第三十二訓 痩せ我慢をするのはやめましょう
「あだ! あ痛だだだだだだだっ!」
駆けつけてきた男性のスタッフに介抱されながら、俺はふくらはぎに走る激痛に悶絶していた。
「あー、完全に攣っちゃってますねぇ」
「痛てててててっ! や、やめてっ! そこは……そこはらめええええっ!」
スタッフさんにふくらはぎを揉まれた俺は、身体をビクンビクンさせながら、身を捩らせる。
……なんか、エロマンガとかにありがちな声を上げてしまったが、それはもちろん快感によるものではなく、脛骨がふくらはぎの筋肉の異常収縮で軋んだ事で起こった激痛による悲鳴である。
「ちょっと……大丈夫?」
悶え苦しむ俺に、立花さんがおずおずと声をかけてきた。さすがの彼女も、ここまで苦しんでいる俺の様子を見て、少し心配になったらしい。
そんな彼女に引き攣り笑いを向けながら、俺は弱々しく頷いた。
「だ、大丈夫……。ちょっと足が攣っただけだから……。少し待ってて……」
「……全然大丈夫そうじゃないんですけど。顔色が泥みたいな色してるよ」
泥って……土気色を通り越してんのかい。
俺は、彼女の不安を払拭しようと、男性スタッフの手を振り払うように立ち上がった。
「ほら、もう治ったよ。この通り――」
そう言いながら、俺は屈伸してみせる。
……うん、大丈夫だ。攣った右ふくらはぎには、まだ違和感と痛みが残っているが、全く動かせない程ではない。
これなら、あと数回走るくらいなら――そう思った矢先、
……“ミシシ”
「……ッ! あガががががががァッ!」
――今度は、左脚のふくらはぎに、さっきと同じ激痛が走った。
「あ痛ダダダダだだだだだあぁぁぁぁぁッ!」
「ちょ、ちょっと! 全然大丈夫じゃないじゃん!」
立花さんは、驚きと呆れが入り混じった声を上げながら、激しい痛みに悲鳴を上げながら、左脚を抱えて大きくよろけた俺の身体を支えてくれた。
「ほらっ! ここにゆっくり座って……!」
「あ……ご、ゴメン……」
俺は、彼女の手を借りながら、その場に腰を下ろす。
と、司会のお姉さんが心配げな表情を浮かべながら、俺と立花さんに声をかけてきた。
「あのぉ……大丈夫ですか?」
「あ……す、スミマセン、進行を止めちゃって……」
俺は両脚の痛みに顔を顰めながら、司会のお姉さんにペコペコと頭を下げる。
それに対して、お姉さんは「いえいえ」と首を横に振ったものの、少し表情を曇らせた。
「……とはいっても、これ以上再開が遅れてしまうと、お客さんたちが……」
「ですよね……」
「あの……」
と、司会のお姉さんは顰めた声で俺たちに尋ねる。
「言いにくいんですけど……ここは、できれば棄権して頂いた方が……」
「……」
……彼女の提案は当然だ。
司会のお姉さんの言葉に、俺は言葉を詰まらせ、俯く。
――だけど、答えは一つしか無い事はハッキリしていた。だって、痛いんだもん。両脚のふくらはぎと脛が……。
とはいえ、俺の一存で決める訳にはいかない。一応、相方の許可をもらわないと。
……貰えるのか、許可?
「あ……あのさ、どうする? 立花さん……」
俺は尋ねかけながら、恐る恐る傍らの立花さんの顔に目を遣る。
……彼女は、俺の声も耳に入っていないかのように、ボーっと前に目を向けていた。
その視線の先には、クイズ大会の優勝賞品である、実物大のナントカペンギンのぬいぐるみが……。
「立花さん?」
「……え? あ……」
俺がもう一度名を呼ぶと、ようやく気付いた様子の立花さんは、目をパチクリと瞬かせる。
そして、何か言おうと口を動かしかけるが、すぐに唇をキュッと結ぶと、コクンと頷いた。
「……そうだね。分かった……」
「……」
彼女は、小さな声でそう言うと、司会のお姉さんの方に顔を向け、口を開く。
「すみません。こんな感じなので……残念だけど、あたしたちは棄け――」
「アッ! 大丈夫っす! 続けます!」
「……え?」
立花さんの言葉を大きな声で遮ったのは、俺だった。
俺は、驚きの表情を浮かべる司会のお姉さんと立花さんの前で、元気に立ち上がってみせる。
「ほ、ほら! もうすっかり良くなりました! ナンボでも走れますよ、ハッハッハッ!」
俺は高らかに笑いながら、交代前にピッチ脇でウォーミングアップを行なうサッカー選手のように、その場で足踏みをしてみせた。
……実は半分くらい攣ったままの両脚のふくらはぎが発する激痛を堪えながら。
「あ、そうなんですか? だったら……」
司会のお姉さんは、俺の行動に面食らいながらも、安堵の表情を浮かべる。
そして、念を押すようにもう一度訊ねてきた。
「じゃあ……続けます?」
「あっ、はい! もちろんっス!」
俺は、お姉さんに向かって大きく頷き返す。
それを見たお姉さんは、「じゃあ、無理をしないで下さいね」と俺に言って、司会席へと戻っていった。
「な……何やってんのよ!」
そんな俺を、怖い顔をした立花さんが小声で咎める。
「なに痩せ我慢なんかしてるのさ! ホントはまだ痛いんでしょ?」
「は、ハハハ! 何を言ってるんだい? 全然、痩せ我慢なんかしてな……痛だだだだ!」
俺の強がりは、途中で悲鳴に変わる。おもむろに屈んだ立花さんが、俺のふくらはぎを思い切り抓み上げたのだ。
俺の反応を見た立花さんが、眉間に皺を寄せながら、俺の顔を睨みつける。
「ほら! 全然平気じゃないじゃん! そんなんで走れる訳ないでしょうが!」
「だ……大丈夫だって……。あと一回か二回くらいなら保つよ……多分」
咎めだてる立花さんに対してそう答えた俺は、解答席に向かうよう、彼女の肩をそっと押した。
「ほら……。クイズが始まっちゃうから、席について」
「……別に、そこまでしなくても、いいよ」
立花さんは、僅かに目を逸らしながら、小声で言う。
「……さっき、『死ぬ気で走れ』とか言ったけど、あれは、半分……いや、三割ぐらい冗談だから。何も、真に受けなくても――」
「別に、そういう訳じゃないよ」
「え……?」
驚いた顔で俺の顔を見た立花さんに苦笑を向けながら、俺は首を横に振った。
「これは……俺がしたくてやってるんだから。君に言われたからじゃないよ」
俺はそう言って、さっき彼女が見つめていたペンギンのぬいぐるみを指さす。
「立花さんさ……あれ、欲しくないの?」
「…………ううん」
俺の問いかけに、立花さんは、微かに顔を赤らめながら答えた。
「そりゃ……欲しいよ。欲しいけど、だからって……」
「……だったら、頑張るよ、俺」
彼女の答えを聞いた俺は大きく頷く。
「って事で、解答の方はヨロシク」
「え、えと……その……!」
「さあ! 皆さん、大変お待たせいたしました! 現在、二組が優勝にリーチをかけている状況! さて、次の問題で決まるのでしょうか?」」
俺に向かって何か言いかけた立花さんだったが、その声は、司会のお姉さんの明るい声によって途切れた。
その声を受けて、慌てて位置につく俺。その拍子に、また両脚のふくらはぎが激痛を発したが、隣の解答席に座る娘に気取られないよう、必死でポーカーフェイスを保つ。
そして、
「では参ります! 第十二問!」
運命の十二問目が、高らかに読み上げられた――!




