第三百二訓 すぐにバレる隠し事はやめましょう
いつの間に向かいの席から俺の隣に移動していたルリちゃんのお母さんは、俺に向かって尋ねた。
「前に電話で話はしたけど、直接会うのは初めてよね? 本郷くん」
「え、ええ……」
お母さんの問いかけに、俺はぎこちなく頷く。
艶やかな黒髪を頭の後ろで束ねて丸めたお母さんは、正直少しメイクが濃いように見えたが……それを差し引いてもかなり綺麗な人だった。
動物で喩えるなら――ルリちゃんが『お転婆で気まぐれな子猫』なのに対して、お母さんは『妖艶な牝豹』って感じだ。
アニメキャラなら、さしずめ『カリオスト〇の城で女家庭教師に変装している峰不〇子』ってところだろうか。
そんな美人に、足が触れそうなくらいの至近距離に座られて、彼女いない歴二十年の俺が平気でいられる訳が無い。
内心でドギマギしながら、必死に平静を装う俺に、お母さんはニコリと微笑みかけてきた。
そして――おもむろに、俺の顎を爪に薄いピンクのマニキュアを施した指でクイッと持ち上げる。
「ふぁ、ふぁっ?」
「ふーん……実物はこんな顔してるんだね、本郷くん」
彼女は、いきなり“顎クイ”されて激しく狼狽する俺の顔をマジマジと眺めていたが、「うん、まあ合格かな」と呟いてから、ようやく解放してくれた。
俺は、突然の事に激しく動揺しながら、上ずった声でお母さんに尋ねる。
「な、な……何すか、ご、合格って……?」
「そんなの決まってるでしょ」
俺の問いかけに、彼女は涼しい顔で答えた。
「ウチの娘の彼氏として合格……って」
「か、彼氏て……!」
お母さんの言葉を聞いた俺は、心臓の鼓動が更に速まるのを感じながら、激しく首を横に振る。
「さ、さっきもルリ……娘さんが言ってたじゃないっすか! 俺と彼女は単なる友達で、そ……そういう関係にはならないって……!」
「うん、確かにルリはそう言ってたわね」
そう言って小さく頷いたお母さんは、「でも――」と、上目遣いに俺の顔を見つめた。
「――君の方はどうなのカナ?」
「う――!」
ルリちゃんのお母さんの探るような視線をまともに浴びて、俺の心拍数は更に上がる。
漂ってくる仄かな香水の香り……いや、もっと言ってしまうと、“オトナの色香”にアテられたからというのも確かにあるが……問いかけられた内容に図星を衝かれたのが大きかった。
「そ、それは……」
俺は、どう答えるべきか激しく迷いながら、曖昧に言葉を濁す。
こっそりとキッチンの方に目を遣って、ルリちゃんが「もう! ママ、あたしがいない間に何やってんさ!」と乱入してくれやしないかと期待するが――リビングとキッチンを隔てる壁の向こうからは、
『わっ! 危なッ! 指切るとこだった……』
『ええと……確か、コショウと塩こうじで味付けして……』
『……あれ? 先にお肉を入れるんだっけ? それとも、野菜から……?』
という、激しい不安をかき立てるような呟き声と、鍋や調理器具と格闘しているようなけたたましい音が漏れ聞こえてくるだけだった……。
ルリちゃんの援軍が望めない事を悟った俺は、がくりと肩を落として視線を戻し――いつの間に自分の肩に顎が触れそうなほどに顔を近付けていたたお母さんとまともに目が合う。
「ど、どぅわっ! だ、だから近いってッ!」
「で……結局どうなの?」
ビックリして声を上ずらせる俺に、お母さんは興味津々といった様子で再び尋ねた。
「本郷くんは、ウチの娘の事をどう思ってるのカナ?」
「そ……それは……」
某少女マンガのキャラもかくやと言わんばかりにキラキラと目を輝かせながら訊いてくるお母さんを前に、俺はたじたじとなりながら言い淀む。
彼女の問いかけにどう答えるべきか激しく葛藤した俺だったが――結局、ぎくしゃくとした動きで首を横に振った。
「さ……さっきのルリちゃんの答えと、お、おな――」
「あ、一応言っておくけど」
ルリちゃんのお母さんは、俺の言葉を遮るように声を上げると、いたずらっ子のような顔をして言葉を継ぐ。
「私、会社では監査担当やってるの」
「か、監査……?」
「ええ」
俺の言葉に頷いたお母さんは、ニヤリと薄笑んだ。
「要するに、得意なのよ。――人の嘘を見破るのが、ね」
「う……っ」
「だから――」
彼女が何を言わんとしているか察して思わず絶句した俺に、お母さんは口元では微笑みを湛えたまま、少しだけ目を細めてみせる。
そして、更に顔を近づけ、俺の耳元に潜めた声で囁きかけた。
「下手な嘘を吐いてもム・ダ・よ♪」
「ひ……っ」
お母さんの甘い――それでいて、内にはカミソリのような鋭さを潜ませた囁きに、俺は自分の背中に冷たいものが伝うのを感じながら息を呑む。
彼女の言う事は嘘ではないだろう。俺ごときがどんな嘘を吐こうとしても、たちまち見破られてしまうに違いない……。そう思わされる説得力が、その口ぶりから嫌というほど感じ取れた。
「……」
俺は、再びキッチンの方を一瞥する。
キッチンからは、火にかけたフライパンと決死の格闘をしているらしいルリちゃんの絶叫と、金属同士が激しくぶつかり合う音が聞こえてくる……。
「……約束してもらえますか?」
小さく溜息を吐いた俺は、万が一にもルリちゃんには聞こえないように声を潜めて、お母さんに言った。
「ルリちゃんには絶対に言わないって……」
「……もちろん」
俺の声を聞いたお母さんは、大きく頷く。
「さっきも言ったでしょ? 私は監査担当してるからね。見知った個人のプライバシーへの守秘義務はちゃんと果たすわよ。だから、安心なさい」
「……」
頼もしい言葉とは裏腹に、まるで子どものようにワクワクした表情を浮かべているお母さんに一抹の不安を覚えつつ――俺は、コクンと頷いた。
「……はい」
心の中で、『なんで本人よりも先に、その親に気持ちを打ち明けなきゃいけないんだ……』とチラリと思いながら、俺は緊張で少し声を震わせながら、自分の気持ちを言葉にする。
「どうやら――俺は、ルリちゃんの事が……好きみたいです」




