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第百八十四訓 心配をかけた相手にはしっかりと謝りましょう

 ――と、


「……あ、そうだ」


 唐突にそう呟いたルリちゃんは、手に持っていたスマホに指を走らせた。

 そして、画面の下の方を指でタッチしたスマホを耳に当てる。


「……あ、もしもし!」


 十秒ほどしてから電話の相手が出たのか、ルリちゃんがいつもより一オクターブ上がった声でスピーカーに向かって話しかけた。


「すみません、もう寝ちゃってました……? あ、そうだったんですか。そうですよね……」


 そう、二言三言喋ったルリちゃんが、急に険しい目で俺の顔を睨み、それから低い声で電話の向こうの相手に「それでですね……」と切り出す。


「例のバカが帰ってきました。……はい、今、目の前で能天気な顔して立ってます、ハイ」

「……」


 “バカ”とか“能天気”と言われ放題になりながらも、俺は神妙な態度で耐え忍んだ。ルリちゃんの話しぶりで、彼女が今誰に電話しているのかを察したからだ。

 そんな俺に冷たい目で向けながら電話で話していたルリちゃんは、


「……あ、分かりました。今ソータに代わります」


 と告げると、耳元から離したスマホを俺に突きつけるように差し出した。


「ん」

「アッハイ……」


 顎でしゃくって『出ろ』とジェスチャーするルリちゃんからスマホを受け取った俺は、大きく息を吐いて、呼吸と気持ちを落ち着けようとした……まあ、徒労に終わったが。

 そして、恐る恐るスマホを耳に当て、重い口を開く。


「……も、もしも――」

『颯くんッ! 颯くんなのッ?』


 ……スマホのスピーカーから、予想した通りの人の声が聴こえてきた。

 俺は、予想していた以上に上ずっているその声を聞いた瞬間に、罪悪感で胸がずきりと痛むのを感じながら、消え入りそうな声で応える。


「あ……う、うん、そうだよ。その……なんか心配かけちゃったみたいで、ゴメ――」

『あー、良かったぁ~っ!』


 声の主――母さんは、電話口で本当にホッとした声色を上げた。


『昨日、花火大会から帰って来た後、そのままそっちに帰っちゃった時も様子がおかしかったし、家に着いた連絡も来なかったから気になってたんだけど……今日になっても相変わらず連絡くれないし、こっちから電話しても全然繋がらないから、ホントに心配したのよ!』

「ご、ゴメン……実は、スマホの電源が切れちゃってた事を忘れてて、家で充電したままバイトに行っちゃったから、そんなに心配させてるとは今の今まで気付いてなくて……」

『あぁ……そういう事だったのね……』


 俺の弁解を聞いた母さんが、電話の向こうでホッと息を吐いた気配がする。


『それで……もしかしたら、颯くんが……は、早まった事をしちゃったんじゃないか……とか考えて、も……ものすごく不安になっちゃって……』


 スピーカー越しでも、母さんの声が震えを帯びているのが分かった。

 それだけで、母さんが俺の事をどれだけ心配していたかが充分に察せられ、湧き上がる申し訳なさ由来の罪悪感が俺の心をズキズキと苛む。

 そんな俺の心をよそに、母さんは更に話を続けた。


『だ、だから……もう警察に届け出ようと思ったんだけど――』

「ちょ、ちょっ! け、警察だなんて大げさな……!」

『お父さんにもそう言われたんだけど、連絡が繋がらないんじゃ、やっぱり心配じゃない……。ましてや、前の日に、思いつめた顔をしてる颯くんを見てるしさ……』

「う……」


 俺は、母さんに返す言葉も無く、喉に何か詰まったような声を上げるしかない……。

 と、母さんは『でもね……』と声のトーンを変えた。


『ルリちゃんが「あたしが見に行ってくるんで」って言って止めてくれたのよ。「警察に届けを出すのは、それからにして下さい」――って』

「え……?」

『警察まで巻き込んじゃったら、騒ぎが大きくなって、後で颯くんが困っちゃうだろうって……そこまで考えてくれたのよ、ルリちゃん』

「ルリちゃんが……?」


 母さんの言葉を聞いた俺はビックリして、思わず真正面に立っているルリちゃんの顔を見返す。

 俺の視線に気付いた彼女は、「何さ?」と言いたげに眉を顰めた。

 そんな彼女の態度に辟易とする俺の耳に、母さんの言葉が響く。


『本当……ルリちゃんに感謝しなさいよ、颯くん。もうこんなに遅い時間なのに、あなたの無事を確かめる為に、そこでずっと待っててくれたんだからね』

「あ、ああ……うん。分かってるよ……」


 俺は、母さんの言葉に曖昧な返事を返した。

 ――と、母さんは、そこで急に声を潜める。


『まあ……昨日の今日だから、あんまりしつこくは言わないけどね……』

「へ……何? 何を?」


 妙に気になる母さんの言い方が気になった俺は、訝しげに訊ねた。

 ――そんな俺の問いかけに、母さんはほんの少し弾ませた声で囁く。


『――ルリちゃんなら、お父さんも私も大歓迎よ』

「……は? だから何が? 何が大歓迎だって?」

『それはもちろん――』


 妙に勿体ぶった口ぶりに焦れながら訊き返す俺に、母さんはウキウキとした声で答えた。


『――颯くんのお嫁さん、ルリちゃんなら大賛成よって事』

「は……はああああぁっ?」


 母さんが口にしたとんでもない発言に、俺は思わず唖然としながら声を裏返して叫ぶ。

 そして、怪訝な顔をしているルリちゃんに背を向けると、スマホを耳に押し付けながら、極限までボリュームを下げた声で母さんに反論する。


「な……何言ってんだよっ? る、ルリちゃんがお、およ……およムニャムニャって……べ、別に、俺はそんな風な感じでルリちゃんの事を見たりは……!」

『だったら、これからそういう風に見てみればいいじゃない?』


 母さんは、シレッとした声で返してきた。


『だって、ルリちゃん、いい子じゃん。とっても元気だし、可愛いし。それに、気が強くて行動力もあるみたいだから、万事につけて引っ込み思案なあなたにはちょうどいいと思うのよねぇ』

「いや……だからといって……」

『……まあ、ミクちゃんの事を吹っ切るにはまだ時間がかかるとは思うけど、ルリちゃんとの事を考えてみるのも良いと思うわよ。――ほら、良く言うじゃない。「失恋を癒す一番の薬は、新しい恋」って』

「……」


 俺は反論する気も失せて、ウンザリしながら母さんの言葉を聞き流す。

 いや……ルリちゃんは少し暴力的で、結構強引で、かなり気分屋ではあるけど、それでも母さんの言う通りのいい()だとは思うよ、俺もさ。

 でも……、


(この()には、もう好きな男がいるんだけどなぁ……。れっきとした彼女(ミク)がいる、藤岡ってヤツが……)

「……何? 人の顔を盗み見るみたいにチラ見して?」

「アッイエッ! な、何でも無いでありますッ!」


 俺は心を透かし見られたのかと狼狽しつつ、眉間に皺を寄せながら訝しげに尋ねてくるルリちゃんに向かって千切れんばかりに首を左右に振るのだった。

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