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第百二十九訓 聞こえなかったら訊き直しましょう

 「――す、すみまっせんっ!」


 スピーカーがハウリングを起こしそうなくらいのボリュームで捲し上げられた『アンタバカァッ?』に『ア〇カ=サンッ?』とボケたくなるのを慌ててこらえた俺は、スマホを耳に当てたまま深々と頭を下げた。

 と、次の瞬間、


 ――ごんッ!


「痛ぇっ!」


 脳内に直接響く鈍い音と、額に伝わる衝撃と痛みを感じた俺は、思わずうめき声を上げる。


『えッ? な、なに? どうしたの?』

「あ……ご、ゴメン、何でもない」


 さっきの怒声とは打って変わって、悲鳴を上げた俺の事を気遣う立花さんの声に、俺は額を擦りながら答えた。


「な、なんというか……反射的に頭を下げた拍子に、目の前のテーブルに額を思い切りぶつけて……」

『はぁ? 何やってんのよ、アンタ? ……大丈夫?』

「ま、まあ……何とか……」


 呆れながらも心配してくれる立花さんの声を聞きながら、俺は苦笑を浮かべて頷く。

 それに対して、彼女は『今のもだけど……』と言葉を継いだ。


『体調の方は? 昨日、あんなにベロンベロンに酔っぱらっちゃってたじゃん。二日酔いとかになっちゃってるんじゃない?』

「う……ご、御明察の通りです……」


 立花さんの問いかけに、俺はバツ悪げに頭を掻く。


「朝起きた途端に胃がムカムカして、速攻トイレに直行したよ……。頭もガンガンしてて、まるで脳味噌を小人に掘削工事されてるみたい……。吐くだけ吐いてシャワー浴びたら、起きた時よりはいくらかマシになったけど……」

『うわぁ……ヒサン。でも、あれだけ飲んだら、そうもなるよねぇ』

「……って、そんなに?」


 俺は、立花さんに訊ね返した。


「お、俺……そんなに飲んでたの、昨日?」

『うわ、マジで覚えてないんだ? あんだけ騒ぎまくってたのに』

「……う、うん」


 スマホのスピーカーから聴こえてくる立花さんの呆れ声にたじろぎつつ、俺は肯定するしかない。


「昨日の記憶は……大量に口の中に詰め込まれたいなり寿司を喉に流し込もうと、手元にあったグラスの中身を飲み込んだところでぷっつりと……」

『あっ……』


 俺の言葉を聞いて、立花さんが息を呑んだのが分かった。

 ……そうだ。今なら分かる。

 あの時、俺は間違って、自分のではなく一文字のグラスを手に取ってしまったのだ。アルコール度数の高い赤ワインがなみなみと注がれたグラスを――。

 そして……その一杯で、俺はまんまと酩酊して理性を飛ばして……。


『……ゴメン』

「へ?」


 俺は、唐突にスピーカーから聴こえてきた謝罪の声に面食らう。


「な、なんで? なんで君が謝るのさ?」

『だって……ソータがおいなりさんを喉に詰まらせたのって、元々は、味を褒められて嬉しくなっちゃったあたしが、ソータの口においなりさんを無理やり詰め込んだからだし……』

「あっ……」


 そういえば、そうだった。

 俺の口にいなり寿司を何個も詰め込んだのは、他ならぬ立花さんだった……。


『だったら……あたしにも責任があるよね。ソータがあんなにぐでんぐでんに酔っぱらっちゃった責任が……。その、ごめんなさい……』

「あ! い、いやいや!」


 スピーカー越しでも分かるくらいに意気消沈した立花さんの声を聴いた俺は、慌ててかぶりを振る。


「た、確かにそれが発端かもしれないけど、グラスを取り違えたのは俺だし! だ、だから、君が気に病んだり謝ったりする事はないよ!」

『でも……』

「そ……そんな訳でさ――」


 俺は、落ち込む立花さんの気を逸らそうとして、話題を元に戻した。


「俺、その後がどうなったか、全然覚えてないんだよ。一階での事は、母さんの話から大体察したけど、立花さんから訊きたいのは――」

『……二階のアンタの部屋でのアレ?』

「そう、ソレ!」


 その口ぶりだと、やっぱり立花さんは、あの時の事を知っているようだ。

 それを確信した俺は、胸の鼓動がテンポを速めるのを感じながら、彼女の声を聞き漏らすまいとスマホを耳に押し付ける。

「教えてくれ、立花さん! 昨日の俺は……ミクに対して、何をやらかしちまったんだ? 知ってるんだろ、君はッ?」

『あ……う、うん……』


 息せき切りながら問いかける俺の声に、立花さんは曖昧な声で返事した。


『まあ……確かに、あたしもあの場に居たから、一応何があったかは知ってるけど……』

「や、やっぱり!」


 立花さんの答えを聞いた俺は、声を上ずらせながら問い質す。


「立花さん! お……俺はミクに何をやっちゃったんだ?」

『ええと……』

「分かってる! 多分、ものすごく怒らせちゃったんだろうなって事は……。だって……昨日以来、ミクから連絡が来てないんだ。電話も、メールも、LANEまで……全然」

『え……マジ?』


 スピーカーの向こうで、立花さんがビックリした気配がした。

 それに対して、俺は砂を噛むような気分で「……マジで」と応え、更に言葉を続ける。


「だから……まずはミクに謝りたいんだけど、その前に、自分が何をしてあいつを怒らせちゃったのかを知っておきたくて。それで君に……」

『そうだったんだ……』


 俺の言葉を聞いた立花さんは、小さく溜息を吐いたようだった。

 それから、どことなく優しい口調で俺に言った。


『……でも、安心して。ミクさんは、ソータに怒ってはいないと思うよ……多分』

「え……ホントに?」


 俺は、立花さんの答えに少し希望を見出しつつ、なおも疑いながら問いを重ねる。


「じゃ、じゃあ……怒ってないんだとしたら、なんでミクは連絡してこないんだよ?」

『多分……ソータとどう接したらいいのか、分からなくなってるだけだと思うよ……。まあ、いきなりあんな事を言われたら、戸惑うのも当然だと思う……』

「あ、あんな事を言われたら……?」


 立花さんの言葉に戸惑う俺。


「な、何を言ったんだ、俺は……?」

『えっと……それはね……』


 俺の問いかけに、立花さんは少し躊躇いながら……答えた。


『ソータが……したからだよ』

「……え? 何だって?」


 立花さんの声の肝心なところが聞き取れなかった俺は、訊き返す。


「俺が……何だって? ゴメン、もう一回言って」

『だから……』


 俺が訊き返した事に少しムッとしたらしい立花さんは、一拍おいてから、ハッキリと言い直した。


『ソータが! ミクさんに! 告白したからだよッ!』

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