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第二十三訓 作った設定はきちんと覚えておきましょう

 「ホダカ~! あっちはイワシの群れの水槽だって! 早く見に行こ~!」


 と、一歩先にサンライズ水族館の館内に入った立花さんは、入り口ゲート前のベンチに座ってた時とは別人のようにはしゃぎながら、俺たち……正確には藤岡だけに向かってブンブンと手を振った。


「分かった分かった。そんなに()かすなよ」


 そんな彼女に苦笑交じりに手を振り返した藤岡。

 と、彼は、自分の傍らを歩くミクの方に顔を向けると、少し照れた様子で声をかける。


「……じゃ、行こうか、未来ちゃん」

「あ……はいっ」


 藤岡に促され、ミクもおずおずといった様子でコクンと頷く。

 そして、さりげなく藤岡が差し出した掌を握ろうと、躊躇いがちに手を伸ばす。


「あ! ちょ……ちょっと……!」


 ふたりの少し後ろを歩きながら、ミクの仕草を見た俺は、慌てて声を上げた。

 俺の目の前で手を繋ぐなんて、そんなカップルみたいな真似をする事を赦す訳にはいかないッ! ――まあ、実際にカップルな訳なのだが……。

 だが、俺の制止の声は、周囲の客たちの喧騒によって、ふたりの耳には届かなかったようだ。

 ふたりの手の距離はみるみる縮まる――。


(え……ええい、時間よ止まれ! ザ・ワールドッ!)


 思わず、心の中で幽波紋(ス〇ンド)を召喚して時間を止めようとするが、あいにくと石の仮面を被っても、ヘンテコな矢を刺されてもいない俺には無理な芸当だった。

 ……そら、そうよ。


 俺がそんなアホな事をしている間にも、ミクと藤岡の手はどんどんと接近していく。

 そして、その距離がゼロに――なる寸前、別の手が唐突に現れた。そして、藤岡の手を、まるで魚を掻っ攫うドラ猫のような俊敏さでむんずと掴み取る。


「ほら! 行こっ、ホダカ!」

「あ……う、うん」


 無造作に手を掴んだ立花さんに引っ張られるように、藤岡さんが俺とミクの側から離れていく。

 俺とミクは、中途半端に手を伸ばしたまま、唖然としてそれを見送るだけだった。

 ――と、その時、立花さんが俺の方にチラリと振り返り、藤岡から見えない角度で顔を顰めながら、口をパクパクと動かす。

 声にこそ出さなかったが、彼女が何を言わんとしているのかが、その口の動きで俺には分かった。


(……何ボーっと突っ立ってんの、アンタ? まったく、使えないなぁッ!)

「うっ……」


 立花さんの辛辣な口パクに、俺はぐうの音も出せずに唸るしかない。

 正直悔しいが、全くもって立花さんの言う通りで、もしも彼女があのタイミングで割って入らなければ、藤岡とミクはいかにもカップルらしく公衆の面前で仲睦まじく手を繋ぎ、その絆を一層深めてしまうところだったのだ。

 ここは、立花さんの機敏さに感謝せねばなるまい……めっちゃ睨まれてるけど。


「……はぁ」

「……あ」


 その時、俺の耳が、微かな溜息を拾った。

 俺は、恐る恐る傍らの方に目を向ける。


「……ミク?」

「……え? あ――」


 中途半端に手を伸ばしたままの体勢で、いかにも寂しげな表情を浮かべていたミクは、俺の視線に気が付くと、目をパチクリさせながら慌てて手を引っ込めた。

 そして、いかにも取り繕ったようなぎこちない笑みを浮かべて、軽く首を横に振る。


「……ゴメンそうちゃん。何でもないよ」

「……大丈夫か?」


 ミクの表情を見た俺は、僅かに胸がざわめくのを感じながら、思わず声をかけた。

 そんな俺の問いに、ミクは頬を指で掻きながら、キョトンとした表情を浮かべる。


「大丈夫って、何が?」

「あ、いや……」


 ミクに逆に訊かれて、俺は返す言葉に詰まってしまう。


「あの……せ、せっかくのデ……デートなのに、俺とか立花さんがいるせいで、彼氏といっしょに歩けなくってさ……」

「……ううん」


 俺の言葉に、ミクは小さく首を横に振った。

 そして、困り笑いを浮かべながら言葉を続ける。


「元々、今日は『お互いの幼馴染を相手に紹介したい』って目的で、そうちゃんとルリちゃんを連れてきたんだから」

「そ、そっか……」


 ミクの答えに、俺はたじろぎながら頷いた。


「そういう事なら……」

「――それにしても……」

「え?」


 ぼそりと呟いたミクの声を耳にした俺は、怪訝な顔をしながら訊き返した。

 するとミクは、少しだけ寂しそうな顔をして、いかにも仲良さげに幼馴染とじゃれつく立花さんと、そんな彼女を軽口でからかっている藤岡のふたりに目を向ける。

 そして、少しだけ寂しそうな表情を浮かべて言葉を継いだ。


「本当に仲がいいよね、ホダカさんとルリちゃん……」

「ま……まあ……あのふたりは、生まれてすぐからの幼馴染らしいからな」


 俺は、先週に立花さんと交わした会話を思い出しながら答える。

 すると、ミクは目を丸くして、俺の顔を見上げた。


「へえ……そうなんだ。そこまでは知らなかったぁ。……何で知ってるの、そうちゃんは?」

「え……? あ、いや……一週間前に、立花さんから聞い――」

「へ……一週間前?」

「あ! い、いや! じゃなくって!」


 迂闊にも、『一週間前に』と漏らしてしまった俺の言葉を聞き咎めたミクの問いかけに、俺は大いに狼狽しながら首を大きく横に振った。

 そして、慌てて言い繕う。


「言い間違い! さ……さっき、ミクたちを待っている間に立花さんから聞いたんだよ! 藤岡さんとの関係とかを色々とさ!」

「あ……そっかぁ」


 幸い、ミクは俺の言い繕いをあっさりと信じてくれた。

 そして、にこやかな笑みを俺に向けて、大きく頷きかけてくる。


「そうちゃんとルリちゃん、さっき会ったばっかりなのに、早速仲良くなったんだねぇ。良かったぁ」

「あ……いや……」


 疑う事を知らないミクの笑顔を前に、俺は気まずくなって目を逸らした。

 正確には『さっき会ったばっかり』ではないし、『仲良くなっ』てもいない訳で、そこはかとない罪悪感を感じてしまう……。


「べ……別に、そんな事ねえよ……」


 俺は動揺を誤魔化すように、薄暗い天井の中で輝くスポットライトを見上げながら呟いた。

 そして、ふと気になって、それとなくミクに訊ねる。


「……つうか、何でそんなに嬉しそうなんだ? 俺とあの()の仲の事で……?」

「えー、それはもちろん……」


 俺の問いかけに、どことなく勿体ぶった様子で答えようとしたミクだったが、


「……って、ううん! な、何でもないよ!」


 と、急に慌ててはぐらかした。


「……?」


 俺は、そんなミクの反応に釈然としないものを感じながらも、


「……まあ、別にいいけどさ」


 と、さほど気にも留めずに流すのだった。

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