第百五十五訓 相手に悪いと思ったら素直に謝りましょう
「じゃ……ありがとうございました、ミクさん。急に連絡しちゃって、スミマセンでした」
『ううん、全然気にしないで! また何かあったら、いつでも連絡してね!』
「はい……じゃあ、また――」
最後にそう言って、立花さんはスマホの液晶画面に表示されている赤い切話ボタンを押す。
「……」
無言で通話を切った自分のスマホをポケットにしまった立花さんは、俺の方に身体を向けると、いきなりぺこりと頭を下げてきた。
「……ソータ、ゴメン」
「へっ……?」
唐突な立花さんの謝罪に、俺は戸惑いの声を上げる。
「ど、どうしたの? 何で立花さんが謝るの……?」
「そ、それはもちろん……」
思わず訊き返した俺に、立花さんはしゅんとした顔でおずおずと答えた。
「あ……あたしがミクさんに連絡なんかしちゃったから、その……」
「ああ……その事か……」
躊躇う立花さんの様子を見て、彼女が何に対して謝ろうとしているのか察した俺は、力無く笑いながら、静かにかぶりを振ってみせる。
「大丈夫だよ、立花さん。別に、君が責任を感じたり気に病んだりする事じゃないよ」
「でも……」
「……むしろ、これで良かったのかもね」
俺はローテーブルに肘をつきながら、しみじみと言った。
「後で、面と向かったミクに直接断られるより、今の時点であいつの気持ちをきちんと知る事が出来てさ。これで、事前にフラれる覚悟を固める事が出来る。……覚悟完了できるまでには、もうちょい時間が必要だと思うけどね」
「ソータ……」
「あ……っていうか――」
俺はそう呟くと、さっきの立花さんと同じように、深々と頭を下げる。
「――謝るのは、俺の方だ。ゴメン、立花さん」
「……え、えっ? な、なんで? なんでソータの方が謝るの?」
「いや、だって――」
俺は、目をまん丸にして戸惑う立花さんに苦笑を向けた。
「これで、俺がミクを藤岡さんから奪い取るルートは完全に望みが消えちゃった訳で……。そうなると、君が藤岡さんと付き合う為には、君自身が頑張らなくちゃいけなくなっちゃった訳で……ちょっと責任を感じるというか」
「あ……そっか……」
俺の言葉を聞いた立花さんが、ハッとした様子で目を見開く。
……だが、彼女はすぐに小さく首を左右に振った。
「……それは、別にいいよ。あたしは元々、自分だけの力でホダカの事を振り向かせようとしてたんだもん」
そう言うと、立花さんははにかむような笑いを浮かべる。
「そうしようと思ってたら、あのデパートでソータと鉢合わせして……アンタも同じ目的だって知ったから、『だったら、ソータの方からも攻めてもらえば、ホダカを取り戻せる可能性が上がるじゃん』って考えて、協力してもらう事にしただけだよ。……だから、ソータが責任を感じたりする事なんて無いんだよ」
「そ、そうか……な?」
立花さんの言葉に、俺は安堵と……少しだけ寂しさを感じて、複雑な気持ちを抱いた。
と、
「――あ、でも!」
そう声を上げた立花さんは、俺に真剣な目を向けて、有無を言わさぬ口調で言葉を継ぐ。
「これからも、ソータには、あたしの作戦の協力をしてもらうからね! 『もう自分には関係ないから協力しない』なんて、絶対に言わさないから!」
「あ、う、うん……もちろん、分かってるよ」
俺は、妙に必死な立花さんの態度に戸惑いつつ、おずおずと頷いた。
「ここまで関わったら、もう『乗りかかった舟』ってヤツだからさ。出来る限りの協力はさせてもらうよ。……って言っても、一応はミクの幼馴染ってヤツでもあるから、そこまであからさまな応援は出来ないけど」
そこまで言った時、キッチンの方からタイミング良く“ピーッ、ピーッ、ピーッ!”という電子音が聞こえてきた。さっき炊飯器にセットしたご飯が炊きあがったらしい。
その音を耳にした俺は、微笑みを浮かべながら、キッチンの方を指さしてみせた。
「――例えば、君が特訓した料理の毒見役を務める、とかね……痛っ!」
「何が毒見役だ! あたしの作る料理は毒物かっつーの!」
俺の額に垂直チョップを炸裂させた立花さんは、頬をぷうと膨らませながら憤慨する。
だが、すぐに彼女は「……でも、まあ」と呟くと、フッと表情を和らげた。
「それだけでも、あたしに力を貸してくれるんなら、全然嬉しいよ。――ありがとね、ソータ」
「あ……う、うん、どういたしまして……」
俺は、立花さんの言葉に何故かドキリとしながら、ぎこちなく頷く。
「……」
「……」
ふと、俺と立花さんの間に、奇妙な沈黙の間が出来た。
な……なんか、き、気まずい……いや、というよりは……
「あ……て、ていうか!」
少し上ずった声で、沈黙を先に破ったのは、立花さんの方だった。
彼女は、そそくさと立ち上がりながら俺に言う。
「も、もうご飯炊けたんだよね! じゃあ早速、今教えてもらったレシピを使って、美味しいおいなりさんを作るよ!」
「あ、ああ、そうだね」
立花さんの声にぎこちなく頷きながら、俺も立ち上がった。
「せっかくだから、俺も手伝おっか。ふたりで作った方が、早く出来るっしょ。俺、実は結構腹ペコペコで……」
「……そ、そっか」
立花さんは、俺の提案に一瞬躊躇した様子だったが、すぐに小さく頷く。
「ま、まあ、本当は、復習兼ねてひとりで作りたいところだけど……ソータがお腹空いてるんなら、早く作った方がいいよね。――じゃあ、手伝ってくれる?」
「了解っす」
俺は、立花さんが首を縦に振ったのを見ると、おどけた仕草で敬礼してみせ、彼女に続いてキッチンへ向かった。
一足先にキッチンに立った立花さんが、炊飯器の蓋を開ける。
……と、
「あちち…………って、えッ?」
むわっと沸き上がる湯気を熱がる立花さんの声が、驚きの小さな叫びに変わった。
それが気になった俺は、彼女に声をかける。
「どうした……? 何かあった?」
「……う」
俺の問いかけに、立花さんは呻くような声を漏らした。
そして、ゆっくりと俺の方に振り返る。
……しょげ返った顔をしながら。
「……ほんとゴメン、ソータ」
「えと……今度は何ですか?」
その表情を見て、何か失敗したんだろうなと薄々察しながら、俺は彼女に問いかける。
すると、彼女はおずおずと蓋の空いた炊飯器を指さした。
「あ、あの……多分、間違えちゃった……みたい。お、お水の量……」
「あぁ……」
炊飯器の中を覗き込んだ俺は、すぐに立花さんの言葉の意味を理解する。
――炊飯器の中には、見事なお粥が出来ていた……。




