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第百四十一訓 女性を家に泊める時でも紳士でいましょう

 俺が自分のアパートまで帰ってきた頃には、もう日付が変わっていた。

 いつものように金属の外階段を昇り、二階の一番手前のドアに鍵を挿す。

 そして、鍵を回す――前に、背後を振り返り、自分の後ろをついて来た人におずおずと声をかけた。


「あのぉ……マジでウチに泊まるんすか……四十万さん?」

「んー? そうだよー」


 俺の問いかけに、外廊下の金属の柵にもたれかかっていたほろ酔いの四十万さんは、あっけらかんと頷く。

 そして、締まりの無い笑いを浮かべながら首を傾げてみせた。


「泊めてもらうよ~。てゆーか、そうじゃなかったら、わざわざこんな所までついて来ないよ~ん」

「まあ……ですよねぇ……」


 四十万さんの答えに、頬を引き攣らせる俺。

 そんな俺の反応に、四十万さんは怪訝な顔をする。


「何よ? そんなに私を泊めたくないの、ホンゴーちゃんは?」

「あ、いえ! そ、そういう訳では……」


 咎めるような四十万さんの問いかけに、俺はしどろもどろになりながら、曖昧に首を左右に振った。

 ――あの後。

 四十万さんが終電を逃した事が判明した後、俺は彼女に拝み倒される格好で、自分の家に泊める事を了承してしまったのだ。

 もちろん、俺は最大限に抵抗した。……けど、他に行く宛てもないという四十万さんを放置して帰るのはさすがに気が咎め……今に至る。


「……」


 俺は、酔いで仄かに赤くなった顔を夜風で冷ましている四十万さんを見て、微かに胸が高鳴るのを感じる。

 以前、ミクや立花さんを家に泊めた事はあるが、あの時は藤岡も一緒で、どっちかというと“合宿”って感じのノリだった。

 でも、今日は、あの時とは事情が違う。

 俺と四十万さんのふたりだけなのだ。

 男と女がひとつ屋根の下で一泊する――もう、字面だけで危険が危ない……。


『男と女、密室、一泊。何も起こらないはずが無く……』

「うわああああああっ!」


 ネットで流行った電子マンガ広告のフレーズもどきが唐突に脳内に流れ、俺は素っ頓狂な声で叫んだ。


「わっ? な、なに? どうしたの?」

「あっ……い、いえ、何でもないっす……」


 急に奇声を上げた事で、驚いた表情を向けた四十万さんに謝りながら、俺はダメ元でもう一度訊ねてみる。


「あ、あの……もう何度目か分からないっすけど……やっぱり帰った方がいいんじゃないかな~って……。いくら、会社の上司と部下だっていっても、男と女が同じ部屋で一泊するのは、その……」

「そりゃ、帰れるもんなら帰ってるわよ」


 四十万さんは、不満そうに頬を膨らませながら言った。


「でも、もう終電が行っちゃったんだから、しょうがないじゃない」

「いや……だったらタクシーとかもあるんじゃ……」

「……ホンゴーちゃん。これを見ても同じ事が言える?」


 口ごもる俺の目の前に、四十万さんがスマホの画面を突きつける。

 俺は、画面に表示された、ゲーム機の本体が買えるくらいの金額に目を丸くしながら、恐る恐る訊ねた。


「あの……ひょっとして、これって……」

「そっ、ここから私の家までタクシーを使った場合の運賃だよ。なお、深夜割増込み」

「うへぇ……」


 四十万さんの説明に、俺は思わず嘆声を上げる。

 そんな俺の顔をじろりと見ながら、四十万さんがもう一度訊ねてきた。


「どう? これを見ても、あなたは私にタクシーで帰れって言うのかな?」

「……イエ」

「あ、でも……ホンゴーちゃんがタクシー代出してくれるんだったら、おとなしく帰るよ~。半額でもいいからさ――」

「せ、狭苦しい所ですが、どうぞごゆるりとお寛ぎ下さいっ!」


 四十万さんの言葉を聞いた俺は、慌てて鍵を回してドアを開ける。

 そんな俺の反応に、四十万さんは悪魔のような笑みを浮かべ、「お邪魔しま~す♪」と声をかけながらドアをくぐった。

 そして、玄関で低いヒールのパンプスを脱ぎ捨て、勝手に家の照明のスイッチを押し、明るくなったキッチンとその奥のリビングの部屋を一瞥するや、「うわぁ、ホントに狭い……」と、なぜか少し愉しそうな声で呟く。


「……いや、だから、最初から狭いって言ってるでしょうが……」


 部屋の主にもかかわらず、客の四十万さんの後に続いて部屋に入った俺は、辟易しながら言った。

 だが、四十万さんは、そんな俺の言葉も意に介さぬ様子で、興味津々といった様子で部屋の中を物色している。


「へぇ~、ここがホンゴーちゃんの家ねぇ。確かに、散らかり方が男の人の家っぽい」

「……すみません。まさか、四十万さんが家に来るとは思わなかったんで、片付けもしませんでした」

「あはは、全然いいよ~。勝手に押しかけてきたのは、私の方だもんね」


 謝る俺にふるふると手を左右に振りながら、苦笑いを浮かべる四十万さん。

 と、彼女の目が、部屋の一番奥に置かれたベッドに向いた。


「ホンゴーちゃん、この部屋って、ベッドはひとつ……だけだよねぇ? ひとり暮らしだもんね」

「――ッ!」


 四十万さんの言葉に、俺の胸は心臓を一突き(シアーハートアタック)されたかのように跳ね上がる。

 俺は、わたわたと部屋の中に入り、起きた時のままの掛け布団を急いで整えながら、上ずった声で言った。


「す、すみませんっ! 確かに、ベッドはひとつしか無いですけど、もちろん四十万さんが使って下さい! お、俺は、台所の床で寝ますから!」

「え? いや、いいって。さすがにそこまでは甘えられないよ」


 俺の申し出に、四十万さんが顔の前で手を左右に振る。


「私が床で寝るから、ホンゴーちゃんは自分のベッドで寝なよー」

「いやいや! そういう訳にはいきませんって!」


 四十万さんの言葉に、俺は慌ててかぶりを振った。


「い、一応女性の四十万さんを床に寝かせる訳にはいきません! そんな事をしたら、俺の男としての沽券に関わります!」


 そう、血相を変えて捲し立てる俺。

 ……と、四十万さんは「あ、いい事考えた」と、ポンと手を叩き、俺がキレイに直したベッドを指さした。


「だったら、このベッドで一緒に寝ちゃえばいいじゃん。私とホンゴーちゃんで」

「ふぁ、ファーッ?」


 四十万さんが口にしたとんでもない提案に、俺は仰天しながら吹き飛ばんばかりの勢いで首を左右に振る。


「だ、ダメに決まってるじゃないっすかッ! い、一緒に寝るなんて……な、何か間違いが起こっちゃったらどうするんすかッ?」

「いやぁ、大丈夫だよぉ」


 血相を変えて窘める俺に、四十万さんは締まりの無い笑顔を浮かべて言った。


「心配しなくても、ホンゴーちゃんの寝込みを襲う気なんて無いよ。私も立派なオトナだもん。そのくらいの分別はあるってば」

「い、いや……何で、四十万さんが襲う前提になってるんすか……。ぎゃ、逆のパターンだって……」

「あ、そっちは大丈夫だよ~」


 思わず言い返した俺に、四十万さんは意地悪そうな微笑みを浮かべながら答える。


「ホンゴーちゃんは、絶対にそんな事する子じゃないって、私は良く知ってるもん」

「し、四十万さん……」

「ていうか、ホンゴーちゃんってヘタレだから、そもそもそういう事する度胸とか無いでしょ?」

「…………エエ、ソウデスネ」


 四十万さんに信用されて嬉しい反面、男としてのプライドを激しく傷つけられつつも、その言葉を否定できない俺は、顔を引き攣らせながら頷くしかなかったのだった……。

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