第十四訓 混んでいたら相席しましょう
その翌々日――。
昼休みになり、大昇大学の学生食堂は、腹を空かせた学生たちでごった返していた。
あちこちで談笑する女子学生の喧しい声や、男子学生の馬鹿笑いが上がる中、人目を避けるように端っこのテーブル席に座った俺は、新品のスマホに大絶賛苦戦中だった。
「やあ、本郷氏」
「……へ?」
唐突に背後から声をかけられた俺は、驚きの声を上げながら振り返り――思わず顔を顰める。
「……何だ、一文字か」
「おいおい、随分なご挨拶じゃないか、本郷氏」
カレーライスが盛られた皿を乗せたお盆を両手で持った一文字一は、不機嫌を露わにする俺に苦笑しながら、勧めてもいないのに俺の向かいに座った。
「……おい、勝手に座るなよ。俺は同席を許しちゃいねえぞ」
「いいじゃないか、空いているんだから。というか、他はもう満席で、ココくらいしか空いてなかったんだ。助けると思って、相席を許してくれたまえ」
そう言いながら、小太りの身体をくねらせて、俺に向かって手を合わせる一文字。
俺は、高〇ブーみたいな顔のクセに、キザったらしくウインクしてきやがる一文字の顔をジト目で見て小さく溜息を吐き、それから、探るように答える。
「イヤだ……と言ったら?」
「ボクが立ち去った瞬間に、まるでハイエナみたいになって空席を探してる陽キャたちが、喜び勇んで座りに来るだろうねぇ」
そう答えてニヤリと薄笑んだ一文字は、学食の受け渡し口の辺りを指さした。
確かに、彼の言う通り、こんな大学の学食より歌舞伎町のクラブの方がずっと違和感が無い茶髪の男子学生がひとりと、ケバいメイクと際どいミニスカ姿の女子学生ふたりが、キョロキョロと周囲を見回している。
……一文字の言う通り、俺の座るテーブル席に三席分の空きがある事に気付いたら、サバンナで小鹿を見つけたチーターよりも迅速に馳せ参じ、俺に相席を申し出るだろう。
そして、筋金入りの陰キャかつ人見知りのコミュ障である俺には、陽キャ共の馴れ馴れしい申し出を蹴る事が出来るほどのバイタリティなど無く、彼らの言うままに押し切られてしまうに違いない。
そうなったら最後。
たちまちのうちにテーブルの主導権は陽キャたちに奪われ、先住者であるはずの俺は、テーブルの隅で身を縮こまらせ、馬鹿みたいに程度の低いトークを聞きたくもないのに聞かされ続け――憩いの時間であるはずの昼休みは、苦痛と辛酸に満ちた地獄の時間と化してしまう事だろう……。
一方、この一文字一は同じ学年で同じ文学部史学科である事もあって、大学内でぼっち……孤高を保っている俺にとって数少ない友だ……知り合いである。
重度のオタクでもある彼と会話するのも、正直なかなか苦痛ではあるのだが、陽キャトークに晒されるよりは……まあ、比較的……。
「……何のお構いも出来ませんが」
「恩に着るよ、本郷氏♪」
不承不承頷いた俺に、一文字はおどけた様子で深々と頭を下げると、傍らの調味料入れの中からソースを取り出し、カレーのルウにドプドプとかける。
そして、ソースまみれになったルウと白飯をスプーンでグチャグチャに混ぜながら、俺の手元に視線を向けた。
「……おや? スマホ、機種変したのかい?」
「え? あ、うん……」
一文字の問いかけに、俺はスマホから目を上げて頷く。
それを見た一文字は、興味津々といった様子で目を輝かせた。
「へぇ、そうなんだ。……でも、前に使ってたのも、そんなに古い機種じゃなかっただろう? なのに、もう買い替えるなんて、随分と贅沢だね」
「好きで買い替えた訳じゃねえよ。……ぶっ壊れたんだよ、一昨日」
首を傾げる一文字をジロリと睨みながら、俺は不機嫌な顔をしてみせながら答える。
「壊れた? 落としちゃったとか?」
「いや……テーブルの上に置いておいたら、うっかりコーラを零しちゃって……慌てて拭いて乾かしたんだけど……懸命の治療の甲斐なく……」
「あぁ……水くらいならともかく、さすがにコーラじゃ無理だねぇ。……御愁傷様」
「弔意を述べるんだったら、香典をくれ」
「だが断る」
俺の願いをどこぞのマンガ家みたいなキメ顔で毅然と断った一文字は、スプーンで掬ったカレーを一口頬張った。
一方の俺は、そんな一文字の事など放っておいて、一心不乱にスマホを操作する。
そして――昨日から何度見たかも分からない、『もう一度やり直して下さい』というメッセージが液晶画面に現れたのを見て、忌々しげに舌打ちした。
「クソ。これでもダメか……」
「どうしたんだい?」
「あー……」
俺の呟きを訊き咎めた一文字が、怪訝な表情を浮かべながら尋ねてきたので、俺はスマホの画面を彼に見せながら答える。
「機種変したから、データ移行しててさ。他のアプリは上手くいったんだけど、LANEだけ、どうしても上手く引継ぎ出来なくてさ……」
「あぁ……なるほどね」
事態を把握した一文字が、大きく頷いた。
そして、その小太りの体型からは想像もつかない素早さで手を伸ばし、まるで魚を掠め取る泥棒猫のような手際で、俺の手の上に乗っていたスマホを取った。
「あ! ちょ、い、一文字テメエ! 返せッ!」
「まあまあ、少し見せてみたまえ。ボクは詳しいんだ」
一文字はそう言うと、スマホを取り返そうとテーブルから目いっぱい身体を伸ばした俺の手を巧みに躱しながら、その太い指をスマホに滑らせる。
その迷いのない指捌きは、さすがに自分で『詳しい』と言うだけの事はあった。
「……汚すなよ」
俺は、一文字の手からスマホを取り返すのを諦め、スマホと格闘していたせいで、さっきからほとんど手を付けていなかった天ぷらうどんを啜り始める。
……うん、心なしか少しのびているような気もするが、食えない程ではない。天ぷらの衣はぶよっぶよだけど……。
「……ふむ。なるほど……そういう事か……」
一文字は、自分のスマホを取り出し、ネットで何やら調べながら、俺のスマホの為に奮闘してくれている。
正直、ついさっきまでカレーライスを食べていた手で、ベタベタと新品のスマホに触られるのは抵抗があったが、自分の手には負えないLANEの引継ぎをしてくれるのだったら文句は言えまい。
上手く引継ぎが出来たら、学食でカップアイスでも奢ってやろう……。
そんな事を考えている時、
「……よし」
そう小さく呟いた一文字が、俺にスマホを返してきた。
「これでいい。あとは、君のLANEIDと紐づけているメールアドレスとパスワードを入れれば同期できるはずだよ」
「おっ! マジか!」
一文字の言葉に、俺は思わず声を上ずらせ、言われた通りにメールアドレスとパスワードを入力する。
――すると、
「……キターッ!」
見慣れたホーム画面が表示され、俺は思わず歓声を上げた。
そして、テーブルの向こうで得意げな顔をしている一文字に向かって礼を言う。
「ありがとな! 助かったよ!」
「フヒヒヒ……なんのなんの」
俺の謝辞に、一文字は鼻の穴を大きく広げながら、笑い声を上げた。
彼の、まるで某遊〇王カードの『強欲な壺』みたいに不気味な笑顔に、思わず頬が痙攣しそうになるのを手で隠しながら、俺は先ほど思いついた事を言ってみる。
「じゃ、じゃあ……お礼にアイスでも奢ってやるよ」
「あ……いや」
意外な事に、一文字は俺の申し出を断った。そして、何やらモジモジしながら口を開く。
「べ、別にアイスは要らないから……その代わりに、君にお願いしたい事があるんだなぁ」
「な……何? お願いしたい……事って……?」
俺は、一文字の様子に不気味さを感じながら、恐る恐る尋ねてみた。
すると彼は、その肉まんのように丸みを帯びた頬を赤く染めながら、興奮した声で叫ぶ。
「え、ええとね! ぼ……ボクとLANEIDを交換してくれたまえ!」
「……へ?」
一文字の口から出た意外な望みに、俺は戸惑いながら訊き返す。
「れ……LANEIDを……交換?」
「そ、そう!」
ポカンとする俺に大きく頷きながら、一文字は茹でダコみたいな顔をして言った。
「は……恥ずかしながら、ボクは今まで、家族以外には誰ともLANEの交換をした事が無いんだ」
「あ……そ、そうなんだ……」
一文字の告白を聞いた俺は、心密かに優越感を抱く。
俺のLANEには、一文字のそれとは違い、ちゃあんと家族以外のアカウントが登録されている。
しかも、うら若き女の子のだ。
……まあ、それは幼馴染のミクなんだけど。
(……あ、もうひとりいたか、一応)
ふと脳裏に、いかにも気が強そうな女の子の顔が浮かび、俺は慌てて頭を横に振って打ち消した。アレは、向こうに勝手に登録された……いわば貰い事故みたいなもんだ。ノーカンだノーカン。
――そんな俺の内心にも気付かぬ様子で、一文字はまるで自爆寸前のばくだん岩みたいな顔をしていたが、やがて意を決した様子で「本郷氏ッ!」と声を張り上げると――続けてとんでもない事を口走った。
「だから――た……頼むッ! ぼ、ボクの初めてをもらってくれぇぇぇっ!」
「ふぁ、ファ――ッ? ちょっ! い、言い方ああああああっ!」
一文字の絶叫に、慌ててツッコむ俺だったが……時既に遅し。
――あれだけ喧騒が響いていた学食が一瞬にして静まり返り、その場に居た全ての人たちの視線が俺ひとりに向けられたのだった……。




