第百七十訓 役割は分担しましょう
大平花火大会の会場である河川敷は、まだ開幕の一時間前であるにもかかわらず、たくさんの観客でごった返していた。
普段は草野球のグラウンドとして使われている河川敷の広い空き地には、焼きそばやチョコバナナやお面を売る屋台が軒を連ねており、その前には早くも長い列が出来ている。
昼間にはあれだけぎらついた太陽は西へと傾いていたが、まだ沈むには時間があり、強烈な西日によって、河川敷はただでさえうだるような蒸し暑さな上に、詰めかけたたくさんの人々の体温が、温度の上昇に更なる拍車をかけていた。
「まったく……人がゴミのようだ」
足の踏み場も無い会場の真ん中で、あまりの人出に辟易しながら、俺は思わずぼやく。
すると、
「ダメだよ、そうちゃん。人の事をゴミだなんて言っちゃ」
と、俺の傍らを歩いていたミクが、声を潜めて窘めてきた。
そんな彼女に、俺は慌てて首を左右に振る。
「あ、いや……今のは、俺の本心じゃなくって……某大佐の名台詞をパク……いや、リスペクトしただけで……」
「あ……!」
俺の言い訳を聞いたミクは、ハッとした表情を浮かべた。
「そう言われれば……確かに観た事あるかも! アレだよね? ラピ〇タの……ミスタ大佐!」
「うーん……ちょ、ちょっと違うかな……」
ミクの言葉を聞いて、六人の小人のスタンドが宿ったリボルバー式拳銃を構えながら、「三分間待ってやる! 四分は不吉な数字だから待たねぇけどなぁ!」と叫ぶム〇カ大佐のイメージ映像が頭を過ぎってしまった俺は、吹き出しそうになるのを懸命に堪える。
と、その時、
「――あ、そうちゃん、あったよ! りんご飴!」
と、ミクが弾んだ声を上げながら、屋台の並びの一角を指さした。
彼女の指の先には、確かに大きく『りんご飴』と書かれた看板を掲げたテントが、イカ焼きとわたあめの屋台に挟まれて建っている。
ミクは、昔からりんご飴が大好きで、こういうイベント会場に来た時には、必ず真っ先にりんご飴の屋台に直行するのがルーチンワークになっていた。どうやら、すっかり成長した今でも、それは変わらないらしい。
……だが、ミクが見つけたりんご飴の屋台の前には、既に多くの観客らが長蛇の列をなして並んでいた。
「うわぁ……」
それを見た俺は、思わずウンザリ声を上げる。
「この列に並ぶのかぁ……。買えるまでに何分かかるんだ、コレ……?」
「しょうがないよ。だって、りんご飴は美味しいもの。みんな食べたいんだよ」
渋い顔の俺とは対照的に、ミクは無邪気な笑顔を浮かべながら、迷いなく列の最後尾に並んだ。
そして、俺に向かってちょいちょいと手招きする。
「ほら、そうちゃんも並ぼ! いっしょにりんご飴食べようよ!」
「い、いやぁ……」
ミクに誘われた俺は、その可愛らしい笑みに激しく心を躍らせながらも、後ろ髪を引かれる思いでかぶりを振った。
「俺は遠慮しとくよ。その代わり、お前がここで並んでる間に、他の食い物を買ってくるよ。お前の分もな」
「あぁ……」
俺の言葉を聞いたミクは、納得した様子で顔を輝かせる。
「確かに、ふたりで同じところに並ぶより、その方が効率的だよね。じゃあ、お願いしても良い?」
「ああ、もちろん」
俺は、ミクの問いかけに即座に頷くと、周囲に展開する様々な屋台を見回しながら訊ねた。
「……なんか、リクエストとかある?」
「えっと、じゃあね……」
俺の問いかけに、ミクは顎に手を当てて考え込む。
「じゃあ、焼きそばとタコ焼きでお願いします! あと、チョコバナナも!」
「いや、りんご飴買うのに、その上チョコバナナまで買うのはどうなんすかね?」
「むぅ……」
欲望に忠実なリクエストに思わず入れた俺のツッコミに、ミクは不満げに唸るが、しぶしぶといった様子で頷いた。
「確かにそうかもね……。じゃあ、チョコバナナは、りんご飴を食べ終わったら買うって事で……」
「結局買うんだ……」
「何か異論でも?」
「アッイエ! 何でもないであります!」
ミクにジロリと睨まれた俺は、慌てて首を大きく左右に振りながら踵を返す。
「じゃ、じゃあ、行ってくるから!」
「あ、うん。お願いしまーす!」
誤魔化すようにその場を離れる俺に、ミクは笑顔で手を振ってくれた。
半身になって手を振り返しながら、俺は行き交う人の流れの中に混ざる。
――そして、ミクから充分に距離を取ってから、
「……はあっ! はぁっ……はぁっ……!」
荒い息を吐いて、早鐘のように鳴っている左胸を押さえた。
「はぁ……心臓と胃に悪い……」
俺は今まで、ミクの前で緊張と動揺を押し殺して、必死に平静を装っていたのだ。
ミクと一緒に俺の家を出て、バス停で市営バスを待ち、ギュウギュウ詰めのバスに揺られ、降りた後に徒歩で会場に向かうまで、ずっと。
何せ、想いを寄せている相手とずっとふたりきりの上、いつ誕生日会での告白の事を切り出されるか分からない状況だったのだ。緊張しないはずが無い。
まあ、幸い (?)にして、今のところは、アノ話はミクの口から出てはいないが、これから触れられる事は間違いない。
そして、それに対するミクの返事は、十中八九……。
「うぅ……痛たたた……」
その事を考えた瞬間、さっきから感じている胃と心臓の痛みが一層ひどくなった……気がした。
――とはいえ、
「十中八九という事は、逆に言えば、十中二一は……」
俺の脳裏に、さっき母さんが言った言葉が蘇る。
『――彼氏がいる女の子が、何も意識してない男の子とふたりきりで花火大会に行こうとしたりしないんじゃないかしら?』
もし、そうだとしたら、もしかしたら――。
そう考えた俺の心臓が、さっきとは違う意味で高鳴った。
「――よし!」
何度も大きく息を吐いて、ようやく左胸の鼓動を落ち着かせた俺は、自らを鼓舞するように小さく気合いの声を上げ、
「……ええと、一番美味そうなタコ焼きの屋台は……と」
ミクからの注文を完遂すべく、鋭い目で居並ぶ出店の品揃えを物色するのだった……。




