第百七十七訓 大事な事を伝える時は落ち着きましょう
「え……?」
俺の言葉を聞いたミクは、怪訝そうに首を傾げた。
「あの時の、やり直し……?」
「え、えーと! つ、つまり……」
ミクの問いかけに、俺は目を激しく泳がせながら言葉を探す。
「あ……あの時、正直言ってちょっとしくじった感があってさ……」
……まあ、本当のところは、“ちょっと”どころじゃないしくじりなのだが。
全然告白するつもりなんて無かったのに、知らない間に酔いに任せてすべてをぶちまけちゃってたという……まるでオウンゴールみたいな顛末だ。
……さすがに、それを包み隠さずミクに告げるのは憚られる。
「ほ、本当はもっとビシッと告げたかったのに……ってさ。だから、あの時のアレは白紙に戻して、ゼロからの状態で仕切り直ししたいんだ……な、なので、ご協力いただけると幸いです……ハイ」
「あ……」
頭を下げながらの俺の言葉に、ミクも改まった様子でペコリと頷いた。
「そ……そういう事だったら……。分かりました……ハイ」
「ど、どうも……」
聞きようによってはメチャクチャな事にもかかわらず、素直に応じてくれたミクにお礼の言葉を述べながら、俺は背筋を伸ばす。
そして、気持ちを落ち着かせようと、大きく息を吸った。
「すー……はー……すー……はー……すー……はー……すー……はー……」
「……」
「す――……は――……す――……は――……す――……は――……」
……いかん、ずっと深呼吸するばっかりで、それ以上の言葉が出ない――というか、言葉を発する勇気が出ない……。
しかも、深呼吸して気持ちを落ち着かせるどころか、繰り返せば繰り返すほど緊張感が増す一方で全くの逆効果なんですがこれは……。
「ひっひっふー……ひっひっふー……ひっひっふー……」
……ダメだ。深呼吸のやり方をちょっと変えてみたけど、全然変わらない。――ていうか、この呼吸法、なんか違う用途な気が……。
と、その時、
(落ち着くんだ……『素数』を数えて落ち着くんだ……!)
という、アニメで良く聞くだんでぃぼいすが、唐突に俺の脳内に響き渡った。い、一体……何神父なんだ……?
(『素数』は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字……。俺に勇気を与えてくれる……かは、良く分からないけど……)
俺は、半信半疑ながらも、脳内の〇ッチ神父の教えに従い、ゆっくりと素数を数え始める。
(2……3…………って、あれ? ……そういえば、そもそも“1”って素数じゃないんだっけ? ど、どうなんだっけ……?)
……素数を数えて気を落ち着かせようとする俺の目論見は、僅か二個を数えた段階で早々に躓いた。
“1”が素数かそうじゃないか……そんな初歩的なところで引っかかって、落ち着くどころの騒ぎじゃない……。
と、その時、
「……そうちゃん? ど、どうしたの、難しい顔をして?」
「あっひゃっ?」
心配そうな顔をしたミクに尋ねられ、すっかり深遠なる数学的疑問に囚われていた俺は、ビックリして変な所から声を出した。
「い、いいいいいやいや、ゴメン! ちょ、ちょっと緊張しちゃって……」
俺はそう言って、ひとつ大きな咳払いをする。
そして、大きく息を吐き出しながら、空を仰いだ。
良く晴れ渡った夏の夜空には、一面に星が……いや、言うほど良く見えないな。
まあ……ここも一応東京の端くれだから、田舎の夜空のように星が見えないのは当然か。
と――夜空のあちこちにポツポツ輝いている星々を見上げているうちに、何だか気持ちがスッと落ち着いた。
それと同時に、一時間くらい前に見上げた光景が思い浮かぶ。
色んな色をした、色んな形をした大小様々な花火たちが打ち上がる夏の夜空。
そんな夜空を隣で見上げていた、ミクの楽しそうな横顔――。
――綺麗だったな。
「……ミク」
俺は、空を仰いだまま、ポツリとミクの事を呼んだ。
「……はい」
ミクの返事が、俺の耳に届く。……何かを察したような、少し緊張した声色だ。
それを聞いた俺は、大きく息を吸うと、努めて感情を抑えながら口を開く。
「俺たちって、物心ついた時からずっと傍に居たよな……」
「うん……」
「良く、親とか近所の人たちに『まるで仲のいい兄妹みたい』って言われてたよな」
「うん……時々、友達にからかわれたりもしたよね」
俺の言葉に、ミクはクスクスと笑いながら答えた。
「……それを気にしたそうちゃんが、私の事を無視してた事もあったよね」
「う……そ、そんな事したっけか……?」
ミクの言葉にしらばっくれた俺だったが、それは身に覚えのある事だった。
確か……小学五年の頃だったかな? 下校時とかに、クラスのマセガキどもに囃されたんだ。それがものすごく恥ずかしくて、一時期ミクを避けまくってた事があった。
……でも、あの時からだった。
ミクの事を、“友達”ではなく“好きな女の子”として認識したのは。
それから八年以上、俺はミクへの想いを胸に抱きつつ、口にもおくびにも出さずに過ごしてきた。
ずっと、『そのうちいつか、想いを告げて、恋人になろう』と思いつつ……。
そして……なかなか告白する勇気を持てないまま月日が過ぎるうちに、いつしか、『わざわざ告白なんかしなくても、いつでも恋人になれるだろう』と楽観視するようになり、余裕ぶっこいてたら――急に出て来たぽっと出の男にまんまと掻っ攫われたって訳だ。
まったく……無様で喜劇的な話だ。
――でも、このままおとなしく引き下がるなんて出来ない。
結果がどうなろうとも、俺は自分の胸の中にしまってある気持ちを、酒に酔った勢いなんかじゃないちゃんとした形でミクに伝えないと、いつまで経っても先に進めない!
(自分で前に踏み出さないと、いつまで経っても前には進めねえんだよ! 勇気を出せ! 当たって砕けて、自分の気持ちにケリをつけろ、本郷颯大!)
……そう自分の事を鼓舞した俺は、手に持っていたいちごおしるこの缶を口に押し付け、グビリと飲み込んだ。
甘ったるい小豆と甘酸っぱいイチゴの味が、俺の舌を刺激し、喉を湿らせる。
缶の縁から唇を離し、ほうと溜息を吐いた俺は、夜空に向けた視線を伏せた。
そして、ブランコに座ったまま、少し緊張した面持ちで俺の顔を見上げるミクの顔を真っ直ぐに見つめ、緊張で縺れる舌を懸命に動かす。
「ミク……」
「……はい」
俺の呼びかけに、コクンと頷くミク。
そんな彼女に強張った微笑みを向けながら、俺は声を僅かに震わせながら言葉を継いだ。
「この前も言ったかもしれないけど、改めてちゃんと言うね」
「……うん」
「今更だけど――」
そこまで言いかけたところで、舌が凍りついたように固まる。
だが、俺はギュッと奥歯を噛みしめると、これまで生きてきた中でも最大限の勇気と根性を振り絞り、自分の気持ちをハッキリとミクに告げた。
「お……俺は、ミクの事が、ずっと……ずっと前から……今でも――好きなんだよ」




