第百九十訓 キチンと親の許可をもらいましょう
「ま……マ……?」
ルリちゃんの答えを聞いた俺は、一瞬その意味が解らずキョトンとする。
――が、
『あたしのママ』
「……って、ま、ママっ? ま、マッ?」
「……どうしたのさ?」
その後すぐに彼女が何を言ったのか理解した瞬間、思わず裏返った声で叫んだ俺に、ルリちゃんはジト目を向けた。
「いきなり“ま”を連呼して……赤ちゃんかよ」
「い、いや……さ、最初の“ママ”は、お母さんの意味の“ママ”で、その次の“マ”は、“マジか”の“マ”で……」
呆れ顔のルリちゃんのツッコミにクソ真面目な解説を述べた俺だったが、すぐに我に返って目を剥く。
「……って、いや、そ、そんな事はどうでも良くって!」
首を激しく左右に振りながらそう叫んだ俺は、ルリちゃんが手にしているスマホを指さした。
「る、ルリちゃんッ? ひょ、ひょっとして……今からかけようとしてる相手って、き……君のお母さん?」
「……そうだよ? いま言ったじゃん。何か問題でもある?」
「い、いやっ! 大アリだって!」
キョトンとした顔で頷いたルリちゃんに、俺は顔を引き攣らせながら再びかぶりを振る。
「ま、マズいって! この事がお母さんに知られたら、俺絶対に通報されちゃうじゃんっ!」
「はぁ?」
俺の言葉を聞いたルリちゃんは、眉を顰めながら首を傾げた。
「ウチのママがソータを通報? 何でさ?」
「そ、そりゃ、『ウチの娘が誘拐されて、犯人の家に泊めさせられそうになってる』とか……」
「いや、あたしは誘拐なんてされてないって」
「だから……法律的には、君の認識とか関係無いんだって……」
不満げに頬を膨らませたルリちゃんに辟易しながら、俺は「それに……」と続ける。
「第一、自分の娘が知らない男の家に泊まるって聞いたら、どう考えても心配するし、『ひょっとして犯罪に巻き込まれたんじゃないか?』って心配するもんでしょ、普通は……」
「だからって、親に無断で家に泊めたりしたら法律違反なんでしょ? そうなったらソータが困るだろうって思って、ちゃんとママに電話でオッケーもらおうとしてんじゃん」
「い、いや、それは確かにそうだなんだけど……だからと言って、電話したからってオッケーしてもらえるとはとても……」
「大丈夫だって」
俺の懸念に、ルリちゃんは妙に自信ありげに言い切った。
「ウチのママは、ちゃんと話せば分かってくれるから」
そう言うと、彼女は意味ありげにウィンクし、「それに――」と続ける。
「ソータの事は、前から何度か話してるからね。だから、ママにとって、ソータはもう“知らない男”なんかじゃないもん」
「……は?」
しれっとルリちゃんが口にした聞き捨てならない言葉に、俺は呆けたようにポカンと口を開けた。
それから、慌てて身を乗り出しながら、スマホを耳に当てた彼女に訊き返す。
「ちょ、ちょちょ、ちょっとぉ? それってどういう――」
「――しっ! 今電話かけてるんだから、静かにしてて!」
「あ……え、ええっ! で、電話かけてるって、ちょ! ちょ待ってよ! ま、まだ話は…………アッハイ、スンマセン……」
ルリちゃんがさっさと電話をかけてしまった事に抗議の声を上げかけた俺だったが、唇の前に人差し指を立てた彼女に一睨みされるや、すごすごと引き下がった。
そして、今の彼女の発言が気になりつつも、さっき脳裏を過ぎった『えー、番組の途中ですが、ここで緊急速報です。本日未明――』から続くニュース速報の幻影が再び蘇るのを感じ、じきに訪れるであろう自分の社会的な御臨終を覚悟する……。
――そんな俺をよそに、ルリちゃんはスマホのコール音に耳を澄まし――訝しげに首を傾げた。
「……あれぇ、出ないなぁ? まだ寝てる時間じゃないと思うんだけど……」
どうやら……ルリちゃんのお母さんが、なかなか電話に出ないようだ。
「……」
俺は、電話が通じてほしいようなほしくないような……という二律背反な気持ちを抱きながら、固唾を呑んで動向を見守る事しかできない。
――と、その時、ルリちゃんがスマホに向かって口を開いた。
「――あ、ママ? あたしだけど。――うん、今大丈夫?」
どうやら、彼女のお母さんがようやく電話に出たようだ。
一気に緊張して顔が強張る俺をよそに、ルリちゃんはスマホに向かって話しかける。
「――ていうか、電話に出るのが遅かったけど、ひょっとしてもう寝てた? ……え? お風呂入ってた? そっか、ごめん。……は? 今上がったばっかりで、まだ全裸のまま? ……いや、そんな余計な情報要らないし」
「……」
風呂だ全裸だという色々反応に困る単語が飛び交う母娘の通話を聞かされながら、俺はいたたまれない気持ちになる。
そんな俺をよそに、ルリちゃんは電話口のお母さんに向かって言葉を継いだ。
「まあ……そんな事はどうでもいいんだけどさ。実はね……」
「……!」
ルリちゃんが本題を切り出すのを聞いて、傍らで聞き耳を立てている俺は緊張する。
「――夕方にLANEしたじゃん。友達と連絡がつかないから、生きてるか確認しに行くって。……そう、それ。……うん、ちゃんと生きてた。ピンピンしてて――人が心配してやってんのに、呑気に映画を観に行ってやがった」
そう電話口で言った彼女は、スマホを耳に当てたまま、俺の顔をジロリと睨みつけてきた。
……どうやら、まだ映画の件をしっかり根に持っているらしい。
「……うん、まあ、それは良かったんだけどさ……そのせいでうっかり終電を逃しちゃって……家に帰れなくなっちゃったんだ……ゴメン」
「……」
「それで……しょうがないから、今夜はここに泊めてもらおうと思って。そしたら、友達が『親の同意ガー!』とか言うからさ。だから、ママのオッケーをもらおうと思って電話したの。……うん、そう」
ルリちゃんは、電話先のお母さんから何か言われたらしく、コクコクと頷きながら、更に言葉を続ける。
「……え、ううん。女じゃなくて男。……え? あはは、大丈夫大丈夫。そんな心配いらないって」
……予想通り、お母さんは、ルリちゃんが男の家に泊まる事に難色を示しているようだ。まあ、当然の反応だろう。
……どうしよう。
通報からの逮捕コースが、ますます現実味を帯びてきた……。
俺は、目前に迫った身の破滅にガクブルする。
――だが、
「だって、その友達って、ソータだもん。……そう、あのホンゴーソータ。ママにも何度か話したでしょ? ……そうそう。でしょ~? だから大丈夫だよ。……うん、そゆ事」
……なんか、ルリちゃんが俺の名を出した途端、明らかに話の風向きが変わった。
それから、彼女は何度か電話口で言葉を交わし、それから顔を綻ばせながら親指と人差し指で輪を作って俺に示す。
どうやら、お母さんからのオッケーが出たようだ。……って、ホントに娘を男の家に泊めてオッケーなのか、お母さん?
――と、その時、
「……あ、うん。目の前にいるよー。……え、代わる? 分かったー」
そう言った彼女は、おもむろにスマホを耳から離し、俺に向かって差し出す。
「はい、ソータ。電話出て」
「……はい?」
「“はい?”じゃないが」
ルリちゃんは、突然スマホを突きつけられて呆気にとられている俺に呆れながら、涼しい顔で言った。
「ママが、ソータに直接挨拶したいってさ」




