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第三百八訓 人との距離は適切に保ちましょう

 「……」


 ファンシーなペンギン柄のエプロンをかけたルリちゃんは、恐らく料理()()()()()を盛った大皿を両手で持ったまま、無言で俺たちに冷たい視線を向けていた。

 その顔には何の表情も浮かんでおらず、今彼女がどんな感情を抱いているのか、まるで読み取れない……でも、俺にはハッキリと分かる。


 ――彼女は今、めちゃくちゃ不機嫌だ。


 ルリちゃんの周りに「ゴゴゴゴゴゴゴ……」という、あの特徴的なフォントの擬音が浮かんでいるのが、俺の目にはクッキリと見える……。

 ……アレだ。いわゆるひとつの「テメーはおれを怒らせた」状態だ。なんなら、彼女の背後にうっすらとムキムキの人影が見えるような……。


「……」


 俺は、彼女が放つ圧倒的なオーラにビビッ……気圧されて、石のように固まる。

 何か言葉を発しようとすれば、その瞬間にルリちゃんの背後に現れたスタンド(幽波紋)にオラオララッシュされそうだ。……別に何もしていないのに…………してないよな?

 ……と、


「あ、野菜炒め出来た?」


 明らかに臨界寸前のゲッ〇ー炉みたいな状態のルリちゃんに、亜樹子さんが平然と声をかけた。

 満面の笑みを浮かべた亜樹子さんは、片方の手でルリちゃんを手招きしながら、もう片方の手でテーブルを指さす。


「食べよ食べよ! はい、ここに置いて~」

「……」


 ルリちゃんは、一瞬何か言いたげに口を開きかけるが、結局何も言わず、その代わりに溜息を吐いてから、亜樹子さんが空けたテーブルのスペースに大皿を置いた。


 ドンッッッ!


 ……今度は、某ゴム人間が決め台詞を吐いた大ゴマに書き込まれていそうな音が上がる。


「はいどうぞ! 召し上がれッ!」


 大皿を置いたルリちゃんの声には、料理を振る舞うというよりは、これからラストバトルを繰り広げようとする武神が上げる雄叫びのような響きが籠っていた。

 そんな彼女の剥き出しの“殺意の波動”を前にして、俺はどうしたら良いか分からず、ただただ硬直する。

 ……だが、


「はいどうぞって言われてもねぇ」


 亜樹子さんの方は、ルリちゃんの殺気だった様子にも物怖じひとつせず、それどころか苦笑すら浮かべてみせた。


「料理だけバーンって出されても、お箸も取り皿も無くちゃ食べられないじゃない」


 そう皮肉げに言い放った亜樹子さんは、更にムッとしているルリちゃんを尻目に、わざとらしく俺に向かって話しかける。


「まったく、気が利かない()ねぇ。本郷くん、あなたもそう思わない?」

「へっ?」


 急に話を振られた俺は、ビックリして間の抜けた声を上げた。


「あ、いや、その……」


 そう声を裏返しながら、亜樹子さんの言葉にどう答えればいいか分からないまま、しきりに目をパチクリさせる。

 と、


「あーはいはいっ! お箸と取り皿ねっ! 持ってくればいいんでしょ持ってくればッ! 気が利かなくてすみませんねぇっ!」


 こめかみにビキビキと青筋を立てたルリちゃんが、苛立ちと怒りに満ちた声で叫んで、キッチンに戻ろうと踵を返した。


「あ! る、ルリちゃん! い、いいよ、俺が取ってく――」

「す・わ・っ・て・ろ!」

「……アッハイ」


 ヤバい雰囲気を感じて立ち上がりかけた俺だったが、即座に振り返ったルリちゃんに殺気立った目で睨まれた途端、石化したように動きを止め、有無を言わさぬ口調での指示におとなしく従う。


「……フンッ!」


 ソファにちょこんと腰を下ろした俺の事を、まるでゴミを見るような目で一瞥した彼女は、不機嫌げに鼻を鳴らしてから、ドスドスと大きな足音を立てながらキッチンへと向かう。

 ――と、


「……うふふ」


 彼女が壁の向こうに消えるのを見送ってから、亜樹子さんがクスリと笑った。


「かわいいわねぇ」

「か、かわいい?」


 俺は、亜樹子さんが口にした言葉に仰天する。


「かわいいって……いや、怖いっすよ」

「え、全然怖くないわよ。むしろ微笑ましいわ」

「なんと?」


 亜樹子さんの答えに、俺は思わず耳を疑った。


「あ、あの超サ〇ヤ人か覇王色の覇気かみたいなオーラを纏ったルリちゃんのどこにほほえましい要素が……?」

「あら、分からない?」


 上ずった声の俺の問いかけに、亜樹子さんは意外そうな顔をして首を傾げると、俺の耳に顔を寄せ、潜めた声で囁きかける。


「要するに……あの子は私にや――」

「な、何してんだぁ――っ!」


 亜樹子さんの囁き声は、上ずった怒号でかき消された。

 慌てて怒声の上がった方に顔を向けると、取り皿と箸を持ったルリちゃんが飛び出さんばかりに目を見開いて、リビングとキッチンの間に立っていた。

 飛び出さんばかりに目を見開いた彼女は、わなわなと唇を震わせながら、亜樹子さんに向けて叫ぶ。


「ち! 近いからッ! ソータから離れて、ママッ!」

「え、どうして?」


 ルリちゃんの金切り声に対し、亜樹子さんはニヤニヤ笑いながら、わざとらしく首を傾げた。


「別に普通でしょ? 電車の座席だって、このくらいくっつくじゃない」

「ここは電車の中じゃないじゃん! ソファの反対側がそんなに空いてるのに、なんでそんなにソータに寄ってんだっつーのッ!」


 激しい口調で亜樹子さんに言い返しながら、ルリちゃんは半分ほど空いたソファの左側を指さし、その次に俺と亜樹子さんの顔に指を突きつける。


「つか! な、なんでそんなに顔を近づけてるの、アンタたちッ? おかしいじゃんっ!」

「別に何もおかしくはないわよ。他愛もないナイショ話をしてただけだもんっ」

「なにが“だもんっ”だ! トシを考えろっ!」


 ルリちゃんは、亜樹子さんの人を食った答えに激しい苛立ちを表しながら、俺たちに突きつけた指を激しく左右に振った。


「と、とにかく顔と体を離してっ! 離れなさいっ! 早くッ!」

「うふふ、必死になっちゃってぇ」


 ガチギレしているルリちゃんをからかうように言った亜樹子さんは、娘の言葉に逆らうように、俺の腕に自分の腕を絡ませてみせる。


「ちょ? な、何をしてるんすかっ?」

「ルリは、こんなに私が本郷くんと仲良くしてるのがイヤなのぉ?」

「そ…………そ、そういうんじゃないッ!」


 ルリちゃんは、突然腕に抱きつかれて動転している俺とニヤニヤ笑いを浮かべている亜樹子さんに血走った目を向けながら、上ずった声で絶叫した。


「いいからっ! とにかく、とにかく離れろおおおおお――ッ!」

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