。おまけに、私が何を話しかけても上の空だったし……』
『う……それは……』
『――てっきり、駅まで送りに行った時に、本郷くんに何かされたのかと思って、気が気じゃなかったわよ~』
『「ふぁ、ファッ?』」
亜樹子さんの言葉に、俺とルリちゃんが上げた狼狽の叫びがスピーカー越しにハモる。
……つか、今の言葉は、明らかに俺に向けて投げかけられたものだった……。
「な、なななな何かって……な……何もしてな……」
スピーカーの向こうの亜樹子さんに向けて、『何もしてないっす!』と断言しようとした俺だったが、その声は途中で途切れる。
確かに、“物理的”という意味では何もしてない……けど、“全く”何もしていないとは言い切れない事に気付いたからだ。
『な……何も……って事は……その……』
俺と同じ事に思い至ったのか、ルリちゃんの返しも歯切れが悪い。
『んん~?』
そんな彼女の反応に何か感づいたらしい亜樹子さんが、意味深な唸り声を上げた。
『あらぁ? ひょっとして、ホントに何かあった?』
『あ、いや……その……』
『あったのねっ?』
言い淀むルリちゃんとは対照的に、亜樹子さんの声が弾む。……その声を聞くだけで、亜樹子さんの顔にニヤニヤ笑いが浮かんでいるであろう事が想像できた。
『ねえねえ、それでどうなったの? 本郷くんと付き合うの~っ?』
『つ、つつつ付き合……』
亜樹子さんにグイグイ来られて、ルリちゃんが混乱しているのが、スピーカーから聴こえてくる声の調子からありありと解る。
――と、
『も、も――ッ!』
と、ルリちゃんが急に声を張り上げた。
それと同時に、激しい衣擦れの音とドッタンバッタンという激しい物音が聞こえてくる。
『い、いいからもう出てってよッ! ママには関係ないでしょッ!』
『関係なくないわよぉ。親としては、娘の成長を逐一把握しておかないと……』
『そんな事言って、ホントは面白がってるだけでしょッ! いいから、さっさと出てけぇ!』
『もー、恥ずかしがっちゃって。いいじゃん、別に減るもんじゃな――』
亜樹子さんの声は、ドアが閉まる激しい音と共に途切れた。どうやら、ルリちゃんが無理やり部屋から追い出したらしい。
しばらくの間、スピーカーからはルリちゃんの激しい息遣いだけが聴こえていた――と思ったら、急にドアノブが回る“ガチャリ”という音が上がる。
『本郷くーん! ウチの娘の事、よっろしくね~♪』
『だから入ってくんなああああああっ!』
なぜかウッキウキな亜樹子さんの声の後に、上ずったルリちゃんの絶叫が重なったのだった……。




