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第百四十八訓 調味料の分量は正確に覚えましょう

 「……」


 俺はひとり、リビングのローテーブルの前に座り、落ち着かない気分でスマホをいじっていた。

 スマホの液晶画面に表示されているのは、ニュースアプリのトップ画面だ。と言っても、記事の中身を読むでもなく、一旦開いて適当にスクロールしてはまた閉じてトップページに戻り……というのを、さっきから何度も繰り返している。

 要するに、やる事無くて暇を持て余している訳だ。


「えーっと……確か、お醤油を二杯で……」


 さっきから、台所の方で、自信無さげな声が時折上がる。


「……あれ? この二杯って、大さじ二杯だっけ? それとも小さじ……?」

「――ええと、立花さん?」


 台所からの自問自答の声に激しく不安を覚えた俺は、さすがに見かね……いや、聞きかねて、声の主に声をかけた。


「あのさ、俺も手伝うよ。なんか、困ってるみたいだし――」

「いいって! 大丈夫だから、アンタはそっちで黙って座ってて!」


 腰を浮かしかけた俺を、立花さんの声が鋭く制する。


「おいなりさんは、この前作ったばっかりだから、別に手伝ってもらう必要なんて無いよ! 今やってるのは復習なんだから、ひとりでやんないと意味無いの!」

「で、でも……」

「だから、大丈夫だって! ソータは安心して出来上がるのを待ってなさい!」

「安心して……って、そんな不安になるような独り言が聞こえてきちゃ、安心するも何も無……」

「なんか言ったぁっ?」

「あ、いや……い、『いなり寿司が出来るの楽しみだなぁ~』って……」


 明らかに苛立ちを募らせた様子の立花さんに独り言を聞きつけられた俺は、慌てて適当な事を言って誤魔化した。


「……ふぅん」


 俺の答えを聞いた立花さんは、懐疑心を拭えない様子だったが、それ以上追及してくる事は無く、


「って……そうだ、お醤油! あと、お酢もだよね……」


 と呟きながら、料理の続きに戻る。

 俺は、立花さんから雷を落とされずに済んで安堵の息を吐きつつ、料理の仕上がりに激しい不安を感じ、顔を引き攣らせた。

 と、その時、俺の脳裏に、この前ミクたち三人が泊まりに来た時に見た、立花さんが料理をしている光景が浮かび上がる。


(……そういえばこの()……今日も、この前の時も――)


 その映像と、今の彼女の行動と言動が重なり、ふと違和感を覚えた俺は、おずおずと立花さんに尋ねてみた。


「あの……立花さん? つかぬ事をお伺いしますけど……」

「なに?」

「その……料理のレシピとか、メモとか無いんすか?」


 すると、立花さんは台所からキョトンとした顔を出し、首を傾げながら答える。


「レシピ? メモ? そんなの別に無いよ?」

「はい?」


 あっけらかんとした立花さんの答えを聞いた俺は、思わず呆気にとられ、目を点にした。


「べ、別に無いよって……もしかして、レシピとか無しで作ってるの、料理?」

「うん」


 俺の問いかけにチョコンと頷いた立花さんは、何故か自慢げな顔をして言葉を継ぐ。


「だって、レシピなんて邪道じゃん。レシピを見ちゃったら、なんか負けた気がするし……」

「はいぃ?」

「ていうか、見ないでちゃんと作れて、はじめて一人前ってモンじゃないの、料理って――」

「バッッッカモーンッ!」


 知ったような口を叩く立花さんに、俺は思わずどこかの派出所の部長のような怒声を上げた。

 ビックリして目を丸くしている立花さんに、俺は憤然としながら説教する。


「レシピを見たら負けだとか、見ないで作れて一人前とか……何言ってんのさ! よっぽど慣れないと、レシピ無しで料理なんか作れないっしょ! プラモ〇四郎だって、ガン〇ラを作る時には説明書を見るんだぞ!」


 内心、「さすがに、料理の喩えでプラモ〇四郎は無いだろう……」という冷静なツッコミが浮かびつつも、俺は勢いに任せて更に言葉を継いだ。


「ていうか……そもそも、君はまだ、レシピも見ないで料理出来るほど上達してないでしょうが!」

「そ、そんな事無いもんっ!」


 俺のツッコミに目を大きく見開いた立花さんは、憤然と首を左右に振る。


「確かにレシピは見てないけど、この前ミクさんに教えてもらったおいなりさんの作り方はバッチリ覚えてるもん!」

「ほーん」


 頑なに自説を曲げない立花さんにジト目を向けながら、俺は彼女に問いかけた。


「じゃあさ、いなり寿司のタレに醤油をどのくらい使うか、当然覚えてるはずだよね?」

「ふぇっ?」


 俺の質問を聞いた途端、喉からしゃっくりのような音を上げた立花さんは、激しく目を泳がせる。

 そして、最終的に左上へ目を向けると、まるで言葉を探るように口を開いた。


「え、えーと……た、確か……三ば……いや、二杯……だよ?」

「二杯って、大さじ? それとも小さじ?」

「ふぇふぇふぇっ?」


 俺の追撃に、立花さんは更に挙動不審になり、少しの間、まるで金魚か鮒のように口をパクパクとしてから、おずおずと親指と人差し指で丸を作ってみせた。


「こ……このくらい……多分……」

「……それって、大さじなの? 小さじ?」

「た……多分、お、大さじ?」

「……何で語尾にクエスチョンが付いてんだよ」


 俺は、バツ悪そうな立花さんの様子を見て、呆れるよりも前におかしくなって、思わず吹き出す。

 そして、苦笑しながら立花さんに言った。


「いや、全然覚えてないじゃん」

「……う」

「こんな感じで、この前みたいな美味しいいなり寿司が作れるの?」

「……作れない」

「でしょ? だから言ったでしょ? レシピ見ないとダメだって」

「……うん」


 いつになく素直に、俺の言う事に頷く立花さん。

 そのしょげ返った様子に少し罪悪感を覚えた俺は、わざと声のトーンを明るくして言った。


「さあ! 分かったら、ちゃんと分量とか手順とかを確認しようよ」

「……うん、分かった」


 俺の言葉にコクンと頷いた立花さんは、キュロットパンツの後ろポケットからスマホを取り出し、画面の上に指を走らせ始める。

 そんな彼女を見ながら、俺は何の気なしに尋ねた。


「あ、スマホの中に入ってるんだ、いなり寿司のレシピ」

「ううん、違うよ」

「あ、そうなんだ……。じゃあ、ネットで検索とか?」

「ううん、検索なんてしないよ」

「へ?」


 立花さんから立て続けに否定された俺は、訝しみながら首を傾げる。


「じゃあ……何でスマホを……?」

「もちろん、直接訊くんだよ」

「直接……訊く……?」


 俺は、立花さんの答えに何とも言えない嫌な予感を覚えた。


「ね、ねえ……訊くって、だ……誰に?」

「そりゃ、決まってるでしょ」


 立花さんは、俺の質問に眉を(ひそ)めながら、操作していたスマホの画面を見せる。

 液晶画面に映っていたのは、LANE通話のコントロールパネルで、その上の方に書いてあった通話先のアカウント名は――


「この前の日曜日に、あたしにおいなりさんの作り方を教えてくれた――」

「ちょちょちょちょっと! ややややっぱり訊くのはやめにしようかッ、ウンッ!」


 俺は、スマホの画面に表示された“MIKU-chan”という文字を見るやいなや、テキメンに狼狽えながら首を激しく左右に振ったのだった。

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