第百五十訓 人が電話している時は静かにしましょう
「あ、もしもし、ミクさんですか~?」
スマホを耳に当てた立花さんが、いつもよりも少し高めの声を上げた。
「急に電話しちゃってゴメンなさい。今、大丈夫ですか?」
『うん、大丈夫だよ。どうかしたの?』
「……!」
スマホから漏れ聞こえてきたミクの声に、俺の左胸の鼓動は一気に高まる。
そんな俺の顔を横目で一瞥しながら、立花さんはミクの質問に答えた。
「あの……この前の日曜日に、ミクさんのお家でおいなりさんを作ったじゃないですか?」
『……え、ええ』
立花さんの言葉に、ミクの声が一拍ほど遅れて返ってきた。
『……それが、どうしたの?』
「実は……復習も兼ねて、今度は自分ひとりであのおいなりさんを作ってみようと思ったんですけど……」
そこまで言った立花さんは、少し躊躇うように言葉を探す。
「あの……言いづらいんですけど、あの時に習ったおいなりさんの作り方とか材料とかをド忘れしちゃったみたいで……も、もう一度教えてほしいなぁって……」
『あ、やっぱり?』
スピーカー越しにも、ミクの声に苦笑が混じったのが分かった。
『結構、分量とか細かいからね。だから言ったでしょ? いきなり全部暗記しようとするのは無茶だって』
「う……」
ミクの声に、立花さんは気まずげに顔を顰める。
そんな彼女の反応が面白くて、思わず吹き出しかけた俺だったが、立花さんに怖い目でギロリと睨み据えられるや、慌てて緩みかけた口元を掌で覆い隠した。
そんな俺に思い切り舌を出してみせた立花さんは、再びスマホの方に意識を向けると、ぺこりと頭を下げる。
「ご、ゴメンなさい……ミクさんの言った通りでした……。あたしが悪いです……」
『あ、こ、こっちこそゴメンなさい! 別に、ルミちゃんの事を責めてる訳じゃないの』
スマホの向こうのミクは、立花さんの素直な謝罪の言葉に面食らった様子で、慌ててフォローする。
『じゃ……どうしよっか? 一回通話を切って、LANEのメッセージに書こっか? それとも、このまま口で伝える?』
「あ……じゃあ、このまま口頭で教えて下さい」
『うん、分かったよー。……今メモできる?』
「あ、ハイ! ……て、あ、ちょ、ちょっと待ってて下さい!」
立花さんは、そこで一旦スマホから耳を離すと、俺の方を見た。
そして、何かを摘まむようなジェスチャーをしながら、抑えた声で言う。
「ソータ! コレ貸して!」
「ふぇ? ……あ、ら、ラジャっ!」
立花さんのジェスチャーの示す意味が読み取れずにキョトンとした俺だったが、すぐに『コレ=書くもの』だと理解し、慌ててリビングを見回したが、こういう日常道具は必要な時ほど見つからないもののようで、見渡した限り、書くもの――ペンと紙は見当たらなかった。
(何してんのよ! 早く!)
キッチンでは、焦れた顔で立花さんが指をクイクイと動かしているが、無い袖は振れない。
やむなく俺は、両腕をクロスさせてバッテンを作った。
と、立花さんがリビングの壁を指さす。
「そのカバン、大学で使ってるヤツじゃないの? ノートとシャーペンくらい入ってないの?」
「……あ!」
立花さんの押し殺した険しい声を聞いた俺は、ハッとして、慌ててカバンの中に手を突っ込んだ。
――彼女の言う通り、カバンの中には、いつも大学で使っている筆箱とルーズリーフが入れっぱなしになっていた。
「ど、どうぞ!」
「遅い! ……でも、ありがと!」
手短に叱責と感謝の言葉を口にしながら、立花さんは俺の手から筆箱とルーズリーフを受け取る。
そして、空白のページを開いたルーズリーフをリビングのローテーブルに置き、筆箱から取り出したシャーペンの尻をカチカチと押して芯を出しながら、急いで電話に出た。
「あ、ミクさん、準備できました! 待たせちゃってゴメンなさい!」
『あ、ううん。大丈夫だよー』
立花さんの謝罪に応えて、屈託の無い声が返ってくる。
……だが、少し間をおいて続いたミクの声には、怪訝そうな響きが混ざっていた。
『ところでミクちゃん……今どこに居るの?』
「え……?」
「……ッ!」
ミクの質問に、訊かれた立花さんはもちろん、スマホから漏れたその声を聞いた俺も凍りつく。
俺たちは、無言で青ざめた顔を見合わせ、それから立花さんが上ずった声で答えた。
「ど、どこって……も、もちろん、自分の家……デスヨ? な、なんでそんな事を訊くんですか……?」
『いや、だって……』
訊き返した立花さんに対し、ミクの少し躊躇いがちの声が聞こえてくる。
『今、なんか男の人みたいな声が聞こえたから、誰なのかなぁって思って……』
「……!」
ミクの言葉を聞いた立花さんが、キッと俺の事を睨んできた。
その殺気の籠もった視線を受け、俺は身を縮こまらせる。
ヤバ……どうやら、さっき立花さんに筆記用具を渡した時につい口から出ちゃった声が、スピーカーを通してミクにも聞こえちゃったらしい……。
目の前で両手を合わせてペコペコと頭を下げる俺に眉根を顰めた立花さんは、小さく溜息を吐くと、スピーカーに向けて口を開いた。
「あぁ……今のは、その……う、ウチのパ……パパ……です、ハイ」
『パパ……お父さん?』
立花さんの苦し紛れの嘘を聞いたミクは、ビックリしたような声で訊き返した後――弾んだ声を上げる。
『あぁ、そっか! お父さんなんだねぇ』
「そ、そうなんです……」
口から出まかせの言葉をあっさりと信じたミクの声に、立花さんがありありと罪悪感に苛まれた表情を浮かべながら、コクコクと頷いた。
そして、少し首を傾げながらおずおずと尋ねる。
「あ、あの……それがどうかしたんですか?」
『あ、うん……』
立花さんに尋ね返されたミクは、少し言い淀んでから、ぽつぽつと答えた。
『実はね……さっきの声が、なんだかそうちゃ……颯大くんの声に聞こえたんだよね……』
「「――ッ!」」
ミクの言葉に、俺 (と、多分立花さんも)の心臓が、胸を突き破らんばかりに跳ね上がったのだった……。




