第十五訓 女性にプライベートな事を訊くのはやめましょう
ごくごく一般的な貧乏大学生である俺は、当然の事ながらアルバイトをしている。
もちろん、家賃を含めた基本的な生活費は親に援助してもらってはいるものの、それだけでは“健康で文化的な最低限度の生活”を送るには足りないからだ。
大学だと、資料代や教材費なんかも馬鹿にならないしな……。
まあ……一般的な学生なら、それ以外にも『サークル費』などの交友費がかかるのだろうが、サークルに所属しておらず、学内での交友関係もほぼ無い俺は、“交際費”を計上する必要は無いので、その分稼がなきゃならない金が少なくて済むのは良かったと思う、ウン。……さ、寂しくなんかないもんねッ!
――そんな訳で、俺は大学の最寄り駅の近くにある家電量販店『ビックリカメラ』で、週四日バイトをしていた。
大学に入ってからすぐ働き始めたから、かれこれもう一年以上になる。
時給千円と、他のバイトよりも高給で、講義が終わってからすぐに出勤できるので、時間的な効率も良い。――と言っても、あんまり調子こいてシフトを入れまくると親の扶養が外れてしまう様なので、ある程度以上は稼がないようセーブしなきゃいけないんだけど……。
そして今日も、俺は大学が終わってからバイト先に出勤し、いつも通りに仕事をこなした俺は、軽い疲労感を感じながら、コーナー責任者の四十万さんに声をかける。
「四十万さん、品出し終わったっす」
「あ、ごくろーさん。ホンゴーちゃん」
コーナーのレジを操作して締め業務をしていた四十万さんは、顔を上げると気安い声で答えた。
四十万香苗さんは、ビックリカメラの女性社員で、俺が勤めるOAコーナーの責任者をしている人だ。
肩くらいまで伸ばした黒髪を後ろでまとめ、ちょっと化粧は濃いものの、美人と呼んでも差し支えない顔立ちだと思う――外見だけなら。
年齢は、恐らく二十代後半くらいだと思うが、頑なに教えてくれないから、正確には分からない。
……一度だけ訊いた事があるが、まるでパワハラ会議をする鬼の首領様みたいな目で睨まれたので、それからは話題にするのを避けている。『いのちをだいじに』って言うからね、しょうがないね。
「……なんか、人の顔を見ながら、すごく失礼な事を考えてない?」
「アッイエ」
四十万さんに険しい視線を向けられた俺は、慌てて目を逸らした。
この人は、普段はてんで大雑把でガサツな性格なのに、時々やたらと勘が鋭くなる……。
「あ……ほ、他に何かありますか?」
「え? あ、うーん……」
マズい流れを逸らそうと、俺が咄嗟に口にした言葉に、四十万さんはハッとした表情を浮かべ、売り場の方に目を遣る。
そして、小さく首を横に振った。
「いや……取り敢えずは大丈夫そう。上がっていいよー」
「あ、かしこまりましたー」
俺は、四十万さんの言葉に軽く頭を下げる。
そして、「お先に失礼しまーす」と言いかけたが、四十万さんに伝え忘れていた事を思い出した。
「……あ、そうだ。四十万さん、一点相談していいっすか?」
「んー、なに?」
俺の言葉に、四十万さんは訝しげに首を傾げ、それからかぶりを振る。
「あ、賃上げの交渉とかは、私じゃ無理だよ。檀ちゃんの方に言ってー」
「あ、いや、そうじゃなくって……まあ、近いっちゃ近いんですけど……」
俺は、顔の前で手を左右に振りながら言葉を続けた。
「賃金じゃなくて……もうちょっと勤務日数を増やしたいんですけど、大丈夫ですか?」
「あ、そっちか……」
俺の言葉を聞いた四十万さんは、表情を和らげると、今度は大きく頷いた。
「それだったら、こっちは全然大丈夫。――っていうか、むしろお願いしたいくらい。ホンゴーちゃんが今よりもたくさんシフトに入ってくれれば、私たちも大分助かるし」
「あ、そうですか。それなら良かった……」
「まあ、私の一存じゃ決められないのは同じだけどね。分かった。その事は、私から檀ちゃんと店長に話しておくよ」
「お願いします」
ニッコリ笑った四十万さんに、俺はぺこりと頭を下げる。
と、
「っていうか、どうしたの、急に?」
「あ、いやぁ……」
不思議そうな顔で尋ねてくる四十万さんに、俺は苦笑しながら答えた。
「ちょっと、予定外の出費が発生しちゃいまして……」
「ひょっとして、彼女でも出来たっ?」
「何でそうなるんすか……」
俺の答えを聞いた瞬間、目をギラギラと輝かせながら詰め寄ってくる四十万さんに辟易しながら、俺は首をブンブンと横に振りながら声を荒げる。
「違いますよ! スマホがぶっ壊れて買い替えたんで、金が必要なんです!」
「何だ、つまらん」
「露骨ぅ!」
あからさまにガッカリした態度を取る四十万さんに、俺は思わずツッコんだ。
それに対し、四十万さんは頬を膨らませながら言う。
「だって、ホンゴーちゃんに彼女が出来たら面白いじゃん。すぐに館内放送で全館に報告するレベルだよー」
「面白がるな! つか、そんな事で館内放送を使っちゃダメでしょうがッ!」
俺は、目を剥いて声を荒げる。
そして、口をへの字にすると、ぼそりと口の中で呟いた。
「……っていうか、人の色恋の心配より、自分の心配をし――」
「何か言ったかな、本郷颯大くんっ?」
「アッイエッ! 何も言ってないでありますッ!」
四十万さんに、般若も萌えキャラに見えるくらいの凄絶な顔で睨みつけられた俺は、背骨にドライアイスを押し付けられたようにピンと背筋を伸ばすと、どんなクレーマーに対してもやらないくらいに深々と頭を下げるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「お疲れさまっしたー」
退勤して私服に着替え、業務口で検品を受けた俺は、警備員さんに挨拶しながら外に出た。
夜のひんやりとした空気が、俺の頬を撫でる。
「ふぅ……」
俺は、身体に疲労感を感じながら、大きく息を吐いた。
そして、ポケットに入れておいたスマホを取り出し、切っていた電源を入れる。
帰りの電車の中で、掲示板サイトのまとめを見るのが、最近の俺の日課だった。
……え、メールチェック? LANEの返信?
あのねえ。来てもいないもんをチェックしたり返信したりする必要って、ある? 無いよねぇッ!
……おや、雨が降ってきたようだな。
“ピロリロリロリン♪ ピロリロリロ……”
「……あれ?」
夜空に揺らめく星を見上げていた俺は、突然手元で鳴り始めたメロディと振動に、思わず驚きの声を上げた。
「電話……?」
聞き慣れないメロディだったが、どうやらそれは、新しいスマホの着信音だった。それに、スマホが細かく振動している。
「……俺に電話? こんな時間に……?」
もう、夜の十時過ぎだ。
俺は訝しみながら、手元のスマホの液晶画面に目を遣る。
「な――っ?」
そして、思わず目を疑う。
液晶画面には、電話をかけてきた相手の名前が表示されていた。
「み……ミクから……電話……?」




