第百二十二訓 気持ち悪い時には水を飲みましょう
――目覚めは、最悪だった。
「うぅ……あ、頭痛え……」
横たわったまま、薄っすらと目を開けた俺が最初に知覚したのは、こめかみから後頭部にかけて走る鋭い痛みだった。
俺は、ズキズキと痛む頭を左手で押さえながら、ゆっくりと身を起こす。
そして、目ヤニのせいで霞む目を右手の甲でこすりながら、ゆっくり周囲を見回した。
いつもの俺のアパートではない。……だが、部屋に置かれた家具の配置や形は、とても見覚えのあるものばかりだ。
そうか――。
「ここは……実家の俺の部屋……か?」
間違いないと確信した俺だったが、同時に疑問も浮かんだ。
「……俺、なんで実家の自分のベッドで寝てたんだろう?」
そう呟いた俺は、首を傾げながら、寝る前の記憶を遡ろうとする。
……そうだ。
俺は、母さんに呼ばれて、実家に来たんだった。自分の誕生日会に参加する為に。
母さんがいて、父さんがいて、一文字が付いてきて……ミクも加わって、ミクに嵌められた立花さんも何か半分巻き込まれる感じで参加して……。
「ええと……それから……」
ケーキの火を消して……乾杯して……それから何か食べたな……。
あれは確か……立花さんが作ってくれたいなり寿司だったっけ……?
それで……立花さんにいなり寿司を無理やり食わされて……喉に詰まらせたんだっけ……。
それから――、
「……あれ?」
そこまで思い出して、俺はハタと気付いた。
……そこから先の記憶がキレイさっぱり無くなっている事に。
「あれぇ……?」
俺は、訝しげに眉を顰めながら、もっと良く思い出そうとする。
……と、その時、
「あ、痛たたたたたっ!」
こめかみに電流のような痛みを感じて悶絶した。
「うぅ……な、なんだ、この割れるような頭の痛みは……?」
俺は、まるで、高〇名人が脳味噌の中に潜り込んで、痛みを司る中枢神経を十六連射しているかのような激痛に苦しむ。
記憶を辿ろうとすると激しい頭痛に苛まれるのは、洗脳された強化人間や、記憶喪失の無双系主人公あるあるだが……ひょっとして、俺もそうなのか?
――と、痛みのあまり、突拍子もない妄想を信じかける俺だったが、そんなおめでたい俺に、今度は激しい胃のむかつきが襲いかかった。
「うえっぷ……! き、気持ち悪ぅ……ッ!」
突然こみ上げた強烈な吐き気に、俺は咄嗟に口元を押さえ、転がるようにしてベッドを出る。
そして、胃の中から胃の中のものが食道を逆流してこようとするのを必死に押しとどめながら、二階のトイレに駆け込……転がり入った。
そして、閉まっていた便器の蓋が自動で開く間ももどかしく、無理矢理手で跳ね上げると、そのまま便器の中に顔を突っ込む。
「お、げぇ――(自主規制)」
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――本編の途中ですが、大変お見苦しいシーンですので、皆様は可愛い猫の映像でも思い浮かべて下さい。
大変ご迷惑をおかけいたします。申し訳ございません……。
……………………。
――あ、どうやら、ひと段落ついたようです。
これより本編を再開いたします。ご迷惑をおかけいたしましたm(__)m
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「はぁ……はぁ……はぁ……」
数分ほど便座を抱えて、胃の中のものをリバースしていた俺だったが、少し吐き気が和らいできたのを感じて、ようやく顔を上げた。
「ぺっ、ぺっ!」
口の中に残った酸っぱい唾を便器の中に吐き、水を流す。
渦を巻いて流れていく便器の水を見下ろしていた俺は、げっそりとしながら天井を仰いだ。
「うぅ……」
吐き気が収まった途端に、思い出したようにまたズキズキし始めた頭を押さえながら、俺は便器の前に座り込んだまま呻く。
「何だよ、コレ……?」
俺は、これまで経験した事の無いような激しい頭痛と吐き気に狼狽しながら、呆然と呟いた。
「どうしちまったんだよ、俺……?」
頭痛のせいなのか他の原因のぜいなのか、うすぼんやりとしてうまく働かない思考回路に苛立ちと当惑を感じながら、俺は自問する。
……と、その時、脳裏に一つの可能性が浮かび上がり、俺は慄然とした。
「ま、まさか……な、なんかヤバい病気の初期症状とか……? ま、マジ? ひょっとして、俺、もうすぐ死んじゃ――」
「大袈裟ねえ、颯くんは」
「……へ?」
トイレの床にへたり込んだまま恐怖に震えていた俺は、不意に聞こえてきた呆れ声に驚きながら振り返る。
「か、母さん……?」
半開きになったトイレの扉から顔を覗かせた母さんの顔を見た俺は、呆然と呟いた。
そんな俺に苦笑いを向けた母さんは、水が入ったコップをドアの隙間から差し入れる。
「ほら、とりあえず水を一杯飲みなさい」
「あ……う、うん」
母さんからコップを受け取った俺は、促されるまま水を飲んだ。
吐き尽くして空っぽになった胃に、冷たい水が染み渡る。
……美味い。美味すぎる。ただの水が、こんなに美味く感じるとは思わなかった。
「スッキリした?」
「う……うん」
母さんにコップを返しながら、おずおずと頷いた俺は、重い口を開く。
「か、母さん……こんなに体調が悪くなるなんて……ひょっとして俺、なんかヤバい病気に罹っちゃったのかも……」
「……ぷぷっ!」
真剣な俺の言葉を聞いていた母さんが、急に噴き出した。
それを見た俺は、思わずカッとなる。
「な、なんだよ母さん! 俺はマジで言ってるのに、笑ったりして――!」
「ぷぷぷ! ごめんごめん」
怒る俺の顔を見て、更に笑いながら母さんは軽く謝り、「でも――」と言葉を続けた。
「颯くんが、タダの二日酔いで、とっても深刻そうな顔をしてるのが面白くって、つい……」
「……はい?」
俺は、母さんの言葉に思わず訊き返す。
「ふ……二日酔い? これが?」
「そうよ」
母さんは、俺の問いかけにあっさり頷いた。
「吐き気と頭痛がひどいんでしょ? それ、典型的な二日酔いの症状だから。お父さんも、しょっちゅう今のあなたと同じ事になってたでしょ?」
「あ……そういえば……」
母さんの言葉を聞いた俺の脳裏に、会社の飲み会から帰ってきた父さんの姿が浮かぶ。
……確かに、父さんもしょっちゅうトイレに閉じこもってウンウン呻いてた。
俺は納得すると、まだ少しムカムカしている胸の真ん中を擦る。
そして、ふと首を傾げた。
「って、何で俺、二日酔いなんかに……?」
「なに、覚えてないの?」
訝しむ俺に、母さんは呆れ声を上げた。
「みんな大変だったのよ? 間違えてワインを一気飲みしちゃった颯くんが酔っぱらっちゃって――」
「ファッ?」
母さんの言葉に、俺はビックリして声を裏返す。
「よ、酔っぱらったって……俺が?」
「そうよ」
「み、みんな大変だったって……そんなにヤバかったのか、酔っぱらった俺……?」
「まあ……」
母さんは、俺の問いに対し、気まずげに語尾を濁した。それだけで、どういう状況だったのか大体の察しがついた。
俺は顔面から血の気が引くのを感じながら、慌てて立ち上がる。
「ま、マジか! じゃ、じゃあ……下のみんなに謝ってこないと! 迷惑をかけたって――」
「……『謝ってこないと』って、今から一階に行っても、もう誰も居ないわよ」
「……え?」
母さんの言葉の意味が解らず、俺は思わず訊き返した。
「誰も居ないって……だって、まだ、そんなに時間も経ってないし……」
トイレの小さな窓の外には青空が広がっている。その空の色合いと陽の光の強さから、まだ昼過ぎくらいだ。だったら、まだ誕生日会は終わってないはずだ。
……だが、
「何言ってんの、颯くん?」
俺の言葉を聞いた母さんは、キョトンとした表情を浮かべながら、訝しげな声を上げる。
「全然『そんなに時間も経ってな』くないわよ。――だって、今日は月曜日。誕生日会は昨日の事だもの」




