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第十八訓 待ち合わせ場所には早めに行きましょう

 それから日は流れ――現在、土曜日の朝、九時五十分前。


 今日は、ミクと水族館に出かける日だ。

 デート――ではなく、あくまで『幼馴染とのお出かけ』である……今のところは。

 でも、今日の立ち回り次第では、今日がふたりの初デートとなるかもしれない。

 正に今日が、俺とミクの未来を決定づける分水嶺となるかもしれない――。

 ……いや、絶対に分水嶺にしてやるんだ!


 俺はそんな風に意気込んでガチガチに緊張しながら、待ち合わせ場所である、駅の地下通路にある大きなフクロウの石像の前に立っていた。

 今日の俺は、五分袖の濃紺のTシャツに紺のスキニージーンズ、足元は黒スニーカーという出で立ちだった。

 当然、全部新品。

 スマホで『デート服 男 大学生』と画像検索しまくり、あらかじめ自分に似合いそうな格好を見繕った上で、学校帰りにオシャレでカジュアルなメンズショップなる魔境に足を運び、チャラついたイケメンの男性店員さんに画像イメージと同じようなものを一式お任せで揃えてもらったものだ。

 本当は“ワンポイント”だか何だかで、時計とかネックレスとかも甘い言葉で関連販売されそうになったのだが、ただでさえスマホ代で逼迫している我が財政状況の厳しさをありのまま説明した上で、丁重にお断りした。

 その時、男性店員さんの爽やかな笑顔が心なしか引き攣っていたように見えたが……まあ、気のせいだろう、うん。


 ――そんな訳で、顔はともかく、格好は『オサレなファッションをカジュアルに着こなすイケメン』()になった俺は、先ほどから目を皿のようにして通路を行き交う人々の群れを凝視していた。

 だが、待ち合わせをしている相手――ミクの姿はまだ見えない。

 ……まあ、当然だ。ミクと待ち合わせした時間は午前十時。

 まだだ、まだ慌てるような時間じゃない。


「……ふわあぁ」


 そう考えて少し気が緩んだせいか、俺は思わず大きなアクビをする。

 まあ、しょうがない。今日ミクと会える事が楽しみ過ぎて、昨日はほとんど眠れていなかったのだ。ベッドに入ってから、今日のミクとのデート……もとい、遊びの事を考えているうちに脳細胞がトップギアに入ってしまって、様々なシチュエーションを脳内シミュレーションでトライ&エラーしている内に、気付いたら夜が明けていた……そんな感じだ。

 それで忘れていた眠気が、今更になって押し寄せて……。


「ぐぅ……ハッ! い、イカンイカン!」


 危うく、立ったまま眠りに落ちそうになった俺は、慌てて首をブンブンと横に振って、靄のかかった脳味噌を無理やり覚醒させる。

 そして、ここに来る途中でコンビニに寄って買ってきたガムを口に放り込み、奥歯で嚙み潰した。

 爽やかなミントの香りがツンと鼻の奥に広がり、頭の中の靄が少し晴れた……様な気がする。


「……っと。そうだ、今のうちに……」


 少し目が覚めた俺は、そう呟くとキョロキョロと周囲を見回した。

 そして、向かいのテナントに入っている立ち食い蕎麦屋に近付くと、その外壁に嵌め込まれたガラス窓に自分の顔を映す。


「髪型とか……大丈夫だよな?」


 そう独り言ちながら、俺はガラスに映った自分の顔をまざまざと凝視した。


「ああ……家であんなに丹念にセットしたのに、もう髪が跳ね始めてるよ。本番(デート)前だっていうのに……」


 そんな事を呟きながら、俺は手櫛で髪の毛を撫でつける。


「あ~あ……これだから天パはイヤなんだよ。どんなに頑張ってもまとまりゃしねえ……。一回でいいから、サラッサラの真っ直ぐな髪の毛になりたいなぁ……」


 と、決して叶わぬ願望を垂れ流しつつ、何とか髪の毛を落ち着かせた俺は、今度はヒゲのチェックに移った。

 ガラスに向けて顔を突き出し、指の腹で顎を撫でながら、感触を確かめる。

 ……うん、朝一番にヒリヒリするくらい念入りに剃った甲斐があって、指に触れる顎の感触は、赤ちゃんのほっぺ並みにスベスベだった。

 まあ……元々、そんなにヒゲが濃い体質って訳でも無いしな。

 ……と、


「……あ、そうだ」


 俺は、もう一点気になる所を思い出し、顔をやや上向かせた。

 そして、鼻の下を伸ばして鼻の穴を広げる。

 念の為に、鼻毛のチェックもしておこうと思ったのだ。

 だが、さすがにガラスの反射だけでは、暗い鼻の穴の奥がどうなっているかは見えなかった。


「え~……と……」


 俺は、もっと良く見えるようにと、鼻の下を伸ばした状態のまま、さっきよりもガラスに近付き――ガラス越しに店内のお客さんと目が合った。


「……」

『……』


 北島〇郎のモノマネをするコ〇ッケのような顔をした俺と、カウンター席でソバを啜りながら何気無く顔を上げたサラリーマン風のお客さんの視線がガラス越しに交差し、俺たちはそのままの姿勢で凍りついたように固まる。


「……」

『……』

「…………」

『…………ぶふぅっ!』


 ガラス窓の向こうのサラリーマン氏は、半分ほど口の中に含んでいたそばを盛大に吹き出し、口元と腹を押さえて悶絶していた。


 ――にらめっこ勝負に、俺は勝った!


 ……って、何の勝負やねんっ!


「す……すんませんでしたッ!」


 俺は慌てて、ガラス窓の向こうでソバまみれになりながら爆笑しているサラリーマン氏に深々と頭を下げると、くるりと回れ右し、そのまま脱兎の勢いでその場を立ち去る。

 そして、フクロウの石像の前に戻ると、立ち食い蕎麦屋から見えない位置に隠れ、恐る恐る首だけ出し、蕎麦屋の方向を窺った。

 ……幸い、さっきのサラリーマンが怒り狂って出てくるような事は無いようだった。


「……ふぅ」


 俺は安堵の息を吐きながら前髪に手をやり――舌打ちした。

 さっき急ぎ足で歩いたせいで、せっかくまとまった髪が、また乱れてしまったようだ。

 ミクが来る前に、もう一度髪型のチェックをしたいところだが、再びガラス窓に顔を映すのは、さっきと同じ轍を踏みそうなので避けたいところだ。

 ――じゃあ、どうしよう? と思案に暮れる俺だったが、


「……あ、そうだ」


 唐突に閃き、ポケットの中にしまっていたスマホを取り出し、カメラを起動した。


「確か……ここをこうして……」


 まだ慣れないスマホに戸惑いながら、画面に表示されたアイコンのひとつをタッチする。

 すると、スマホの液晶画面いっぱいに、見慣れきった冴えない男の顔がデカデカと映った。

 ――言うまでもなく、俺の顔である。


「おお……はじめて使った……インカメラ機能……」


 俺は妙な感動を覚えながら、スマホを傾け、自分の髪を画面に映した。

 そう。本来は自撮り撮影で使用するインカメラを手鏡替わりに使おうとしたのだ。


(……つうか、ガラス窓なんて使わずに、最初からこれにすりゃ良かった……)


 俺は、思いつくのが遅かった事を秘かに後悔しつつ、液晶画面に目を凝らし、跳ねた髪の毛をいじって撫でつける作業に没頭する――その最中(さなか)


「……ん?」


 俺は、画面の片隅で何かがチラチラと動いている事に気付いた。

 それは、俺の顔の左後ろで左右に揺れている。


「んん……?」


 思わず声を上げた俺は、液晶画面に目を凝らした。

 俺の後ろ数メートルくらいの距離で、誰かが俺に向かって手を振っている……?

 俺は、手を振っているのが誰か確かめようとして、画面をズームしようとするが、やり方が良く分からない。

 思うように動かないスマホに業を煮やした俺は、後ろを振り返った。

 ――と、その時、


「おはよう、そうちゃん!」

「――っ!」


 聞き慣れた――そして、聞くのを心待ちにしていた声が俺の耳を打ち、待ちわびていた姿が俺の目に飛び込んできたのだった。


「ごめんね、ちょっと遅れちゃった。待った?」

「――っ! み……ミク……!」

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