第十三訓 室内で暴れるのはやめましょう
「こ……告白し直す?」
俺は、立花さんが声高に口走った言葉に面食らい、思わず鸚鵡返しする。
「あ、あの藤岡が、付き合ったばかりのミクを振って、君に告白し直すって?」
『そうっ!』
「……いや、そうはならんやろ」
『なっとるやろがい!』
俺の冷めたツッコミに、すぐさま声を荒げる立花さん。……つか、ノータイムでその返しを使うって事は、意外とオタク寄りなのか、この娘……?
『つか、彼女とのデートから一時間くらいしか経ってないってのに、他の女の子を遊びに誘う、普通? いくらあたしがホダカの幼馴染だって言ってもさ』
「い、いや、でも……さすがに……」
『絶対、デート中に「コレジャナイ」って後悔し始めてたんだよ、ホダカ! それで……近すぎて逆に見えなかった運命の人の存在と、自分が抱いていた本当の気持ちにようやく気付いて、やり直そうとしてるんだって!』
「そ……そう、なのか……?」
俺は、立花さんの捲し立てる主張に少しだけ説得力を感じたものの、依然として半信半疑だった。
「なんか……色々と都合よく捉えすぎじゃないかなぁ……?」
『なによッ、文句あるのッ?』
「いや、文句って訳じゃないけどさぁ……」
ムッとした顔がまざまざと思い浮かぶような立花さんの声に辟易としながら、俺は言い淀む。
立花さんは、スピーカーの向こうで『フンッ!』と不機嫌そうに鼻を鳴らすと、『まあ、いいよ』と言葉を継いだ。
『アンタがそう思いたいなら、そう思ってるがいいよ。来週の土曜日、あたしからの朗報を待ってなさい!』
「ろ、朗報?」
立花さんの口から出た“朗報”という言葉に、俺は引っかかった。
「そりゃ……君にとっては“朗報”なのかもしれないけど……ミクにとっては……」
『立花さんが藤岡穂高と付き合う』という事は、即ち『ミクが藤岡穂高にフラれる』という事だ。
仮に立花さんの推測が正しかったとすると、ミクはたった一週間で、向こうの一方的な心変わりで失恋してしまうのだ。
それを知った時、あいつはどんな思いを抱くのか……そう考えると、その事を“朗報”と呼ぶ事はとても出来なかった。
『あ……ゴメン、さすがにちょっと言い方が悪かった……』
立花さんも、少し遅れて俺と同じ考えに到ったのか、さすがに声のトーンを落とし、俺に謝った。
だが、シュンとしたのはほんの一瞬だけだった。
『……でもさ、アンタにとっても悪い事じゃないのは確かでしょ? なにせ、好きな幼馴染がフリーに戻るんだからさ』
「う……」
立花さんの言葉に、俺は言葉に詰まる。確かに、彼女の言った事は的を得ていた。
『そりゃ、あの娘はホダカにフラれてショックだろうけど、だからこそアンタにとってはチャンスなの。落ち込んでる彼女を支えてあげるついでに告っちゃえば、いかにも陰キャなアンタでも告白成功は確実だって!』
「……でも、傷心に付け込むような感じで、あんまり……っていうか、“いかにも陰キャ”って、さり気にディスるな」
『あ、ゴメン』
俺の抗議に、いたって軽い調子で謝った立花さんは、すぐに言葉を継ぐ。
『……って感じで、来週の土曜日、どうなったかLANEで報告してあげるから、楽しみにしててね!』
「う……うん……」
どこか嬉しげな立花さんに、俺は力無い声で返事をする。
何だか、心の中で色んな感情が渦巻き、グチャグチャになっていて、自分でもどうリアクションしたらいいか分からなくなっていた。
正直、もう考えるのも面倒くさい……。
「じゃあ……」
『あ、そうそう』
もう通話を打ち切ろうとした俺だったが、不意に立花さんの上げた声がそれを妨げる。
内心でウンザリしている俺の心を慮る様子は微塵も無く、彼女は言葉を継ぐ。
『あたしは目的を達成しちゃうだろうけど、せっかくできた縁でもあるし。リア充の先輩として、アンタの方も恋愛成就できるよう協力してあげるから、安心してね』
「は、はぁ~?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「り、リア充って……まだ、そうと決まった訳でも無いだろ?」
『はいはい、嫉妬乙』
「し……嫉妬なんてしてねえよ! つか、知らないのかッ? それって、いわゆるひとつのフラグって――」
『じゃあね~。また土曜日に電話するね~』
「って! ちょ、ちょっと待て! まだ俺の話は…………くそっ、切りやがった……」
俺は、通話が切れてホーム画面に戻ったスマホを忌々しげに睨みつけると、電源ボタンを押して消し、乱暴にテーブルの上へ置いた。
そして、大きく息を吐きながら、白い天井を見上げる。
「……」
そのまま、軽く目を瞑った。
そして、頭の中で、先ほど立花さんと交わした会話を反芻する。
「本当に……あの男にフラれちゃうのか、ミクは……?」
閉じた瞼の裏に、昼間に見た、ミクの楽しそうな顔が浮かんだ。心底幸せそうなあいつの顔が、来週の今頃には絶望で沈んでいるのかと思うと、どうにもやるせない気持ちが湧いてくる。
そして、あいつの隣で穏やかな笑みを浮かべていた、年齢以上に落ち着いた雰囲気を纏った男の顔を思い浮かべ、ギリリと奥歯を噛みしめた。
「あの野郎……。あんな顔でミクの横にいながら、肚の中では後悔しまくってたっていうのか……? もう別れようと思うくらい……」
俺は、グッと右手を握りしめる。
そして、瞼の奥に映ったクソメガネ野郎の顔面をぶん殴るつもりで、大きく引いた右腕を鋭く前へと突き出すと同時に、左脚を大きく踏み出した。
その瞬間、
ゴッ!
「――痛ってええええっ!」
何かが硬い物にぶつかったような鈍い衝撃音と同時に、左脚の向う脛に走った激しい痛みに、俺は思わず悲鳴を上げた。
そして、そのまま左脛を抱えて悶絶する。
「痛だだだたたた……」
どうやら、左脚を踏み出した時、すぐ前にあったテーブルの縁に脛を思い切りぶつけてしまったらしい……。
“弁慶の泣き所”とはよく言ったものだ。確かに、めちゃくちゃ痛え……。
そして……俺を襲った悲劇は、それだけでは終わらなかった。
自分でもすっかり忘れていたが、テーブルの上には、今しがた置いたスマホの他に、アレが置いてあったのだった。
――そう、冷蔵庫から出して、缶のままで一口だけ飲んだコーラが。
そして、俺はスマホを無意識にコーラの缶の横に置いていた。
「あ……」
俺は、脛をぶつけたせいで大きくずれたテーブルの天面と、その衝撃を受けたコーラの缶がバランスを崩して倒れようとするのを、呆然と見る。
なぜか、その様子はひどくゆっくりと見えた。そう、まるで某バスケマンガで“ゾーンに入った”時のように。
「まっず……!」
俺は、スローモーションで倒れるコーラ缶を受け止めようと、慌てて腕を伸ばそうとする。
だが――それは既に遅かった。
コーラ缶は“ボドリ”という重い音を立てて横倒しになり、開いた口から黒い液体がシュワシュワと音を立てながら流れ出る。
そして、その下には、俺のスマホが……。
「あああああああああ――ッ!」
溢れ出るコーラと、その真下で水浸し……もとい、コーラ浸しになっている愛しのスマホの姿を目の当たりにして絶望の声を上げる俺の脳内に、聞き慣れたBGMが響き渡ったのだった……。
『ピタ・〇ラ・スイッチッ♪』
……と。




