第二十四訓 女の子を退屈させないようにエスコートしましょう
「ほ、ほら……! 見てみなよ、ミク! ウミガメがこっちに向かって泳いでくるぜ!」
俺は、南太平洋の海中を再現したという大きな円柱形の水槽の中を指さしながら、殊更に明るい声を出して、隣に立つミクに呼びかけた。
「……あ、うん」
……だが、俺のテンションアゲアゲの歓声にも、ミクの反応は薄い。
俺は、ミクの浮かない表情を見て、胸のどこかがチクリと痛むのを感じつつも、懸命にそれには気付かないフリをして、別の方向を指さしながら小さく叫んだ。
「……あ! あっちにはシュモクザメもいるぜ! ホントに変な顔をしてるよなぁ。あれでちゃんと目が見えてるのかなぁ? 前が見えなくて、水槽の壁に頭ぶつけてたりして」
「あはは。そうだねぇ……」
俺の冗談に対し、軽く笑うミク。だが、その笑いにはどこか虚ろな響きが籠もっていた。
まあ……俺の冗談が面白くなかったからっていうのも確かにあるのかもしれないが、ミクが俺の声に上の空な理由は明白だった。
――ミクの意識は、目の前の大小様々な海生生物が優雅に泳いでいる大きな水槽にではなく、数メートル隣に立つふたりの男女に向けられているのだ。
「うわぁ~! 見て見てホダカ! アレだよアレ! 昔、一緒にテレビで観た映画の、人間をバリバリ食べちゃうサメ!」
「ああ……あのサメはちょっと違うね。あれはシロザメだよ」
「あれ? 違うの? だって、おんなじ形してるよ?」
「まあ、似てるっちゃあ似てるけどね。ジョーズのモデルになったのは、ホオジロザメだよ。あれは飼うのがかなり大変だから、今はどこの水族館にもいないんだ」
「へぇ~、そうなんだ。ホダカってマジで物知りだよね」
「いや、そんな事は無いよ」
「……あ! ほらほら! あっちでエイが泳いでる! 大きいなぁ。まるでタコみたい。……あ、タコって言っても、オクトパスじゃない方だからね! 空を飛ぶ方の凧!」
「ははは。分かってるよ」
目を輝かせながら水槽を指さし、俺と喋る時より一オクターブ高い声を弾ませながら、まるでマシンガンのように切れ目なく喋る立花さんと、そんな彼女にも優しそうな笑みを向けながら応える藤岡。
そんなふたりの仲睦まじい様子を目にしたミクが、寂しげな表情を浮かべた。
そして、ミクの憂い顔を横目で見た俺の胸が、またチクリと痛む。
「……ほ、ほら、ミク! あそこにへばりついてるのって、コバンザメじゃね? 亀の甲羅とかクジラの腹とかにへばりついてるヤツ! ああやってくっついてるんだな……。俺、コバンザメの裏側って初めて見たよ!」
「あ……」
ミクは、俺の上げた声にハッとした表情を浮かべると、力無く微笑んだ。
「うん……そうだね」
「……ごめんな」
気付いたら、俺はミクに謝っていた。
「え……?」
唐突な俺の謝罪に、ミクは驚きの表情を浮かべ、目を丸くする。
「どうして、そうちゃんが謝るの?」
「あ、いや……」
正直、尋ねられても困る。むしろ、それを俺に訊きたいのは俺の方だ。
半分無意識のままに口走ってしまった謝罪の言葉に戸惑いつつ、俺はポリポリと頭を掻きながら、その理由を探す。
「その……な、何だか、俺が相手だと楽しませてあげられなくて悪いな~って……」
「あ……」
自戒を込めた俺の言葉を聞いたミクは、焦りの表情を浮かべ、ブンブンと首を横に振った。
「そ……そんな事無いよ! そ、そうちゃんと一緒でも楽しいよ!」
「……『一緒でも』……かぁ」
「あ……!」
俺の呟きに、ミクが慌てて口を押さえる。
そして、また何か言いかけようとしたが、俺は軽く首を横に振って、それを制した。
「いや……別にいいって。まだ付き合ったばっかりなんだから、幼馴染よりも彼氏と一緒にいたいって思うのは当たり前だろ?」
「……ごめん」
「謝んなよ」
――『お前に謝られたら、俺が更に惨めになっちゃうだろ?』という後半部分は喉の奥で押し殺し、俺は無理矢理にこしらえた笑顔をミクに向ける。
そして、水槽から離れて、次の展示スペースへ向かう様子の藤岡と立花さんの背中を指しながら、言葉を継いだ。
「……ほら、俺たちも次に行こう」
「……うん」
俺の促しの声にミクも小さく頷き、俺たちは藤岡たちの後に続いて歩き出す。
「……」
少し俯きながら、言葉少なに歩を進めるミクの横顔をチラ見しながら、俺はズキリと胸が軋むのを感じていた。
◆ ◆ ◆ ◆
その後、いくつかの展示スペースを回った俺たち。
一応、四人で揃って行動しているものの、立花さんがずっと藤岡の横に貼りついて離れない為、実質的には藤岡&立花さんと俺&ミクの二組に分かれているのと変わらない感じだった。
どうやら、藤岡もミクと同じ気持ちのようで、立花さんの目を盗むように、度々ミクの方をチラリと見ながら、何か言いたげにアイコンタクトを送っているようだった。
だが、それでも傍らの立花さんを無下に扱う事はせず、それ以上、ミクに対してアクションは取る事はなかった。
そんな感じで、今のところは、何としても藤岡とミクの仲を進展させたくない立花さんにとって、正に狙い通りの展開となっていた。
――が、
「……あ、ごめん」
室内から、屋外スペースに移動する途中でトイレを見つけた立花さんが、急に声を上げた。
「あたし、ちょっとトイレに行ってくるね!」
立花さんはそう俺たちに言い残すと、足早に混雑するトイレの中に入っていく。
それを見送った藤岡は、困り笑いを浮かべながら俺とミクの方に近付くと、申し訳なさそうな顔で言った。
「あ……ごめんね、未来ちゃん。ルリの奴が……」
「いえ……大丈夫です」
気遣いの言葉をかける藤岡に、ニコリと微笑みながらミクは首を横に振り、言葉を継ぐ。
「それにしても……本当に仲が良いんですね。ルリちゃんとホダカさん……」
「ちょっと前までは、そうでもなかったんだけどね……」
ミクの言葉に、照れくさげに頭を掻きながら藤岡は答えた。
「一時期は、大分つっけんどんな扱いをされていて、まるで反抗期の娘を持つお父さんみたいだったよ。なんだか、最近になって、また扱いが変わった感じだね。昔の……小学校の低学年くらいの関係に戻った感――」
「――あ、あのっ!」
気付いたら俺は、藤岡の言葉を遮るように声を上げていた。
突然会話に割り込んできた俺の声に驚いた顔で、藤岡とミクが俺の方を見る。
「……颯大くん?」
「どうしたんですか、本郷くん?」
「あ……」
ふたりから見つめられて、俺は一瞬だけ逡巡した。
……だが、すぐに心を決める。
「ミク、藤岡……さん!」
俺は、僅かに心に残った躊躇を振り払うように首を振ると、ふたりの顔をジッと見ながら強い口調で言った。
「……今がチャンスっす! 立花さんがトイレに行ってる隙に、ふたりでこの場を離れて下さい!」




